海上保安庁が北朝鮮との駆け引きを丸く収めた「九州南西海域工作船事件」

正月に起きた能登半島地震の際、金正恩総書記が岸田首相に電報を送るなど、日本との対話の機会をうかがう姿勢を見せている北朝鮮。以前にも、北朝鮮が日本との対立を回避した事件があった。元海上保安庁長官・奥島高弘氏が、九州南西海域工作船事件で北朝鮮がとった行動について教えてくれました。

※本記事は、奥島高弘:著『知られざる海上保安庁 -安全保障最前線-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

2001年の九州南西海域工作船事件

2001年の九州南西海域工作船事件。有名なのでご存じの方も多いかと思いますが、今から20年以上前、北朝鮮の工作船が不審船として鹿児島県の奄美大島沖で海上保安庁の巡視船に追跡され、銃撃戦の末に沈没したという事件です。

同年12月22日、海上保安庁は防衛庁(当時)から九州南西海域における不審船情報を入手し、直ちに巡視船・航空機を急行させ、同船を捕捉すべく追尾を開始しました。

このとき、不審船が巡視船・航空機による度重なる停船命令を無視し、ジグザグ航行をするなどして逃走を続けたため、巡視船は、海上保安庁法に基づき、射撃警告のあと、20ミリ機関砲による上空・海面への威嚇射撃および威嚇のための船体射撃を行いました。

しかし、不審船は逃走をやめないどころか、巡視船に対して自動小銃やロケットランチャーによる攻撃をしてきました。これに対して巡視船も正当防衛射撃を実施し、激しい銃撃戦が繰り広げられました。

▲不審船の発砲により被弾した巡視船 出典:海上保安庁

最終的に、不審船は自爆用爆発物によるものと思われる爆発を起こして沈没しました。なお、この事件では、巡視船「あまみ」に乗船していた海上保安官3名が、7~10日間ほどの入院・加療を要する傷害を負っています。

事件後まもなく、海上保安庁は、第十管区海上保安本部(所在地:鹿児島県鹿児島市)と鹿児島海上保安部に捜査本部を設置し、全容解明に向けた捜査を開始しました。そして、その捜査の過程で不審船が北朝鮮の工作船であること、薬物の密輸入に関わっていた疑いが濃厚であることが判明します。

沈没した船は、翌2002年9月に引き揚げられ、船体からは、北朝鮮工作員が潜入・脱出するために使用する道具や、極めて殺傷力・破壊力の強い武器が多数発見されました。海上保安庁では、この不審船を北朝鮮工作船と特定するとともに、2003年3月、乗組員10人を海上保安官に対する殺人未遂等の容疑で検察庁に書類送検しました。

自国の船が沈没させられたのに反発しなかった北朝鮮

さて、以上が九州南西海域工作船事件のあらましですが、この事件において海上保安庁は、不審船を捕捉し逮捕するため、国際法・国内法にのっとり対応しています。前述の通り、不審船は海上保安庁の追跡を受け、銃撃戦ののちに爆発・沈没したわけですが、それに対する国際世論からの非難はありませんでした。

では、当事者の北朝鮮はどのような反応を示したでしょうか。

いつものように、無茶苦茶な理屈で日本側を一方的に非難してきたのだろう、と思われたかもしれませんが、じつは反発していないのです。

それどころか、2002年9月の小泉純一郎首相(当時)が電撃的に北朝鮮を訪問した、あの日朝首脳会談において、金正日委員長は「軍の一部が行ったものと思われ、今後さらに調査したい。今後このような問題が一切生じないような適切な措置をとる」と発言しています。

明確な謝罪ではなかったものの、この事件は国家意思ではなく、一部の不心得者が起こした所業だとして、日本との対立を回避しました。

▲引き揚げられた不審船 出典:海上保安庁

なぜ北朝鮮は、この事件に関してまったく反発しなかったのでしょうか。

私は、日本が「違法行為者に対する警察活動」、つまり“法執行による対処”という形をとったからこそ、北朝鮮側もそれに乗る形でメンツを保ちつつ、収める術があったのだと思います。逆に言うと、もし日本側が「我が国に対する武力攻撃だ!」として軍事的対処をしていたら、北朝鮮としても収めどころがなかったかもしれません。

そういう意味でも、この事例は法執行機関が対処したことで、大きな紛争につながらなかった。つまり、法執行機関の緩衝機能が有効に働いた成功事例だと言えます。

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