『HiGH&LOW THE 戦国』は自分自身の“呪い”を解く物語に シリーズを更新する現代性

1月29日からTHEATER MILANO-Zaでスタートした舞台『HiGH&LOW THE 戦国』。舞台は『HiGH&LOW』シリーズでなくてはならない存在となった立木文彦のナレーションにより、《須和国》《乃伎国》《尊武国》が紹介される。

発表されていたビジュアルの通り、砂をイメージした《須和国》、水をイメージした《乃伎国》、火をイメージした《尊武国》、それぞれの特徴が音楽やダンスとともに、より明確に伝わってきた。

実際に観た感覚では、《須和国》は争いを望まない「優しい」国であるが、その中にどこか寂寞とした雰囲気が漂っている。《乃伎国》はさざ波のように静かであるが、水のような冷たさが感じられ、《乃伎国》は、とにかく燃え滾るように激しく好戦的で、触れると火傷しそうな感覚を得た。

それは、それぞれの国に生きるキャラクター……《須和国》では劔黄伊右衛門=黄斬(片寄涼太)や、村上吏希丸(瀬央ゆりあ)、《乃伎国》では神洲崎湧水(水美舞斗)、姫川弦流(藤原樹)、《尊武国》では上宮地玄武(RIKU)、白銀相生(浦川翔平)……によって形作られている。

「『HiGH&LOW THE 戦国』前に必見! “沼”に落ちる『HiGH&LOW』シリーズの魅力とは?」というコラムでは、「物語が単なる物語でなく、出演する俳優たちと一緒にうねりのようなものを生み出し、演じる本人たちも一緒に変化していく。そんなうねりを観客として体感していくことも、『HiGH&LOW』シリーズの最大の魅力ではないかと思える」と書いてきた。

また『HiGH&LOW THE 戦国』の記者会見では、片寄涼太も「自分の今の立場やこれからの人生……そういったものを考えさせられるメッセージが込められている、と思いました」とも語っている。

実際に舞台を観てみると、演じる本人と役の間に、単に「演じる」というだけではない関係性が見えてくる。というのも、《須和国》《乃伎国》《尊武国》のリーダー、指導者である黄斬、湧水、玄武はそれぞれがリーダーたることに対して葛藤を抱いていて、その描写が現代人にも共通するような部分があるからだ。

こうした葛藤は、演じる片寄、水美、RIKU自身に重なるようにも見えるし、3人が立っている居場所についての葛藤と繋がっているようにも見える。それぞれのファンであれば、より繊細に感じられるだろう。もっと言えば、その葛藤は、舞台を見ている観客、ひとりひとりにも、どこか他人事ではないような部分があるように感じられるのだ。

それぞれのリーダーの性質について語るならば、黄斬はもともと優しい性格で争いを好まないが、そのようなスタンスのままで果たして戦国の世の中で、人を率いていくことができるのだろうかという思いを抱いていて、周囲のものもそれを感じている。

湧水は、リーダーとして生きる宿命を与えられて生きてきて、その責務をまっとうしようと努力しているが、そのために、本来の自分を抑えて、心を鬼にして擬態して生きているようなところがあり、自分でも気付かぬうちに、そのことに傷ついている人なのではないかと思えた。

玄武は、その生い立ちから、戦って勝つこと、それによって得た「力」のみが信じられるという人間だ。戦うことこそが生きることであると思い込み、ひとりでそれを背負い、「力」におぼれてしまったようなところがある。

こうした3人の葛藤は、物語の中のこと、戦国の世の中のことであると切り離してみれないようなところがある。現代人も、周囲の人間との関係性の中で生きていくうちに、あまりにも周囲のことを気にしすぎて、自分本来の姿を隠してしまったり、自己肯定感が持てなかったりすることもあるだろうし、自分の役割を見つけ、それを背負っているうちに、本来の自分が見えなくなったりすることもあるだろう。さらに、自分の背負っているものに対して気負いすぎて、周りが見えなくなったりすることはあるだろう。

そして、そのような葛藤があることで、物語の中のヴィラン=蛇之内糜爛(阿部亮平)につけこまれ、翻弄されてしまう。心の中に迷いや隙が生まれたことで誰かにその隙をつかれることも誰にでもあることだ。

しかし、黄斬、湧水、玄武の隣には、吏希丸、弦流、白銀がいる。彼らがどのようにそれぞれの葛藤に気付き、寄り添い、そっと見守り、打破するための助言を与えて、それに気付きを得るのかが、この舞台のクライマックスになっているとも言える。

これまでの『HiGH&LOW』シリーズにも描かれていた部分なのかもしれないが、『HiGH&LOW THE 戦国』は、より、自分にかけられた「呪い」を解く物語でもあるのかもしれないと思えた。

(文=西森路代)

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