[社説]ランドセル以外も 学校の当たり前を問う

 入学シーズンを前に、ランドセル以外の通学バッグを自由に選択していい、と呼びかける動きが広がっている。そもそもなぜみんながランドセルを背負うのか。「選択の自由」で試されるのは、少数派が同調圧力に苦しまない教育の実践である。

 沖縄市の山内小学校は昨年11月、在校生の保護者宛てに、「実はランドセルでなければならないと決まっているわけではありません。慣習にとらわれることなく選んで」とする通知を出した。今月開いた入学説明会でもあらためて周知した。

 那覇市教育委員会も市内の小学校36校に対し、かばんを自由に選べる同様の周知を図る方針だ。

 それぞれが理由に挙げるのは、ランドセルを購入する際の保護者の経済的負担の軽減と、ランドセル文化のない外国にルーツのある子どもの多様性への配慮である。

 業界団体の調査によると、ランドセル購入の平均金額は約5万8千円。

 子どもの小学校入学は親にとってうれしい成長の節目だが、ランドセル以外にも体操着や副教材など準備しなければならないものは多く、想像以上に費用がかかり苦労したという話はよく聞く。

 公立校に通う外国籍の子どもが増える中、みんながランドセルを持つ日本の学校文化に違和感を持つ人も少なくないという。リュックサックや手提げを持たせては駄目なのか、戸惑っているのだろう。

 さらに「ランドセルが歩いている」ような新1年生とすれ違うたび、気になるのは体への負担である。

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 もとよりランドセル推奨の法令や指針はなく、対応は各学校に任されている。

 ただ多くの小学校の入学説明会資料に「ランドセル」の記載があり、現実にはほとんどの子どもがランドセルを背負って入学する。

 安全面や収納力、耐久性に優れているということもあるのだろう。ピカピカのランドセルに憧れる子どもや親の思いもある。

 しかし無理してでもほとんどの保護者がランドセルを購入する背後に、「みんな同じ」を押し付ける同調圧力が潜んでいることを認識する必要がある。

 もちろん「選択の自由」は歓迎するが、違うことがいじめの対象となったり、肩身の狭い思いをするなど少数派が不利益を受けるような学校のままでは選択の幅は広がらない。

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 折しも、沖縄市の球陽高校で服装や髪形など身なりに関する校則を1カ月間「廃止」する取り組みが始まっている。

 集団生活に一定の決まりは必要だとしても、当たり前とされてきたルールに向き合い、真に必要な校則を見極める生徒主体の興味深いチャレンジである。

 違うことこそ当たり前で、さまざまな特性が認知され、多様性が尊重される社会をどうつくっていくか。

 ランドセル以外もOKと積極的に発信する今の動きを、学校の当たり前を見返す機会にしたい。

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