侍ジャパン前監督・栗山英樹氏が感服する、ダルビッシュの“人間力”エピソード

(※写真はイメージです/PIXTA)

「親愛なるダル!このチームになぜあなたが必要なのか」2023年3月のWBCにおいて、栗山氏に、このチームはもう彼のチームであると言っても過言ではないとまで語られたダルビッシュ有選手。本記事では、その練習初日から最終試合の最後までチームファーストを貫ききった彼の様々なエピソードを紹介します。※ 本記事は2023年7月刊行の書籍『栗山ノート2 世界一への軌跡 』(光文社)より一部を抜粋、編集したものです

侍ジャパンの若い選手たちの憧れダルビッシュ

次にダルに会ったのは、22年の12月上旬でした。WBCの監督会議が、彼が所属するパドレスの地元サンディエゴで行なわれたのです。急いで連絡を取り、会えることになりました。

ダルは数日前にSNSで、WBC出場の意思を示していました。その裏には妻の聖子さんの協力と後押しがあったはずなので、私は聖子さんあての手紙を持参しました。

聖子さんとお子さんも交えた食事会は、とても楽しい時間でした。そこでダルが、「監督、侍ジャパンに僕が参加するのに、最初から合流しないなんてあり得ないですよね。それじゃあ、チームにならないじゃないですか」と言うのです。

その言葉どおりに、彼は2月17日のキャンプイン初日から宮崎に居ました。メジャーリーグで10シーズンにわたってプレーしてきたダルは、侍ジャパンの若い選手たちにとって憧れの存在です。

WBC優勝の象徴“ダルビッシュの雄叫び”

09年のWBC決勝で抑え投手として登板し、優勝を決めたマウンドで雄叫びをあげた姿は、WBCで勝利する日本の象徴的なシーンとして記憶されています。そのダルが、若い選手と積極的にコミュニケーションを取っているのです。

それだけでなく、「それはどういうふうに投げているの?」と、質問までしています。スマートフォンで投球フォームを撮影して、一緒に確認したりもしていました。どの選手の顔にも「楽しい」と書いてあります。初日から充実感に満ちた練習となりました。ダルこそは現場の責任者であり、彼に一任しておけば間違いないと私は確信しました。

宮崎キャンプでのダルは、一切の見返りを求めていませんでした。グラウンド上で多くの選手とコミュニケーションを取り、休日には食事会を開いて交流を深めました。投手陣が集まった食事会は、『宇田川会』と名付けられました。調整に苦しんでいた宇田川を励ますためであり、「自分がチームを勝たせる」という当事者意識を植え付けるためだったのでしょう。

オフの食事会は、野手の選手とも行なわれました。ダルの心配りとしてメディアでも取り上げられましたが、実は宿泊先でも彼のアイディアからコミュニケーションが深まっていきました。

新型コロナウイルス感染症の対策として、大人数での食事は同じ方向に机を並べて黙食、というスタイルが取られてきました。

ここでダルが、「これだと話ができないので、大きな丸テーブルをいくつか置くように変えられませんか」と聞いてきたのです。基本的な感染症対策を続けつつ、食事中も野球の話ができる環境を作ると、やはりコミュニケーションが活発になりました。

宮崎キャンプを終えて、京セラドームでの強化試合に臨んだ際にも、ダルの気配りを目の当たりにします。京セラドームはオリックスの本拠地で、所属選手のグッズが売られています。そこで、チームマネジャーに頼んで宇田川のキーホルダーを買ってきてもらい、写真付きでツイッターに投稿しているんです。

親愛なるダル!このチームになぜあなたが必要なのかを、様々な場面で説明させてもらいました。宮崎キャンプでは初日から一切の壁を作らず、若い選手たちのなかへ飛び込み、伝えるべきことをしっかりと浸透させつつ、10歳以上も年齢が下の選手に質問をして、新たな感覚や思考に触れ、自分の進化の糧にしていく姿勢を見せてもらいました。

宮崎キャンプの初日から決勝戦を終えたあの夜まで、感謝の思いを胸いっぱいに抱えて君を見ていました。報われることを一切求めず、無私の心でチームに尽くしてくれたその姿は、人間としての魅力に溢れていました。

“侍ジャパン(2023)”は“ダルのチーム”

7回裏の攻撃が終わると、球審に選手交代を告げました。「ピッチャー、ダルビッシュ!」

ダルは11年シーズンのオフに、ファイターズからメジャーリーグへ旅立ちました。私はその年の11月からファイターズの監督に就任したので、入れ違いになってしまいました。彼と一緒に野球をするのは、私にとって悲願と言っていいものでした。

最高の試合のこんなにもしびれる場面で、ダルの名前を口に出すことができるのは、無上の幸せでした。調子がいいかどうかは、ボールを見ればある程度分かります。最高のダルではなかったかもしれませんが、彼に投げてもらうことに迷いはありません。

我々のチームがここまで勝ち上がることができたのは、ダルのおかげです。このチームはダルのチームとさえ言ってもいい。もし彼が打たれても、私は心から納得できると断言できました。

スター選手のみにのしかかる計り知れない“プレッシャー”

先頭打者を打ち取りますが、続くシュワーバーに一発を浴びました。3対2、1点差です。スタジアムを包む空気は、恐ろしいほどに張り詰めています。アメリカの威圧感も、それまでより明らかに増しています。

続くターナーにもヒットされ、同点のランナーを出してしまいます。並の投手なら、逃げ出したくなるに違いありません。それでも、後続の打者を打ち取って、ダルは3対2とリードを守ってマウンドを降りました。

どれほどのプレッシャーを、ダルが感じていたのでしょう。想像することはできますが、実感することはできません。準々決勝のイタリア戦はこちらの時間だと3月15日で、この日は21日です。

ダルは「移動のスケジュールを考えると、イタリア戦から決勝までは中3日半のイメージですね」と話していましたが、それでもマウンドに上がってくれました。この回投げた18球に、ダルは投球術や間の取りかた、ボールの使いかたなど、現時点でできるすべてを注ぎ込んだのでしょう。

チームファーストを貫いたために自分の状態を上げきれなくても、これだけ重圧のかかる場面をどうにかして切り抜ける。1点は失いましたが、ダルのすごみを感じました。

WBCにおける侍ジャパンには、数々の名場面があります。私たちもいくつかの名場面を作ることができましたが、ダルと翔平でこの決勝を締めくくるのは、我々も、ファンのみなさんも、一番納得できる形でしょう。そのうえで勝つことで、このアメリカ戦が歴史になる、と考えていました。

栗山英樹

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