『ロッタちゃん はじめてのおつかい』児童文学者リンドグレーンが描く、子どもの可能性

『ロッタちゃん はじめてのおつかい』あらすじ

ロッタちゃんは5歳。ある朝、ママが出してくれたセーターがチクチクすると言って、ハサミで切り刻んでしまった彼女は、なんだか気まずくなってお隣のベルイおばさんの家へ家出をしてしまいます。クリスマスのモミの木が売り切れで、ツリーが手に入らないニイマン家。お兄さんもお姉さんも泣いてばかりいるけれど、ロッタちゃんはあきらめません!復活祭の前日、パパがイースター・エッグを買い忘れてしまいました。けれども、ロッタちゃんには名案がありました。

リンドグレーン原作の映像化作品


長くつ下のピッピ」、「エーミル」、「山賊のむすめローニャ」など、豊かなイマジネーションとユーモアがつまった著作で世界中の子どもたちや大人たちをも楽しませてきた、スウェーデンの作家アストリッド・リンドグレーン。彼女の書いた物語は、いまなお読み継がれるとともに、後世のクリエイターによって数多く映像化されてきている。

なかでも代表的といえる映画作品は、ラッセ・ハルストレム監督が1980年代に撮った『やかまし村の子どもたち』シリーズや、ヨハンナ・ハルド監督、グレテ・ハヴネショルド主演の『ロッタちゃんと赤いじてんしゃ』(92)、『ロッタちゃん はじめてのおつかい』(93)などの、リンドグレーンへの深いリスペクトが反映された本国スウェーデンの作品になるだろう。

『ロッタちゃん はじめてのおつかい』©1993 AB SVENSK FILMINDUSTRI ALL RIGHTS RESERVED

『ロッタちゃん』シリーズは、日本では本国から7、8年ほど遅れて2000年の劇場公開となったが、その愛らしい作品のテイストと、当時のミニシアターブームの効果も手伝って、大ヒット、ロングランを記録。とりわけ『ロッタちゃん はじめてのおつかい』は、恵比寿ガーデンシネマでも動員数歴代5位という成績を残している。

そんな『ロッタちゃん』シリーズ2作が、2024年3月より、日本でまたリバイバルされている。90年代の撮影当時に5歳だった、ロッタちゃん役の主演俳優グレテ・ハヴネショルドも、それに合わせて久しぶりに日本の観客にメッセージを送ってくれているのが嬉しい。

本作『ロッタちゃん はじめてのおつかい』の人気の原動力となったのは、このグレテ・ハヴネショルドの演じるロッタちゃんのキャラクターの魅力に負うところが大きいということに異論を唱える者はないだろう。500人のなかからオーディションで選ばれたという彼女が演じるロッタちゃんは、その可愛らしいキャラクターと群を抜いた演技力によって、世界中の観客を驚嘆させ、笑顔にさせたのだ。

ありふれた一家の小さな末っ子


そんなロッタちゃんは、「長くつ下のピッピ」や、「山賊のむすめローニャ」のような、スケールの大きい大冒険を繰り広げるような女の子ではない。多くの未就学児童同様に、家や近所などで遊んでいる、まだまだ世の中のことを知り得ない、ありふれた一家の小さな末っ子である。

しかし、彼女自身は何でも知っていると確信し、できないことはないのだと、兄や姉に豪語するほどの自信家。常に大人ぶった振る舞いをしている、いわゆる“おしゃまさん”でもある。溺愛しているブタのぬいぐるみ「バムセ」を連れ歩いては、背伸びをした言動や行動で小さな騒動を巻き起こしている。このさまざまな騒動が、複数のエピソードとして映画のなかで紹介されていく。

ロッタちゃんの住む家は、原作者の故郷である、スウェーデン南西部にある小さな町ヴィンメルビーにあるという設定だ。本作は、そんなヴィンメルビーに建設されたテーマパーク「アストリッド・リンドグレーン・ヴェールド」の開館記念作品ともなっている。撮影の多くは、カラフルな家が立ち並ぶヴィンメルビーでおこなわれた他、何度も登場するロッタちゃんの家は、原作の挿絵そっくりにデザインされた、テーマパーク内の建物が使用されている。だから、映画が映し出す世界観の完成度も非常に高くなっている。

『ロッタちゃん はじめてのおつかい』©1993 AB SVENSK FILMINDUSTRI ALL RIGHTS RESERVED

また、監督、脚本を務めたのは、同じくリンドグレーン原作の短編の実写化を手がけていたヨハンナ・ハルド。彼女は、本作の後、やはりリンドグレーン原作の『カッレくんの冒険』(96)の脚本も書いている。リンドグレーン作品の長所をよく理解しているだけに、適任というところだろう。

本作最初のエピソードは、ロッタちゃんが着心地の悪いセーターを用意した母親に腹を立て、セーターをハサミで切り刻んで家出をするといった内容だ。彼女は隣人である親切なベルイおばさんを訪ねて、いまは使っていない部屋に居座ると、「ずっとここに住む」と宣言する。そして、自分が自宅からいなくなったことで父と母、兄と姉を悲嘆に暮れさせようとするのだ。しかし、1日も持たずにロッタちゃんの方が悲しくなってしまい、迎えにきた家族とともに自宅に帰ることになるのだった。

面白いのが、ロッタちゃんがヘソを曲げないように「ロッタがいないとみんな悲しいよ」と、両親が帰ってくれるように頼み込むかたちをとるところだ。ロッタちゃんは機嫌をすっかり直して「すぐ帰るわ!」と抱きついて、このエピソードは一件落着となる。このように、周囲が彼女を頭ごなしに叱ったりしないところが、本作のポイントとなっている。

子どもを尊重する姿勢と信じる心


ベルイおばさんが病気で寝込んだときには、お見舞いを持っていったりお使いを引き受けるなど、天使のような面もあるが、一方で怒りやすく意固地な面を見せるなど、本作は、“子ども”という存在を見事なリアリティで、いきいきと表現していると感じられる。こういった点こそが、原作者アストリッド・リンドグレーンが偉大な児童文学者である大きな理由だと考えられるのだ。

そんな原作者の伝記映画『リンドグレーン』(18)では、なぜ彼女がこんなにまで子どもの気持ちが分かるのかが、よく分かる内容になっている。アストリッドは、おおらかな家族とともに農場で走り回って育ち、突飛な発想を披露したり、めちゃくちゃなダンスを踊ったりと、自由奔放な子ども時代を過ごしていた。そんな彼女の振る舞いを、もし家族が無理に矯正していたとしたら、スウェーデンを代表し、紙幣に印刷されたほどの偉大な作家アストリッド・リンドグレーンは存在していなかったかもしれない。

『ロッタちゃん はじめてのおつかい』©1993 AB SVENSK FILMINDUSTRI ALL RIGHTS RESERVED

「ロッタちゃん」シリーズなどのリンドグレーン作品の多くに共通しているのは、それぞれの子どもをひとりの人間として認め、自主性を尊重するといった姿勢だ。やりたいことをできる限りやり、自由な発想や個性を伸ばす時代を経験することができれば、人は成長してからもさまざまな可能性を発揮することができるのではないか。そんな想いが、作品の中でいきいきと描かれた子どもたちの姿に象徴されていると感じられる。

本作では、ロッタちゃんの強情な個性がポジティブにはたらき、クリスマスを前に奇跡を起こす展開も見られる。それはまさに、子どもを尊重する姿勢と、信じる心がもたらした、ひとりの少女の可能性を表現したものだといえるだろう。そんな温かさに包まれることで、観客はロッタちゃんはもちろんのこと、ロッタちゃんの家族や、隣のおばさん、町の人々、そして彼女たちを取り巻く「ロッタちゃん」の世界を丸ごと愛することができるのである。

文:小野寺系

映画仙人を目指し、さすらいながらWEBメディアや雑誌などで執筆する映画評論家。いろいろな角度から、映画の“深い”内容を分かりやすく伝えていきます。

Twitter:@kmovie

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作品情報を見る

『ロッタちゃん はじめてのおつかい』2Kリマスター版

配給:エデン

3月1日(金)よりYEBISU GARDEN CINEMA 、新宿シネマカリテ、 ヒューマントラストシネマ有楽町他、全国にて順次上映中。

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