【陸上】男子マラソン世界記録のキプタム、24歳で事故死 | サブ2に迫る

世界新となる2時間0分35秒を記録、シカゴマラソンで優勝したキプタム=2023年10月8日 写真:USA TODAY Sports / ロイター / アフロ

男子マラソンで前人未踏のサブ2(2時間切り)を視野に入れていた世界記録保持者、ケルビン・キプタム(ケニア)が2024年2月11日、24歳の若さで交通事故で亡くなった。2023年10月のシカゴ・マラソンでエリウド・キプチョゲ(ケニア)の従来の世界記録を34秒更新する2時間0分35秒の「衝撃」から4カ月と3日目の日曜日、23時ごろだった。現地報道によると、自身が運転する車がコントロールを失い、木に激突して60m先の溝に車ごと吹っ飛ぶ単独事故だったという。シカゴ・マラソンの世界記録は国際陸連(WA)によって、2月6日に認定されたばかりだった。同乗していたルワンダ人コーチ、ジャーヴェ・ハキジマナさんも死亡、同乗者の女性は重傷を負った。(Pen&Sports編集長・原田 亜紀夫

2時間0分35秒のシカゴから4か月後

初マラソンだった2022年12月のバレンシア・マラソン(スペイン)で2時間1分53秒を出して世界を驚かせた。もちろん初マラソン歴代最高、世界歴代でも4位の記録だった。翌2023年4月のロンドン・マラソンでもさらにタイムを縮め、2時間1分25秒のコースレコードをマーク。シカゴも合わせマラソンで3戦全勝。昨年の国際陸連(WA)の年間最優秀選手に選ばれ、招待選手としてエントリーしていた4月14日のロッテルダムマラソンやパリ五輪で2時間切りを狙っていた矢先だった。

世界記録を更新したシカゴではハーフを1時間0分48秒で通過した。30キロまではペーサーの後ろで待機策をとり、そこから誰も成し遂げたことがない猛スパートで大記録につなげた。30kmからの5kmを13分51秒、14分01秒でカバーし、後半のハーフは59分47秒。驚異のネガティブスプリットを刻んで2時間0分台に突入した。

13歳から陸上を始めたとはいえ、2022年12月までキプタムはフルマラソンを走ったことがなかったことを鑑みると、驚くべき短期間で急激な成長曲線を描いていた。世界最速に上り詰めるまでわずか10カ月。競技の特性上、マラソンは経験を積めば積むほど記録が向上する傾向にあるだけに、24歳の急死はとてつもなく大きな可能性が失われたことを意味する。

6年前までシューズを買えず

キプタムはケニア西部の村で生まれ育った。リフトバレー地域のエルドレットの町から37キロ離れた小さな村という。農場で育ち、幼いころは家族の牛の世話を手伝うために裸足で家畜の群れを追っていた。走ることに興味を持ったきっかけは、自身のいとこがエチオピアの偉大なランナー、元世界記録保持者のハイレ・ゲブレセラシエのペースメーカーとして報酬を得ていたことを知ったことだった。しかし、6年前まではトレーニングに励んでも芽が出ず、レースで走るためのシューズを買う余裕もなかった。

キプタムは昨年、BBCのインタビューでこう回想している。「父は私に電気技師の資格を取得するために勉強するように望んでいましたが、私は父にアスリートになるんだと言いました。私にはその情熱があったのです。しかし、ある時期はとても大変でした。4年間トレーニングしてきたのに成果が出ず、家族も私に失望していたからです。でも私は努力し続けました」

オツオリ37歳、ワンジル24歳…若くして逝ったケニアのランナー

気がかりなのはケニア出身のマラソンランナーには、短命が多いことだ。過去には日本にもなじみ深いケニア人ランナーも若くして逝った。2006年8月31日、山梨学院大の留学生として箱根駅伝で3年連続の2区区間賞、その後実業団の重川材木店陸上部総監督に就いたジョセフ・オツオリさんは日本から一時帰国中のケニアで自動車を運転中、バスと衝突して亡くなった。37歳だった。

仙台育英高のケニア人留学生で、トヨタ自動車九州にも在籍したサムエル・ワンジルさんも北京五輪で金メダルを獲得した3年後の2011年5月15日、自宅で不審な死を遂げた。マラソンは7戦5勝。人生最後のマラソンはキプタムと同じシカゴで、キプタムと同じ24歳で亡くなった。酒を飲んだ上での自殺、もしくは事故と現地で報道されたが、その死の4か月前にはケニアで交通事故に遭い、負傷していた。

筆者は朝日新聞スポーツ部記者時代、ワンジルさんからケニアでのトレーニング中に、何度か事故に遭いかけたという話を聞いていた。不整地の渓谷沿いを猛スピードで車が砂煙を上げながら、バウンドしながら走ってくるから危ないんだと話していた。飲酒運転も日常茶飯事だという主旨の話だったと記憶している。キプタムの事故死を受け、山梨学院大ではオツオリさんの後輩で、トヨタ自動車九州ではワンジルさんのマネジャーだった渕脇勝志さんと連絡をとった。「残念。あの国はなんでいつもこうなるのかな。複雑だよ」と声を落としていた。

ケニアに4回の渡航歴がある渕脇さんは、ワンジルさんや山梨学院大でチームメートだった真也加ステファンさん(51)=桜美林大学駅伝監督=から、ケニアでの夜の運転は危険だという理由で、目的地までの途中で無理やりホテルに泊まらされた経験があるという。「マヤカ(真也加さん)もサムエル(ワンジルさん)も、夜には運転をしないと言っていた。車のヘッドライトに野生のサイやゼブラなどの大きな動物が寄ってくるから危ないと言われて」と振り返り、キプタムが23時に運転をしていたことを不思議がった。

2008年、北京五輪の金メダルを祝ってワンジルさんに花束を渡す筆者
2007年ロンドン・マラソンでワンジルさんを取材する筆者

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