南米ポトシ銀山 悲劇の記憶、未来につなぐ

南米ポトシ銀山 悲劇の記憶、未来につなぐ

ボリビアの首都ラパスの中心部にあるムリーリョ広場に立つペドロ・ドミンゴ・ムリーリョの像。(2006年1月19日撮影、ラパス=新華社記者/汪亜雄)

 【新華社ボリビア・ポトシ3月3日】南米ボリビアのポトシの元鉱山労働者、フリオ・レイエスさん(67)は「私の体に流れる血は故郷を思って悲しみのあまり泣いているようだ」と低い声で語った。平均標高4千メートル以上の高地にある故郷のポトシは栄光と苦難を味わい、西側による植民地支配の歴史と資本主義の発展史、中南米の独立運動史に深い爪痕を残した。

 1545年、ポトシで巨大な銀鉱が見つかり、スペインの入植者たちは狂喜した。何千もの坑道が銀鉱石を産出し続けた。ポトシの産銀量は、最盛期には世界の総生産量の約半分を占めていたと推計される。しかし、この莫大な富を享受したのは入植者だけで、先住民のインディオは富の背後で悲惨な代償を払わされた。

 それから300年近くが経ち、入植者らが去った時、銀鉱はほぼ掘り尽くされていた。今日のポトシは、南米で最も開発の遅れた都市の一つとなっている。何世紀にもわたり続けられた鉱石採掘は、地元の生態系に深刻な影響をもたらした。坑道からは大量のスラグが発生し、環境汚染や地盤沈下などの重大な問題を引き起こしている。過去に水銀を使用して銀を精錬する製錬プロセスで、大量の有毒ガスと廃水が発生し、広大な地域が不毛の土地と化した。

 ポトシの栄光と苦難は全て、標高約5千メートルの鉱山と関連している。この山は銀鉱が発見されたことから「セロ・リコ(豊かな丘)」と名付けられたが、当時の先住民にとって、この場所は 「地獄の入り口」のようなものだった。現在でも、ポトシの鉱山労働者の平均寿命は短く、40歳前後という。

 現在博物館となっているボリビア国立造幣局の歴史資料室のルドミラ・セバリョス室長が18世紀半ばに出版された古籍を見せてくれた。この文献には、「ミタ」制と呼ばれる強制労働制度の下、インディオが従事したさまざまな種類の仕事が記録されている。文献の一部は現在、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」に登録されている。

 「ミタ」制とはスペインの入植者がインディオに対して実施した一種の強制労働制度を指す。主に採掘などの関連労働に就かせるために、植民地当局に毎年一定量の労働力を強制的に提供させ、極めて過酷な環境で1日18時間働くことを、インディオの男性に義務付けた。多くの人にとって「死が唯一の安息」だった。

 18世紀末、米独立戦争やフランス革命が起こり、中南米の人々も徐々に目覚め始めた。ボリビアを含む多くの中南米諸国は19世紀に相次ぎ独立した。

 ポトシの「豊かな丘」から西に約200キロの場所に、標高3千メートルを超えるウユニ塩湖があり、大勢の観光客が訪れている。しかし観光客のほとんどは、この塩湖が実は世界最大のリチウム鉱床の一つであることを意識していないだろう。

 数世紀前の銀と同様、リチウムも銀白色をした金属で、近年の国際市場で膨大な需要を持つ重要鉱物資源となっている。米国地質調査所(USGS)のデータによると、ボリビアのリチウム埋蔵量は現在世界1位とされる。

南米ポトシ銀山 悲劇の記憶、未来につなぐ

ベルギー・ブリュッセルで新華社の取材に応じるボリビアのルイス・アルセ大統領。(2023年7月17日撮影、ブリュッセル=新華社記者/鄭煥松)

 2023年3月、ボリビアのルイス・アルセ大統領は、ボリビアなどの中南米諸国の国際協力によるリチウム開発政策を公に非難したとして、米南方軍のローラ・リチャードソン司令官を厳しく批判する演説を行った。アルセ氏は、ボリビア、チリ、アルゼンチンなど豊富なリチウム資源を持つ国が石油輸出国機構(OPEC)の例に倣い「リチウム輸出国機構」を設立すべきだと提案した。「われわれは主権を持ち市場において団結し、われわれの経済に有利になるよう価格を決定しなければならない」とアルセ氏は主張した。

 アルセ氏は、新興5カ国(BRICS)首脳会議で加盟国の拡大が決定されて間もない2023年8月末、ボリビアはBRICSの戦略的パートナーとなることを望んでおり、BRICS協力メカニズムは経済と貿易のチャンスを広く求める発展途上国に非常に有利な環境を提供するとの見方を示した。

 ボリビア国立造幣局には来館者が絶えず、その中には若い学生も多い。ルイス・アランシビア館長は、植民地支配の歴史について批判的に解釈される必要があると指摘。「入植者が私たちの祖先と土地に与えた被害を認識して初めて、私たちは自分自身についてよく知り、前進を続けられる」と語った。

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