桐島聡容疑者と特定、DNA型鑑定で 指名手配犯を名乗り死亡の男性

自身のことを、長年指名手配されてきた犯罪者の1人だと言い残して死亡した日本の男性が、DNA型鑑定の結果、真実を語っていたとみられることが27日、分かった。

男性は桐島聡容疑者(70)。1970年代の連続企業爆破事件に関わったとされる極左の過激派集団「東アジア反日武装戦線」のメンバーとして指名手配されていた。一連の事件には、死者8人を出した三菱重工本社ビル爆破事件(1974年)も含まれる。

神奈川県内の病院に入院した今年1月、「最期は本名で迎えたい」と警察に話したとされる。同月29日に病院で死去した。

NHKによると、警察は桐島容疑者を名乗っていた男性について、実際に同容疑者だったと特定。容疑者死亡のまま27日、爆発物取締罰則違反と殺人未遂の疑いで書類送検した。

報道などによると、桐島容疑者は1975年4月19日に東京・銀座の韓国産業経済研究所であった爆破事件で、手製爆弾を仕掛けて爆発させるのに関わった疑いがもたれている。この事件で死傷者はなかった。

桐島容疑者はまた、「東アジア反日武装戦線」が実行したとされる他の4件の爆破事件にも関与したとされる。この集団のメンバーの2人は、殺人などの罪で死刑判決が確定している。

どのように逃げ続けたのか

桐島容疑者の顔写真を載せた指名手配のポスターは、全国各地に貼られていた。そうした状況で同容疑者が長期間、どのように逃亡を続けていたのかは分かっていない。

桐島容疑者は、「東アジア反日武装戦線」のメンバーで唯一、一度も警察につかまらなかったとされる。とはいえ、警察は逮捕をあきらめていたわけではなかった。長髪で眼鏡をかけた20代の大学生時代の桐島容疑者の写真を何十年もの間、全国の警察署の前などに貼り、情報提供を呼びかけるなどしてきた。

桐島容疑者は写真では広く知られた存在だったが、先月、その正体が明らかになると、同容疑者が暮らしていた建物の近隣住民らは驚いた様子だった。ある住民は毎日新聞に、「おとなしくて真面目な印象」の男性で、酒に酔って部屋でギターを弾くこともあったと話した。

報道によると、桐島容疑者は「内田洋」の名で、神奈川県藤沢市に40年近く住んでいたとされる。

朝日新聞の報道では、桐島容疑者は「日雇い労働を経て、土木会社で住み込みで働いていた」と警察に話したという。別の報道によると、同容疑者は捜査の手が伸びないよう、給料は現金で受け取り、携帯電話は持っていなかったとされる。

1月に末期がんで病院に現れた際には、運転免許証も健康保険証も所持していなかったとされる。

桐島容疑者はその時初めて、病院側に正体を明かし、病院職員が警察に通報したという。

警察によると、桐島容疑者は1月29日に死去する数日前の事情聴取で、家族と「東アジア反日武装戦線」について、本人だけが知っているとされる詳細を語ったという。共同通信は捜査関係者の話として、同容疑者が容疑の一部について否認していたと伝えた。

共同通信によると、桐島容疑者を手助けした人物がいなかったか、警察は引き続き捜査するという。

(英語記事 Satoshi Kirishima: DNA test confirms dying man was one of Japan's most wanted

© BBCグローバルニュースジャパン株式会社