田家炳の旧居「拱辰楼」を訪ねて 中国広東省梅州市

田家炳の旧居「拱辰楼」を訪ねて 中国広東省梅州市

田家炳の旧居「拱辰楼」と後ろにある「万巻楼」。(2月6日撮影、梅州=新華社配信/畢建鴿)

 【新華社梅州3月4日】中国広東省梅州市の大埔県高陂鎮銀灘村には、同地出身の企業家で慈善家として知られる田家炳(でん・かへい、1919~2018年)の旧居「拱辰楼」がある。典型的な客家(ハッカ、北方から南方に移住した漢民族の一支流)の民家で、高祖父(祖父の祖父)に当たる田振多(でん・しんた)が清の嘉慶元年(1796年)に建造した。曽祖父は清朝の官職「儒林郎」を務めた人物で、門には「儒林郎第」と書かれている。

 1919年に生まれた田家炳は香港特別行政区の企業家で、「田家炳基金会」を創設した慈善家として知られる。教育事業に特に力を入れ、「中国百校の父」と呼ばれる。第2886号小惑星はその功績にちなんで「田家炳星」と名付けられた。

田家炳の旧居「拱辰楼」を訪ねて 中国広東省梅州市

田家炳の旧居「拱辰楼」。(2月6日撮影、梅州=新華社配信/畢建鴿)

 生家の拱辰楼は敷地面積が約310平方メートル、殿堂式のれんがと木材の構造で、二つの中庭を有する。内部には田家炳の功績を展示するコーナーが設けられている。拱辰楼の後ろにある「万巻楼」は、嘉慶5(1800)年に建造されたれんがと木材の構造の建物で、田氏一族の書斎として使われていた。

田家炳の旧居「拱辰楼」を訪ねて 中国広東省梅州市

田家炳の旧居「拱辰楼」の周辺の景色。(2月6日撮影、梅州=新華社配信/畢建鴿)

田家炳の旧居「拱辰楼」を訪ねて 中国広東省梅州市

田家炳旧居の後ろにある「万巻楼」。(2月6日撮影、梅州=新華社配信/畢建鴿)

田家炳の旧居「拱辰楼」を訪ねて 中国広東省梅州市

銀灘村の傍らを流れる韓江。(2月6日撮影、梅州=新華社配信/畢建鴿)

田家炳の旧居「拱辰楼」を訪ねて 中国広東省梅州市

銀灘村の傍らを流れる韓江。(2月6日撮影、梅州=新華社配信/畢建鴿)

田家炳の旧居「拱辰楼」を訪ねて 中国広東省梅州市

銀灘村一帯の景色。(2月6日撮影、梅州=新華社配信/畢建鴿)

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