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毎年のように新技術が投入され、日本の4メーカーが世界4大メーカーとして覇権を争っていた時代。メーターに320km/hの文字が刻まれた最速マシンし、「乗れるものなら乗ってみろ!」のビッグネイキッドが登場した。そして1996年には新たな免許制度が施行される。
●文:ヤングマシン編集部
大型免許が教習所で取得できるようになりビッグバイクブームが到来
限定解除、つまり自動二輪免許中型限定(いわゆる中免)から中型限定の条件を外すために、各都道府県の試験場で技能試験(限定解除審査)を受けなければならなかった時代は、平成8年(1996)をもって終わりを告げる。免許制度が変わったことにより、大型二輪免許の実技試験を教習所で受けられるようになったのだ。そして、それ以前は免許証の「自二」の区分に条件として「自動二輪は中型に限る」があるかないかで区別されていたが、「普自二」「大自二」と分けて記載されるようになったのである。ただ、限定解除したライダーの免許証には制度改正後も一定期間「自二」の記載が残っていたため、しばらくの間はこれが限定解除ライダーにとってひそかなプライドとなった。
教習所で免許取得が可能になることは数年前から議論されていた。そして平成8年(1996)からの実施が確実となるや、大型二輪需要の急激な拡大を見越してヤングマシン編集部は’94年秋に姉妹誌「ビッグマシン」を創刊。これはのちの平成28年(2016)に役割を終えて休刊した。
そんな時代背景もあり、この平成2~8年あたりに生産されたビッグバイクは、逆輸入車、国内仕様を問わず注目度が高く、高嶺の花から時代の主軸へと様変わりしていった。この免許制度の変更にあたっては、実施前後でビッグバイクの中古車価格が激変。ちょっとしたバブルの様相を呈していたことが記憶にある読者もいるのでは?
平成2年にはスーパーファミコンが発売されたほか、いわゆるバブル景気が最後の輝きを放ちはじめていた。平成4年は東海道新幹線で「のぞみ」が運転を開始し、長谷川町子が死去。バブル崩壊後、平成7年には阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件などが記憶にも記録にも残る出来事となっている。
KAWASAKI ZZ-R1100──’90年代最速競争をもたらしたラムエア巨艦
’90年代のビッグバイクシーンは「最強・最速」の座を各メーカーが鎬を削って争う時代でもあった。’90 年に初代C1型が登場したカワサキZZ-R1100がその引き金になったと言っていいだろう。320km/hまで数字が振られたスピードメーターは相当なインパクトを当時のライダーたちに与えることとなった。’93年に進化したD型は、ラムエアダクトを2個に増やし、カウルもさらに空力性能を高めるなど高速性能を追求。また燃料タンク容量を3L増加、リヤタイヤのトレッドサイズアップ、ブレーキまわりの強化など、走り全体の底上げも行われた。実際にはストック状態での実測300km/hオーバーは叶わなかった が、プロ・アマ問わずカスタムでこれを狙う者が続出。数々の伝説を世界各地に残すこととなった。
HONDA CBR900RR──元祖スーパースポーツワインディングヒーロー新時代
「大排気量化によるモアパワー」という当時の流れに反し、「750ccクラスの軽量車体にワンクラス上のパワーで運動性能に長けた新ジャンルを」と誕生したのが、元祖スーパースポーツの初代ファイアーブレードだ。国内ではデビュー当初こそ最速路線の大排気量車に世間の人気が集まってはいたが、パワーウェイトレシオに優れたパッケージングは重量級オーバーリッター車の不得意とした峠でその性能を遺憾なく発揮。着々とファンを広げて、モデルチェンジも重ねられていった。やがて’90年代末から大排気量最速路線との人気は逆転。’00年代からはバイクシーンの最前線としてスーパースポーツの天下となっていくのである。
HONDA NR──唯一無二の楕円ピストン量産車
’79年にホンダがWGPに復帰した際、2ストに4ストで勝つため作り上げられたのがレーサーのNR500。そのV4エンジンは楕円ピストンにより実質V8とも言える前代未聞の技術が投入された。しかし、2万回転以上回るもそれにバルブまわりがついていけないなどメカニズムの問題が山積。可能性は見せながら、残念な結果に終わってしまった。このNR500開発当初からあった「技術を市販車に生かす」という目的が実現したのは約10年後。楕円ピストンの750㏄、V4を持つNRは、’90年東京モーターショーでのプロトタイプ発表後、’92年に市販化。夢に挑戦するホンダを表すフラッグシップとして、また520万円という価格もあって話題となった。
HONDA RVF/RC45──V4レプリカここに極まる
TT-F1からスーパーバイクへのレースレギュレーション変更に伴い、RC30に代わるレースベース用ホモロゲモデルとして登場。90度V4 エンジンはサイドカムチェーン化やホンダ市販車初のPGM-FIで全面進化し、車体面も剛性が見直された新フレームで戦闘力をアップ。ワークスマシンもこれをベースに作られ、全日本や鈴鹿8耐などで快勝を続けた。
YAMAHA GTS1000/A──異色メカニズムを満載
フロントに加速・制動時の挙動変化の少ない片持ちのスイングアーム式の足まわりを採用したユニークなリッターツアラー。FZR1000譲りの5バルブ直4エンジンを強度メンバーとして左右から挟み込むオメガ(Ω)形状のメインフレームも独特だった。またエンジンには時代に先駆けFI化も導入するなど技術的意欲作だった。ABS付きのAも併売。
YAMAHA TDM850──オンロード版テネレ
それまでXTZ750スーパーテネレをオールラウンダーとしてオフロード以外にも使っていた欧州ユーザーは多かったが、もっと思い切りオンロード寄りでいいんじゃないかと排気量アップ&デルタボックスフレーム化も施して誕生。使い勝手の良さで大ヒットとなった。そのコンセプトは現在のトレーサー900に通じていると言えよう。
HONDA CB1000 SUPER FOUR──ネイキッドキング、ここに誕生
レプリカブームの次に到来したのは、硬派で普遍的なオートバイらしさが求められたネイキッドブーム。またオーバー750cc市場はそれまでの5年間で約1.8倍の伸びを示しており、さらに伸びると推測されていた。ホンダはこれに「PROJECT BIG-1」と称してCBブランドを再構築。パワフルな998cc直4をリヤ2本サスのダブルクレードルフレームに積んだ迫力あるマッスルフォルムをCB1100Rを彷彿とさせる白×赤のカラーリングでまとめたCB1000SFは、東京モーターショーでコンセプトモデルが発表されるや大反響となった。さらに市販正式発表を鈴鹿8耐会場で行いマーシャルカーとしてサプライズ走行。一躍ブームの頂点に上り詰めた。
HONDA CB400 SUPER FOUR──400版ビッグワンはベスト・オブ・教習車
東京モーターショーでのCB1000SFコンセプト発表後、先に市販モデルとして登場したのはCB400SF。1000SFのフォルムを忠実に受け継いでおり、まだ市場の主力だった中免ライダーたちは熱烈大歓迎。最初はこれに乗り、やがて大型にステップアップしていった者も多い。素性の良さはもはや語る必要がないだろう。
YAMAHA XJR1200──空冷&オーリンズが光る
カワサキ・ゼファーに始まる国内ネイキッドブームに対し、後発組となるヤマハが出した回答はFJ1200の直4エンジンをベースに作ったXJR1200だった。ホンダCB1000SFやゼファー1100より排気量は上、しかも空冷とあって人気は上々。さらにライセンス生産品ながらオーリンズのリヤショックを標準装備というのもライダー心理を心得ていた。
SUZUKI GSF1200──スズキはジャジャ馬路線
当時、250&400でバンディットが当たっていたからか、リヤ2本ショックの王道スタイルではなくモノショックでビッグNK市場にも参戦したのがスズキ。クラス最軽量、最コンパクト、GSX-R1100ベースの高レスポンス油冷エンジンでネイキッドらしからぬスポーツさを見せ、ライバルとは別路線を狙っていた。その評価は日本より海外で高かった。
KAWASAKI ZRX1100──カワサキネイキッド第2の柱
後発ライバルたちに対してカワサキも水冷ネイキッドでテコ入れ。ローソンレプリカをオマージュして走りのイメージを前面に押し出した。実際にZZR1100ベースの力強いエンジンや、CB&XJRよりコンパクトな車体とすることで運動性能で勝り、スポーティ派のライダーを掌握。空冷ゼファーとの2本立てでカワサキネイキッド市場を支えていった。
HONDA HORNET──極太リヤタイヤで250ライダーのハートをガッチリ
CB1000SF&400SFの大ヒットと裏腹に、ジェイドで苦戦していたホンダの250ccネイキッド市場。だが、その後継となるホーネットは、みごと巻き返しに成功した。その理由は、なんといってもビッグバイクと同じ180/55ZR17サイズの極太リヤタイヤ。250ccとは思えぬグラマラスなリヤビューがホーネット最大の魅力だった。中免ライダーと言えどビッグバイクへの憧れは、もはや止められない流れとなっていた。今となっては、モーターのように回る250cc4気筒も超お宝である。アップタイプのマフラーも当時の市販ノーマル車としては実に斬新でスポーティ。クラスを超えた魅力があった。
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