川崎ブレイブサンダース篠山竜青が語る「ポイントガードへのこだわり」

2024年7月から開催されるパリオリンピックの出場権を獲得したバスケットボール男子日本代表。5連敗で苦杯を嘗めた2019年の中国ワールドカップとは一転し、2023年大会では3勝を挙げた男子チームの躍進は、これまで日本バスケットボール界が歩んできた軌跡が誤りではなかったことを改めて証明する結果になった。

前回の中国ワールドカップで男子バスケットボール日本代表のキャプテンを務め、今季は3シーズンぶりに単独で川崎ブレイブサンダースの主将に就任した篠山竜青選手に、日本バスケットボール界の現状、自身のプレースタイルに対するこだわりについてインタビューで聞いた。

▲篠山竜青【WANI BOOKS-“NewsCrunch”-Interview】

世界の舞台で戦うスタートラインに立った日本代表

東京オリンピックで女子バスケット日本代表の銀メダル獲得に貢献したトム・ホーバス氏が、男子代表チームの監督に就任したことについて問うと。

「トム・ホーバスHCによるシステムの変更、スピードを生かしたスタイルのチームに変わったことが勝利につながった。それに加えて、長期的な強化の成果が実り、ようやく世界の舞台で戦える体制が整ったことが大きかったような気がします」

残念ながら篠山は出場できなかったが、“日本バスケットボール界の夜明け”として、2016年のリオオリンピック最終予選(OQT)を挙げてくれた。

「長いあいだ跳ね返されてきたアジアの壁を乗り越えて、欧州の強豪国と戦うことができた。試合に敗れてオリンピックに出場することはできませんでしたが、世界の舞台で打ちのめされた反省がスタート地点になったんじゃないかな」

中国ワールドカップでは、日の丸のジャージを着て、日本代表のキャプテンを務めた篠山は、自身の経験を交えながら、日本バスケットボール界が躍進した理由を推察する。

「“世界”という物差しを感じ取り、できないものがたくさんあるなかでも、何を武器に戦っていくのかが見えた。そして、段階的に世界の舞台に立つ機会が増えてきたことも大きいのではないか。

上海のときには渡邊雄太(現サンズ)、八村塁(現レイカーズ)、ニック・ファジーカス(川崎)たちがいて、これまでにないタレントが揃っていましたけど、世界の舞台で戦った経験を出場した僕らだけじゃなくて、バスケット界全体でどのように捉えて、次につなげていくかが大切だと思う。そういう意味でも、前回の経験が現在の代表にもつながってくれていたらうれしいですね」

高校の先輩から学んだキャプテンシー

篠山とバスケットボールとの出会いは小学校3年生の頃、強豪として名を馳せるミニバスケットチーム「榎が丘ファイターズ」への入部がきっかけだった。

身長がそこまで高くなかった篠山は、母親のアドバイスもあってバスケットを始めてすぐにPG(ポイントガード)を選択。気づいたときにはPGをやっていたと当時を振り返る。篠山少年が憧れていたのは、“史上最も攻撃的なガード”と言われたアレン・アイバーソン選手。誕生日にシグネチャーモデルのシューズを買ってもらったことが思い出に残っているという。

横浜市内の中学を卒業後は、バスケットボール選手になる夢を掴むため、福井県の強豪である北陸高校に越境進学し、2006年にはインターハイを制覇。その後は日本大学へ、3年生だった2009年に全日本大学バスケットボール選手権大会(インカレ)で優勝を成し遂げた。

「目標に対するアプローチを考えながら、みんなで結果を手にする達成感や喜びは素晴らしいものでしたし、高校と大学での成功経験の喜びをまた味わいたいという気持ちが、ここまでバスケを続けてこられたモチベーションにもなっていると思います」

今シーズン3年ぶりに川崎のキャプテンに就任した篠山が理想とするのは、北陸高校が優勝したときにキャプテンを務めた八木昌幸氏(現・北陸高校アシスタントコーチ)の統率力だという。

「八木さんは優勝するという覚悟を、言葉や背中で見せてくれた方でした。当時の僕はキャプテンとは無縁の選手で……どちらかというと、みんなを困らせるタイプだったこともあって、八木さんと一緒に過ごすことが多かったんです。そこでキャプテンに必要なリーダーシップなどを学ばせてもらったような気がしますし、寮でみんなと過ごした高校の3年間は、僕にとって貴重な経験をさせてもらえた時間でした」

高校と大学で日本一の栄冠を手にした篠山は、アンダーカテゴリの日本代表に選出されるなど、着実にステップアップを重ねるが、東芝ブレイブサンダース(当時)に加入した2011年にはリーグ最下位(8勝34敗)も経験。“エリート街道”を歩んできた篠山に、当時を振り返ってもらった。

「あの当時は信じられないぐらい勝てなくて、本当にツラかった。若い頃は、目の前のツラいことから逃れたくてお酒を飲んでみたり、気分転換としてバスケットボール以外の違うことをやってみたりもしたんですけど、結局は次の日にたくさん練習することでしか、そのストレスを解消できないことに気づいたんですよね。

勝敗はもちろん大切ですけど、自分一人だけではコントロールできないところもある。だから、結果そのものよりも、前日の練習内容など、そこに至るまでの道のりを大事にするようになりました。僕は勝負どころになればなるほど、“このシュートを決めたらカッコいいだろうな”というバスケットを始めた頃の思いが込み上げてくるんです」

▲学生時代の思い出を語ってくれた

篠山の競技に対する思いやPGとしてプレーする醍醐味は少年時代から変わらないが、この10年間でPGが求められる役割は大きく変化している。

「10年くらいまでのPGは、“コート上の監督”として味方に指示を出すことが求められたし、 僕自身もそれを叩き込まれてきたんです。それが、ゴールデンステート・ウォリアーズが優勝した頃(2015年)から、ステフィン・カリー選手のような“シュートを放つPG”がトレンドになり、いかにしてスリーポイントを効率よく打つかが重視されるようになりました。

PGとして求められるプレースタイルも変わりつつあると思いますが、そんな時代だからこそ、僕のようなオールドスタイルな司令塔的な役割を果たす選手も、存在感を示せる場所があると思っているんです」

今季の川崎は、藤井祐眞、納見悠仁そして篠山というタイプの異なる3人のPGを起用している。

「手振りを交えながらチームメイト全体を動かしていく僕、コートを自由に動き回りスコアを重ねていくスタイルの藤井祐眞選手。それぞれがプレーしている時間によって、バスケットのスタイルにも少し違いが出てくるので、それを感じてくれたらうれしいですね。シュートを狙いに行く以外のPGの仕事を見ていただけたら、もっと試合が楽しめるようになるんじゃないかと思います」

ワールドカップの影響もあり、Bリーグの試合を見に行く人が増えている。同じポジションでも選手によって違うプレースタイルなどにも注目すれば、より深い楽しみ方が見つかるのかもしれない。

(取材:白鳥 純一)


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