『ミレニアム・マンボ』音速の徒花、夜の破片を追いかける

『ミレニアム・マンボ』あらすじ

新世紀を迎えたばかりの2001年の台北。恋人のハオと一緒に暮らしているヴィッキーは、仕事もせずに毎夜、酒とゲーム、クラブ通いと荒れた生活を続けるハオにうんざりしていた。仕方なく始めたホステスのバイトで出会ったガオのもとへ逃げ込んだヴィッキーだったが、ガオがもめ事に巻き込まれ、日本へ旅立ってしまう…。

夜の破片


始まりは言葉ではなくネオンの光。ホウ・シャオシェン監督の『ミレニアム・マンボ』(01)は、新世紀の幕開けを祝福するような伝説的なファーストシーンで始まる。ヴィッキー(スー・チー)が長いトンネルを歩いていく姿を、背後から追っていく美しいショット。スローモーション。ブルーのネオンに彩られた夜。ヴィッキーは夜の花であり、夜の破片だ。歩きタバコのヴィッキーが時折カメラの方を振り向いては笑みを浮かべる。自由を手に入れた蝶のように軽やかなステップを踏むヴィッキー。林強の手掛ける四つ打ちのエレクトロミュージックが流れる。観客の瞳が魅惑的な夜の蝶=ヴィッキーを追いかける。10年後の世界、2011年の彼女の声がそこに被さる。未来からの声。ヴィッキーは10年前の自分のことを「彼女」と三人称で語っている。未来のヴィッキーにとって、10年前の自分はもはや「他人」なのだろうか? “私という他人”。ヴィッキーによる未来からの声は、本作に描かれるすべての出来事に先行する。しかしヴィッキーの10年後の姿は描かれていない。

2001年のヴィッキーはとても刹那的に生きている。ヴィッキーは恋人ハオの執拗な監視に耐えている。しかしハオから離れることができずにいる。タバコとアルコールとドラッグ、倦怠と沈黙、そして怒りの爆発。ヴィッキーの生き方は破滅的にさえ思える。伝説的なファーストシーンのロケ地となった基隆の中山陸橋が、その後取り壊されてしまったように、彼女が10年後の世界に存在しているのかどうかも不明だ。

『ミレニアム・マンボ』予告

いまにも消えてしまいそうなヴィッキーが2001年の台北の夜を漂う。ホウ・シャオシェンはヴィッキー=スー・チーに自由を与える。ヴィッキーはカメラのフレームなど最初から存在しないかのように天真爛漫に動き回る。名撮影監督リー・ピンピンによる魔法がかったカメラワーク。まるでカメラがヴィッキーと共にダンスを楽しんでいるかのようだ。

21世紀のホウ・シャオシェンの映画は、ヴィッキー=スー・チーと共に始まる。本作のファーストシーンは、そのことを高らかに告げている。ネオンの街に広がり続ける彼女の魂は誰にも止めることができない。誰にも抑え込むことができない。ネオンと音速の徒花、ヴィッキー。

スー・チーとの出会い


『ミレニアム・マンボ』以降、ホウ・シャオシェンの映画は女性の主人公を描く方向に振り切っている。ホウ・シャオシェン自身も認めているように、スー・チーとの出会いは決定的だった。一人の俳優の存在が、『悲情城市』(89)をはじめ既に高名なキャリアを築いていた映画作家の方向性を変えてしまったのだ。初めてホウ・シャオシェンの事務所を訪れたときのスー・チーは、「かかってこい!」とでも言いたげな恐れを知らないワイルドな雰囲気を持っていたという。

ほとんど脚本らしい脚本もなく、リハーサルもせず、あらかじめ決まったセリフさえ用意されないスタイルだった本作の撮影(その代わりに状況設定だけは入念にディテールを盛り込む)。セリフや動きはその都度俳優から生まれていくものだったという。ホウ・シャオシェンは本作を「彼女(スー・チー)との共同作業によって生まれたもの」と振り返っている。この特殊な撮影にスー・チーは完璧に応えてみせる。フレームに収まりきらないヴィッキー=スー・チーの輝きがスクリーンに乱反射している。そして二人の幸福なコラボレーションは、『黒衣の刺客』(15)に至るまで、短編作品『La Belle Epoque』(11)を含む4本の傑作を生むこととなる。

『ミレニアム・マンボ 4Kレストア版』©2001 3H Productions / Paradis Films / Orly Films/SinoMovie.com

「侯孝賢の映画講義」によると、『ミレニアム・マンボ』のカンヌ国際映画祭での上映を終え、ホテルの部屋に戻ったスー・チーは、鏡の前でボロボロと涙をこぼしたという。このときスー・チーは初めて“自分”を発見したのかもしれない。カメラの前で演じるということを自覚したスー・チーは、本作をきっかけに演技や映画制作そのものへの哲学が変わったという。『ミレニアム・マンボ』にはホウ・シャオシェンとスタッフ、そしてスー・チーを始めとするキャストのライブ感、“生”がドキュメントされている。俳優と共にキャラクターを育てていく。ホウ・シャオシェン自身もスー・チーを通してキャラクターを発見していく。

ロマンティックな邦題を持つ傑作『百年恋歌』(05)の第三部でスー・チーが演じたゴシックパンクな装いの女性は、ヴィッキーのその後の姿のように思える。彼女もまた自傷性を纏うヒロインだった。そして『黒衣の刺客』で暗殺者を演じたスー・チーは、背景の中、模様の中から姿を現しては消えていく。男性を殺すことも殺さないこともできる暗殺者。彼女の能力ならすべてに勝利することも可能だろう。存在自体が自由自在な『黒衣の刺客』のヒロインは、『ミレニアム・マンボ』から始まったホウ・シャオシェンとスー・チーによるフェミニズム映画の到達点といえる。

フラワーズ・オブ・タイペイ


ゆっくりと行ったり来たりを繰り返すフレーミング。『ミレニアム・マンボ』では、ヴィッキーをはじめとする登場人物がフレームの中に入ったり出たりを繰り返すばかりか、無人の画面になることもしばしばある。しかもどのショットも美学的にまったく崩れないという神技のようなカメラワークだ。

全編室内撮影で高級遊郭の煌びやかな装飾品に彩られた『フラワーズ・オブ・シャンハイ』(98)。『ミレニアム・マンボ』はエクストリームな形で完成された『フラワーズ・オブ・シャンハイ』のスタイルの応用といえるが、見れば見るほど、どうやって撮ったのかまったく分からなくなる。一つのショットの中で次々と視点が変わっていくだけでなく、このカメラワークは私たちの視覚の“散漫さ”をも取り込んでいる。私たちは常に一点を見ているわけではない。誰かと話しているときでさえ、ほとんど意識・無意識にどこか別のところに視点を移していたりする。多孔的なカメラワーク。本作の特異なスタイルを示すショットは、ヴィッキーとハオの住む部屋で早速披露される。

『ミレニアム・マンボ 4Kレストア版』©2001 3H Productions / Paradis Films / Orly Films/SinoMovie.com

クラブから帰ってきたヴィッキーにハオが絡んでいく。DJのハオとヴィッキーが共同生活をする部屋は、そのままクラブの延長にあるような部屋だ。服を脱ぎ、部屋着になり、コップに酒を注ぎ、タバコに火を点けるヴィッキー。ヴィッキーが奥の部屋から手前の部屋へ、右から左へ移動していく挙動をカメラは漂うように追っていく。ハオがヴィッキーの首元にキスをする。ヴィッキーはキスをされながらタバコに火を点ける。このときのエレガントなまでの“無関心”!ヴィッキーは体を求めてくるハオを面倒に思っている。首元へのキスを止めないハオ。キスをされながらコップを手に取り、酒を口にするヴィッキー。ハオはヴィッキーを支配下に置きたがる。脚を開くことを命令されるヴィッキー。テーブルという視覚的な障害物を手前に置きながら、カメラは二人の身振りの一部始終を覗き見的に捉え続ける。このシーンのヴィッキーには、まるで岡崎京子の漫画に出てくる女性のような乾いたクールさがある。

『フラワーズ・オブ・シャンハイ』が高級娼館に囚われた女性の物語ならば、『ミレニアム・マンボ』は台北という都市に囚われた女性の物語だ。上海の花ならぬ、台北の花。この二つの傑作の間にはスタイルと主題の間に呼応関係がある。ヴィッキーがどれだけ無目的に生きていようと、時間は容赦なく過ぎ去っていく。停滞しているような怠惰な時間の中にも動きがある。『ミレニアム・マンボ』の恐ろしいほど独創的なカメラワークには、過ぎ去っていくもの、見過ごされてしまうものを注意深く捉えると同時に、私たちの瞳の注意力と同じ散漫さを捉え続ける。私たちはヴィッキーと同じように、過ぎ去っていく時間に気づくことができない。

青春の音速、失速する街


ホウ・シャオシェンの映画で長年脚本を担当している朱天文による著書「侯孝賢(ホウ・シャオシェン)と私の台湾ニューシネマ」によると、『ミレニアム・マンボ』の草稿には「青春の音速、失速する街」というタイトルが書かれていたという(この本にはとても美しいエッセイが多数収録されている)。ホウ・シャオシェンは本作に取り掛かる前の二年間、若者たちが集うクラブに通い詰めていたという。エレクトロミュージックの音速によって蒸発するヴィッキー=スー・チーの生。

『ミレニアム・マンボ』には北海道の夕張の風景が収められている。黒澤映画のスクリプター野上照代との対談によると、本作は当初の構想では「過去、現在、想像、幻想、未来」と5つのパートに分けられていたという。夕張のシーンはヴィッキーの「想像」のパートにあたるが、最終的にすべてが「現実」として描かれることになった。ヴィッキーは台北から逃れるように夕張に向かう。体ごと雪に飛び込み、はしゃぐ無邪気なヴィッキーの姿が尊い。ヴィッキーは雪に顔を埋め、型をとる。雪が降り注げば、やがて消えてしまうようなヴィッキーの型=刻印がせつない。

『ミレニアム・マンボ 4Kレストア版』©2001 3H Productions / Paradis Films / Orly Films/SinoMovie.com

またもう一つの日本のシーンでは、新宿・大久保のホテル甲隆閣が舞台になっている。ヴィッキーの部屋の窓の向こうには電車が走っている。シティホテル甲隆閣はホウ・シャオシェンの“日本の家”であり、来日に合わせて決まってとっておく部屋は「408号室」だという(ヴィッキーは「403号室」に宿泊する)。また『ミレニアム・マンボ』の削除カットには、ヴィッキーが夕張ではしゃぐ別のシーンや電車に乗る姿が含まれている。それらは次作となる『珈琲時光』(03)の布石になったといえる(『珈琲時光』の夕張ロケは残念ながらすべて削除されている)。それらは削ってしまうのがもったいないくらいの美しいショットの数々だ。

『ミレニアム・マンボ』はヴィッキーの漂流を介して、無形の感情、空間と時間の間に浮かんでは消えていくものを捉え続ける。夕張への逃避行さえ新しい人生へ向けた糧にはならない。降り注ぐ雪がすべてをかき消していく。ステップを踏んでトンネルを歩いていく伝説的なファーストシーンには、当初月を追いかけるようなイメージが念頭にあったという。追いかけても追いかけても逃げていく月の光。『ミレニアム・マンボ』は未来から届いた手紙のような映画だ。夜の破片を永遠に漂う映画。ミレニアムを祝うネオンと音速の徒花のようなヴィッキーの魂は、いまも世界のどこかで月を追いかけ続けている。

参考資料

・『ミレニアム・マンボ』DVD映像特典(ハピネット・ピクチャーズ)

・侯孝賢著/卓伯棠編/秋山珠子訳「侯孝賢の映画講義」(みすず書房)

・朱天文著/樋口裕子・小坂 史子 編・訳「侯孝賢と私の台湾ニューシネマ」(竹書房)

文:宮代大嗣(maplecat-eve)

映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。

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『ミレニアム・マンボ 4Kレストア版』

2024年2月16日(金)より新宿武蔵野館・下北沢K2 ほか全国順次ロードショー中

提供:JAIHO 配給:SPOTTED PRODUCTIONS

©2001 3H Productions / Paradis Films / Orly Films/SinoMovie.com

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