がん患者に「がんではない」と笑ってごまかす家族はウソつき?ドイツの哲学者「ニーチェ」による深い回答

(※写真はイメージです/PIXTA)

笑顔は時にウソをつきます。相手を思って笑顔でつくウソは正しいものなのでしょうか? 本記事では、佐藤綾子氏の著書『人生がうまくいく笑顔の教科書 科学が証明する笑顔のパワー』(ごきげんビジネス出版)より、「笑ってごまかす」ことの意味について解説します。

相手を傷つけたくない笑顔

本当に笑顔はマジックパワー、素敵なことが次々起きます。

でも、笑顔も時々ウソをつきます。身近な例としては、相手に本心を伝えることのマイナス面を深く考えて、苦しみや悲しみを笑顔でごまかすときかもしれません。

昔の話になりますが、私の父親が胃がんを告知されました。今ではがんの告知があれば、本人にもちゃんと伝え、残りの人生をいちばん楽しく生きましょう、というのが主流です。けれど、当時は違いました。がんは不治の病として、死の宣告と感じる人が多かったのです。本人に言ったらさぞかしガッカリして、急に食欲も何もなくなるだろうと心配し、家族みんなで父に「がんではない」と伝えることにしました。

「薬を飲んでもちっとも治らない。おかしいじゃないか、がんだろう」と言う父に対して、「何を言っているの。お父さんががんなんてなるわけないでしょう。治療がんばろうよ」と、家族みんなで一生懸命に笑顔をつくって父を励ましました。

さて、これはウソつきでしょうか。

「笑ってごまかす」ことの是非

たしかにウソつきといわれればウソつきでしょう。ただ、その本当の気持ちは、相手を傷つけたくない気持ちだったのです。「笑ってごまかす」と言葉があるように、相手を傷つけたくないといった思いやりで「大丈夫、大丈夫」と微笑むことは、どんな人にもあるだろうと思います。

ドイツの哲学者ニーチェの言葉に、「深いものはすべて仮面を愛する。何よりも最も深い事物は、象徴や比喩に対して憎悪さえもつ。反対ということこそ、神の羞恥が着てしずしずと歩くにぴったりした仮装ではあるまいか」があります。

「笑ってごまかす」行為は、ニーチェのいうところの「深いものは仮面をつける」ことでしょう。「よく考えたら、ここはひとつ笑顔でだましとおそう」ということです。これを「ウソつき」とか「欺瞞」とはいえないような気がします。

本当の「快の笑い」ではもちろんありません。でも好意や愛情から出た笑顔のカバーのようなものでしょう。

佐藤 綾子
株式会社国際パフォーマンス研究所 代表

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