世界的指揮者・小澤征爾さん 「世界のオザワ」逝去 上越地域からも悼む声 

上越文化会館25周年記念事業「小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト4. 上越特別演奏会」で指揮する小澤さん。本番前のリハーサルは、小中学生に公開された(2003年7月28日)

世界的指揮者の小澤征爾さんが2月6日、東京都内の自宅で死去した。享年88歳。所属事務所が9日に公式発表した。死因は心不全。故人の意思により、葬儀は近親者のみで行った。上越地域からも、小澤さんを悼む声が上がっている。

小澤さんは、1935年満州生まれ。〝世界のオザワ〟として、西洋音楽の世界で日本人音楽家の地位を確立し、日本におけるクラシック音楽の普及などに多大な功績を残した。

ヘルベルト・フォン・カラヤン(オーストリア)、レナード・バーンスタイン(アメリカ)に師事、クラウディオ・アバド(イタリア)、ズービンメータ(インド)ら同世代の逸材と切磋琢磨(せっさたくま)し、「巨匠」と言われる指揮者になった。73年から29年間、アメリカ五大オーケストラの一つであるボストン交響楽団、2002年から8年間、ウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めた。

長野県松本市で定期開催されている「セイジ・オザワ松本フェスティバル」の総監督を務めるなど、信州との縁が深かった小澤さんだが、上越市に幾度か来訪していた。03年7月28日には上越文化会館で、25周年記念事業「小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト4. 上越特別演奏会」が開かれている。

◇偉大であり気さくであり 寺院や校舎でコンサート 旧安塚町、旧牧村を巡り

〝世界のオザワ〟は上越市の中山間地を巡り、クラシック音楽の素晴らしさを伝える活動もしていた。

1995年の夏、小澤さんは世界的チェロ奏者のムスチスラフ・ロストロポービッチ(1927―2007年)や若手の音楽家らと旧安塚町や旧牧村を巡り、寺院や廃校となった学校でコンサートを開いた。

旧牧村では、同年春に閉校した川上小学校(現在の川上笑学館)の木造体育館を小澤さんが気に入り、会場とした。川上笑学館管理人の太田修さん(74)は、小澤さんに「ここでは人が3人か5人くらいしか集まらないですよ、と話したら、小澤さんは『それでいい。地元の人に、音楽の素晴らしさを伝えたいんだ』と言われた」と振り返る。

コンサート前の音合わせ。張り詰めた空気の中、楽器が音を出した瞬間に小澤さんが「君と君、音が違う」と声を発したとき、太田さんは「音楽のことはよく分からないが、すごい人だと感じた」と話す。

コンサート後は子どもたちと一緒にドッヂボールをして楽しんだ。服装がバラバラでチームメートがお互いに分からないだろうと、真っ先に小澤さんがシャツを脱いで「俺のチームは上半身裸だよ」と言った。太田さんは「その写真は後に、ある音楽雑誌に載ったと知人から聞いた」と話していた。

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