リアルサウンド連載「From Editors」第47回:『ウルトラマンブレーザー』が描いた争いの無意味さ 劇場版も鑑賞

「From Editors」はリアルサウンド音楽の編集部員が、“最近心を動かされたもの”を取り上げる企画。音楽に限らず、幅広いカルチャーをピックアップしていく。

第47回は、特撮とメタルが好きな信太が担当します。

対人関係から国家・人種間まで、対話をテーマにした物語

1月20日に最終回を迎えた『ウルトラマンブレーザー』。その後を描いた劇場版『ウルトラマンブレーザー THE MOVIE 大怪獣首都激突』が2月23日に公開されたので、公開日に早速観に行ってきました。

『ブレーザー』は本当に名作と言えるウルトラマンだったので、今回はテレビシリーズを総括しながら、劇場版の見どころも紹介していきます。ちなみに、劇場版の冒頭には簡単なテレビシリーズのダイジェスト映像が流れるので、シリーズを観ていなくても劇場版を楽しめますよ。

田口清隆監督がシリーズ放送開始前から言及していたように、『ブレーザー』の主題は“コミュニケーション”でした。それは、身近な対人関係から組織・国家・人種間の対立に至るまで、人類が直面しているあらゆる課題を昇華したものだったと言えるでしょう。

シリーズ序盤、怪獣の出現に伴って「特殊怪獣対応分遣隊 SKaRD」という新チームが発足し、隊員5人がまとまっていく過程が描かれます。上層部から圧力をかけられながらも、隊員一人ひとりの個性を尊重して任務を行うにはどうすべきか、平等に意見しやすい環境を作るにはどんな組織運営が必要なのか……といったことにフォーカスが当てられ、各隊員のキャラクター性が早い段階からストーリーの魅力に直結していきました。また中盤では、ヒルマ ゲント(蕨野友也)隊長と、バディであるウルトラマンブレーザーとの意思疎通が噛み合わなくなる展開が描かれました。言語がわからない相手と手を取り合う上で大切なことは何か。あるいは、一緒にいる身近な人の意見ほど、耳を傾けられていないのではないか。ウルトラマンに変身するゲントに妻子がいるという設定も相まって、視聴者の生活や仕事をそのまま落とし込みながら鑑賞できる、“社会の縮図”ゆえの没入感とリアリティが『ブレーザー』の核になっていました。

そして『ブレーザー』の評価を最も決定づけたのは、今の国際情勢を反映したクライマックスでしょう。国家間の戦争は、たった一人の人間の傲慢さから生まれてしまう時があること。未知なる相手を理解しようとする前に、真っ先に銃口を向けてしまうほど人類は愚かだということ。争いの先に豊かな生活はないこと。このあたりは、近年のロシアによるウクライナ侵攻やBlack Lives Matterなどを踏まえたものでしょう。武器を放棄し、コミュニケーションを取りながら問題の根本と向き合う大切さを、ヒーロー作品として描く挑戦。田口監督自身も「普通の勧善懲悪みたいな話は作れな」かったと企画段階のことを振り返っています(※1)。また、戦争は止められても、解き放たれてしまった怪獣兵器(現実に置き換えるならミサイルや核兵器)には対処しなければならない虚しさや、戦争のトリガーを引いた張本人を問いただすことはしてもキャンセルしないという選択まで描き切っていたことには、思わず感服しました。

『コスモス』『ガイア』との共有項も

「今は私たち人類も、未来が見たい」

最終回でアオベ エミ(搗宮姫奈)隊員から放たれたこの台詞は、シンプルながらも非常に心を打つ一言でした。戦争や災害によって“物理的”に、誹謗中傷やストレスによって“精神的”に、個人の自由に対して不寛容なシステムによって“社会的”に。我々は声を大にして、生きづらいと言える現実に直面しています。だからこそ「未来が見たい」という純粋な気持ちは、苦しい境遇を背負った異星人との戦争を回避する上で、確かな効力を発揮していたと言えそうです。

この『ウルトラマンブレーザー』、放送開始当初からよく『ウルトラマンガイア』(1998年)との共通点が話題になっていました。確かに、ワームホールを通って宇宙からやってくる未知の存在に、人類と地球怪獣が一丸となって立ち向かう展開は『ガイア』に通ずると言えます。一方、個人的には、争いを回避することによって美しく物語を締め括った『ウルトラマンコスモス』(2001年)を強く思い出しました。

慈愛の精神で、怪獣を“守る・保護する”概念を初めてストーリーのメインに組み込んだ『コスモス』。それは地球を一つのエコシステムと捉えた『ガイア』の先で、対話・共存の大切さを訴え、優しさとは何かを問いかける物語でした。「なぜ敵(カオスヘッダー)が人類を攻撃せざるを得なくなってしまったのか」を考え、ウルトラマンでさえも向き合いきれなかった問題の根源を、対話で解決まで導いた主人公・ムサシ(杉浦太陽)の行動は、今まさに再評価されるべきだと思います。しかも『コスモス』では、登場キャラクターの多くが「この戦いさえ終結すれば日常に戻れるはず」だと信じており、「争いを終わらせるために争う」という負のスパイラルに無意識に陥っていることまで描いていました(『ウルトラセブン』の「血を吐きながら続ける悲しいマラソン」という台詞を思い出します)。月面→街中と戦いの場が移るラスト2話の展開含め、『ブレーザー』は『コスモス』をアップデートした物語だと言うこともできそうです。

劇場版『ブレーザー』から“未来”について考える

こうしたコミュニケーションの大切さは、劇場版『ウルトラマンブレーザー THE MOVIE 大怪獣首都激突』にも引き継がれています。仕事熱心だけど家庭をおざなりにしがちな父親と、父に認めてもらいたがっている孤独な息子による、親子物語。藁をも縋る思いで兵器開発(=争い)に加担してしまう父親の過程を、マッドサイエンティスト的にではなく、ありふれた社会人の“やってしまいがちな出来事”として描いているのも、さすが『ブレーザー』だと感じました。

そんな軋轢を抱えた親子を、息子との向き合い方に悩みながらも乗り越えていった“父親としてのゲント”が救いにいくのは美しかったです。『ワイルド・スピード SKY MISSION』ばりの降下作戦はちょっとうまく行き過ぎですが、SKaRD自体がテレビシリーズでチームワークを高めてきたからこそ、一丸となってミッションを遂行する姿が存分に描かれていたのは素晴らしいと思いました。

今回の劇場版は良い意味で完結感がなく、シリーズ全体としても多くの余白が残されていることから、『ブレーザー』のシーズン2を熱望しています。「今は私たち人類も、未来が見たい」という台詞には、ルールやしがらみに縛られている現代人だって、幸せな未来を信じたいんだという強固な意志が宿っています。だからこそ、SKaRDとブレーザーがこの先どんな未来を築いていくのか、もっともっと観てみたいのです。

最後に、その“未来”についてもう少しだけ考えました。なぜ人類は過ちを繰り返してはいけないのか。1つ言えるのは、過去(歴史上)に起きた様々な出来事が複雑に絡まり合って、今の我々の生活を左右していることを知っているから。同様に、今の我々の決断が(自分自身も含めた)未来の人々の生活を大きく左右してしまうから。例えば、パレスチナ問題は長い歴史の積み重ねの上で起きたことゆえ、一朝一夕で解決するのは困難でしょう。でも、現状を知り、考え、少しでも“未来”の人のために決断することが、今の生活をよくする最良の手段かもしれない。過ちに気づいたなら、向き合い、やり直していくことで、拓けていく未来はきっとあるはずだーー劇場版『ブレーザー』のラスト、半壊した国会議事堂を見てそんなことを感じました。

※1:https://imagination.m-78.jp/contents/d2ViL1lvbWlfMDE0MTQ%3D

(文=信太卓実)

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