『光る君へ』ファーストサマーウイカ〈清少納言〉も話題! 現代人も共感する「あるある」詰め込んだ『枕草子』のスゴさとは?

(※写真はイメージです/PIXTA)

吉高由里子さんが紫式部を演じていることでも話題の大河ドラマ『光る君へ』(NHK)。藤原道長はじめ歴史の教科書に載っている貴族たちが次々に登場し、権謀術数渦巻く貴族政治を繰り広げます。ドラマでファーストサマーウイカさん演じる“ききょう”はのちの清少納言。快活な才女で“陽キャ”として描かれますが、その生涯は謎も多いとされています。本稿では、歴史研究家・歴史作家の河合敦氏による著書『平安の文豪』(ポプラ新書)から一部抜粋し、清少納言の代表作である『枕草子』について解説します。

観察力が鋭い文章

「春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、少し明かりて、紫だちたる雲の、細くたなびきたる」

この一文を読んで、きっと多くのみなさんが中高生時代を思い出すのではないだろうか。おそらく40代以上の方々は、国語や古典の授業でこの文章を暗誦させられたはず。そう、これは清少納言が書いた『枕草子』の第一段の冒頭部分だ。

この第一段は、春の次に夏、さらに秋、冬へと続いていく。

「夏は、夜。月の頃は、さらなり。闇もなほ。蛍の多く飛び違ひたる、また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。雨など降るも、をかし。

秋は、夕暮。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへ、あはれなり。まいて雁などの列(つら)ねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず。

冬は、つとめて。雪の降りたるは、いふべきにもあらず。霜のいと白きも。また、さらでもいと寒きに、火など急ぎ熾(おこ)して、炭もて渡るも、いとつきづきし。昼になりて、温く緩びもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりて、わろし」

私は、昔から記憶力だけには自信があり、中学校での『枕草子』第一段の暗誦テストを楽々パスした覚えがあるが、文章の内容まで深く考えなかった。今回、あらためて読んでみると、清少納言という作者の自然に対する観察眼や感性の鋭さにほとほと感心した。私なりに第一段を現代風に訳してみたので、お読みいただきたい。

「春は、やっぱり夜明けがいい。だんだんと周りが白くなり、山の上の空が少しだけ明るくなって、ちょっと紫に染まった雲が細くたなびいているのが最高。

夏は夜がいいね。夜空に月があるときは当然だけど、闇夜もいいと思う。暗闇の中で多くの蛍が乱れ飛んだり、一匹か二匹だけがほのかに光を発している様もとても素敵。また、雨の夜もなかなか趣があって良いと思う。

秋は夕暮が好き。夕日が差して山の端に近づいて見えるとき、烏が寝所へ帰ろうと、三つ四つ、二つ三つと、急いで飛んで行く様に心が動かされてしまう。雁が遠くで列になって小さく見えるのも優雅な感じがする。日が沈んでから聞こえる風の音や虫の音も風情がある。

冬は早朝が好き。雪が降る日だけじゃなく、霜が真っ白に降りている朝も格別ね。でも、そうでなくても、めちゃくちゃ寒い朝に急いで火をおこし、炭を運んでいくのも、なかなかおつなもの。でも、昼になって寒さが緩み、火桶の中が白い灰ばかりになるのを見ると、興ざめしてしまう」

三つに分類される読み物

『枕草子』という作品は、日ごろ感じたことを綴った、今でいうと随筆のような読み物だといわれることが多いが、それは、半分正解で半分正しくない。

枕草子の内容は、大きく三つに分類される。「春はあけぼの」にあるように、自然や日常など、さまざまな随想や評論、つまり随筆的章段が1つ。

2つめは、宮仕え時代のことを日記風に記した文章、日記(回想)的章段である。

そして、3つめが類聚(るいじゅ)章段だ。こちらは少々わかりづらいので、簡単に補足しよう。

類聚とは、同じ種類の事柄を集めるという意味である。『枕草子』には、同じようなものを集め、それらを巧みに短評して読者をうならせる章を多く設けている。これが類聚章段と呼ばれるものだ。その内容は、とくに千年後の現代人も大いに共感できるものが多く、だからこそ『枕草子』はずっと読み継がれてきたのだと評される。

たとえば、「うつくしきもの(かわいらしいもの)」として清少納言は、いくつも自分がかわいいと思う事柄を列記していく。「すずめの子が、ねずみの鳴きまねをすると、踊るように近づいてくること」や「親鳥がひよこを連れて歩いている様子」などをあげており、現代の私たちの感覚とさほど変わりない。さらにいくつか紹介してみよう。

「ありがたきもの(めったにないもの)」と題して、「舅に褒められる婿。姑に思われる嫁。主人をそしらない従者。異性や同性に関係なく、とても親しくなった者どうしが最後までずっと仲が良いこと」と記す。ユニークな視点であり、しかも私たちも得心できるものになっている。

続いては「はしたなきもの(きまりや体裁が悪いもの)」。

「他の人を呼んでいるのに、自分のことだと思い込んで出ていってしまったとき。人の悪口を言っているとき、それを子供が聞いていて、本人の前でしゃべってしまうとき。悲しい話を聞いて、心からかわいそうだと思っているのに、なぜか涙が出てこないのはばつが悪い。逆にめでたいことを聞いているのに、なぜか涙があふれてしまうとき」

「わかる。わかる」という声が聞こえてきそうだ。さらにもう一つ。

「ただ過ぎに過ぐるもの(どんどん過ぎてしまうもの)」は、「帆を上げた舟。人の年齢。春、夏、秋、冬」を上げている。

うまく集めたものだし、よく考えついたと感心する。

では、『枕草子』の作者・清少納言とは、いったいどんな女性なのだろうか。

河合 敦

歴史研究家/歴史作家

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