泉房穂氏が政治を志した原点 恩師の助言と地元愛 「明石市長になったのは目的ではなく手段」

泉房穂氏(写真:ラジオ関西『としちゃん・大貴のええやんカー!やってみよう!!』黒川良彦)

前明石市長の泉房穂氏が、12日放送のラジオ番組にゲスト出演。政治を志す前に弁護士資格を取得したきっかけや、政治家・明石市長を目指した原点などを語りました。

「明石は大丈夫!」 明石市長として走り切った3期12年 泉房穂氏

ラジオ関西『としちゃん・大貴のええやんカー!やってみよう!!』に出演した泉氏は、冒頭から番組パーソナリティー陣の度肝を抜くようなマシンガントークをさく裂。その話題は、明石特産の「タコ」。『明石・タコ検定』初代達人の肩書も持つ泉氏は、明石だこや玉子焼(明石焼)に関する話を熱弁。それだけで番組の前半パートが終わるほどでした。

そんな明石愛の強い泉氏は、政治の世界に飛び込む前に弁護士資格を取得し、庶民派弁護士としても活動しています。そのきっかけになったのは、恩師の言葉でした。

「石井紘基さんという政治家が立候補するとき、私は20代でしたけど、(秘書として)その最初の衆議院議員総選挙を一緒にさせていただいた。惜しくも次点で落選になったが、そのとき石井さんから『泉くん、選挙を手伝ってくれてありがとう。ただ、いつまでも自分のそばに置いておくわけにいかない。次の選挙は3年か4年後だ。君、弁護士になりなさい』と言われた」(泉氏)

東京大学出身とはいえ、教育学部で哲学を専攻していたという泉氏は、当初、その意見に抵抗したそうですが、石井さんからの一言が強い後押しになったと振り返ります。

「『だまされたと思って(司法試験)受けてみなさい。弁護士になったら本当に困っている人を助けられるし、将来、政治家になるにしても、世の中のことを知ってから政治家になった方が良い政治家になれる。それに選挙は勝つか負けるか分からないものだけど、弁護士になっておけば落選しても胸を張って発言できるから』と説得された」(泉氏)

泉氏は、「君は賢いからね。受けたらすぐ通るよ」という石井さんの言葉を信じて司法試験に挑むも、結果は「3回続けて落ちました……」。

その間に、石井さんは2度目の衆議院議員選挙で当選。「私はまだ落ちていたので、『話が違うやん!』」と思っていた泉氏ですが、翌年、無事に司法試験に合格。そのときには石井さんが大きな花束を持ってお祝いにかけつけたそうです。

弁護士として市民に寄り添う活動を行った経験をいかし、衆議院議員を務めた後、2011年から2023年まで明石市長として奮闘。名物市長として広く知られるようになった泉氏。その言動と行動力で、子育て政策の拡充をはじめ数々の政策を実行し、明石市をいまや住みたいまちランキング上位に押し上げました。

そんな泉氏は、これまでの自身の歩みを振り返り、政治家を志すようになった経緯を次のように明かします。

「私の場合、家が漁師の家系でそれほど裕福でもなく、弟も障がいを持って生まれたので、子ども心に『頑張っても報われないのは良くない』『障がいがあるからと冷たい目で見ないで欲しい』という思いがあった。困っている人に対して寄り添いたいと考えた結果、10歳の頃にはもう政治家になろうと決めていた。政治は未来であり可能性。そこに人生を賭けようと思った」

「私からすると10歳の頃の誓いに忠実に動いて、政治家になって、まちを変えようとしただけ。目標設定も『市長になる』ではなく『市長になって明石のまちを変える』だったので、市長になるのは目的ではなく手段、ゴールではなくスタートだった。47歳の時に市長になって、精一杯駆け抜けてきた12年間だった」(泉氏)

放送の終盤には、還暦を迎えた今の思いについて、「自分なりには、本当に自分の人生に感謝している。こんな濃いキャラクターなのに、多くの市民が本当に支えてくれたし、明石のまちも、今、本当にいい形になってきているので。自分としては充実している」と胸を張った泉氏。

30分の番組内では、話が収まり切らず、急きょ、次週の放送にもゲスト出演することが決定。「最初のデートをして、2回目がないのは、寂しいですやん! 私、意外と気が弱いので、どう思われてるかなって気にしていたけど、『もう1回来てね』というのはうれしいですね!」と、独特の表現で2週連続ラジオ出演決定を喜んでいました。

※ラジオ関西『としちゃん・大貴のええやんカー!やってみよう!!』2024年2月12日放送回より

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