名墨「徽墨」の革新と継承を続ける老舗墨工場 中国安徽省歙県

名墨「徽墨」の革新と継承を続ける老舗墨工場 中国安徽省歙県

安徽省黄山市の歙県老胡開文墨業で墨を製造する従業員。(1月31日撮影、黄山=新華社記者/胡鋭)

 【新華社合肥2月27日】新春を迎えた中国安徽省黄山市歙(きゅう)県では、ある徽州(きしゅう)古建築の建物に体験学習グループや幅広い層の観光客が全国各地から続々と訪れ、にぎわいを見せている。彼らの目的は名墨として知られる徽墨(きぼく)作りの見学だ。

 清代乾隆年間創業の老舗墨店、胡開文(こかいぶん)墨荘の流れをくむ「老胡開文墨廠」の工場内では、採煙、配合、型入れなど11の伝統的な工程で墨作りが行われている。

 父親から工場を受け継いだ周健(しゅう・けん)新工場長は「ここ数日は連日、体験学習の団体客500~600人が見学に訪れ、多い時は千人以上になる」と紹介した。

名墨「徽墨」の革新と継承を続ける老舗墨工場 中国安徽省歙県

安徽省黄山市の歙県老胡開文墨業で、桐油煙の煤(すす)を集める様子を見る周健さん。(1月31日撮影、黄山=新華社記者/胡鋭)

 徽墨は松煙、桐油煙、膠(にかわ)を主原料とし、麝香(じゃこう)や金箔、真珠粉など10種類余りの貴重な材料を加えて作り、色が濃く、にじみにくく、長期間色あせないという特徴がある。

 周さんの父親で前工場長の周美洪(しゅう・びこう)さん(67)は「私が工場で働き始めた頃は製品の9割以上が日本や韓国、欧米など海外に輸出されていた」と語った。1979年に入社した周さんは2007年、第1次国家級無形文化遺産「製墨技術」の国家級代表的伝承者の称号を授与された。

 周美洪さんは、1990年代には毎年1、2回のペースで日本での展示即売会に参加し、日本の顧客に徽墨の製法と品質を紹介したと振り返る。

名墨「徽墨」の革新と継承を続ける老舗墨工場 中国安徽省歙県

安徽省黄山市の歙県老胡開文墨業で墨を製造する従業員。(1月31日撮影、黄山=新華社記者/胡鋭)

 工場では製造技術の革新を続け、さまざまな消費者の好みやニーズに合わせて徽墨をカスタマイズし、今では製品の約4割が世界各地へ輸出されているという。周美洪さんは「墨の色は五色に分かれ、中国人は暖かみのある色を好むが、日本人は深みのある寒色を好み、墨への要求は異なる」と説明した。

 墨の香りに包まれて育った周健さんは、2017年に工場の経営を引き継ぐと「古来の製法を守りつつ、革新を進める」という理念を掲げた。

 周さん親子は14年、全国的に広まった体験学習ブームを機に、観光客を受け入れられるよう工場を改造した。子どもたちが伝統ある徽墨製造の技術と魅力を体験できる学習棟も併設した。

名墨「徽墨」の革新と継承を続ける老舗墨工場 中国安徽省歙県

安徽省黄山市の歙県老胡開文墨業の墨干し場で墨の乾燥具合を確認する従業員。(1月31日撮影、黄山=新華社記者/胡鋭)

 現代の速い生活リズムに適応させるため、材料の配合を改良して墨をすって墨汁ができるまでの時間短縮にも取り組んでいる。今ではわずか2分で墨をつけて字が書けるという。

 工場では現在、若者が好む中国の伝統文化を取り入れ、辰(たつ)年の春節(旧正月)やバレンタインデーなどをモチーフにした徽州の墨を販売している。20年には中国伝統の製墨技術のファンを引き付けるためライブコマースも開始した。

 「中国の優れた伝統文化は若者の間でますます人気が高まっており、小さい時から書道を始める子どもたちも多い。私たちも徽墨が一般の人々に浸透するよう、墨の品質向上やデザイン刷新、電子商取引(EC)の利用などに一層取り組みたい」と周健さんは話している。(記者/何曦悦、胡鋭)

名墨「徽墨」の革新と継承を続ける老舗墨工場 中国安徽省歙県

安徽省黄山市の歙県老胡開文墨業で乾燥させた墨を見せる周健さん。(1月31日撮影、黄山=新華社記者/胡鋭)

名墨「徽墨」の革新と継承を続ける老舗墨工場 中国安徽省歙県

安徽省黄山市の歙県老胡開文墨業で製造された辰年をモチーフにした徽州の墨。(1月31日撮影、黄山=新華社記者/胡鋭)

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安徽省黄山市の歙県老胡開文墨業で、描金の技法を学ぶ子どもたち。(1月31日撮影、黄山=新華社記者/胡鋭)

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安徽省黄山市の歙県老胡開文墨業で体験学習に訪れた子どもたちに描金の技法を指導する従業員(右)。(1月31日撮影、黄山=新華社記者/胡鋭)

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