《東日本大震災13年》避けられぬ、地震大国・日本の津波被害をどう防ぐ?能登地震との比較から

東日本大震災から約半年後の宮城県南三陸町<2011年10月9日撮影>

3月11日、”津波被害”の恐ろしさを思い知らされた東日本大震災の発生から13年が経つ。

今年(2023年)元日の能登半島地震(M=マグニチュード7.6)でも津波が発生。

この2つの地震では津波による甚大な被害が出た。しかし状況は全く違うという。日本地震学会会員ではりま地質学研究所の西影裕一さん(兵庫県姫路市)は次のように指摘する。

(※記事中の画像提供・西影裕一さん)

【画像】発生1年以内の東日本大震災被災地

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東日本大震災の規模(マグニチュード)は9.0で今回の能登半島地震は7.6だった。マグニチュードが1.4違うとエネルギーは約130倍になる(※)ので、東日本大震災の津波の高さは大きくなる。

東日本大震災発生時、岩手県宮古市の津波は8.5メートル以上あった。津波の到達時間は、発生から32分後だった。

能登半島地震での津波は、痕跡高(津波がない場合の潮位から津波の痕跡までの高さ)は、石川県能登町白丸で4.7メートル、遡上高(津波が陸上をさかのぼった高さ)は新潟県上越市船見公園で5.8メートルだった。

到達時間は富山市で約3分後に到達しているので、震源に近い石川県珠洲市ではさらに早かったとみられる。近畿でも兵庫県但馬地域に津波警報が発令され、豊岡市では最大40センチの津波が観測された。

では、津波の到達時間が能登半島地震ではなぜ短かったのか。それは震源が日本海に近い半島内だったからであり、逆に東日本大震災の震源は宮城県牡鹿半島から約130キロも離れているため、到達するのに時間がかかった。

※マグニチュードが1違うと31.6倍(約32倍)となり、0.4違うと4倍になるので、32✕4=128倍という計算となる。

昭和以降における日本海側での津波被害は、能登半島地震で3回目となる。1回目は1983(昭和58)年5月26日に発生した日本海中部地震(M7.7)である。この地震で104人が犠牲になったが、このうち100人が津波の犠牲者である。最大で10メートル近い高さを記録した津波は地震発生から10分も経たないうちに到達した。2回目は1933(平成5)年7月12日の北海道南西沖地震(M7.7)である。震源に近い北海道奥尻島では、津波は数分で到達した。この地震の死者・行方不明者は230人だった。

内閣府の中央防災会議によると、今後30年以内に70〜80%の確率で発生するとされる南海トラフ地震が起きると、満潮時に瀬戸内海側で兵庫県の西播磨、明石、淡路島西海岸は1~2メートル、加古川、阪神地域は2~5メートルの津波が来ると想定されている。

では、どのようにして訓練すればいいのだろうか。今、自分のいる場所で地震が発生したら、どのように対処すればいいかを考えることが求められる。

日本海側で地震が発生すると震源が近いので津波はすぐに到達する可能性が高い。能登半島地震では、津波に襲われた地域の多くの人々が、地震発生直後すぐに高い場所に避難した。「地震への備え」、「津波への備え」として、ふだんから避難する訓練をしていたからである。

東日本大震災でも、岩手県釜石市の鵜住居(うのすまい)小学校や釜石東中学校に登校していた児童、生徒はすぐに避難したため全員助かり、「釜石の奇跡」と言われた。しかし、これは決して奇跡ではなく普段から訓練をしていたからだ。

地震発生時、全国の放送メディアが「すぐに高台へ避難を」という緊急コメントをオンタイムで発信するようになったのも、東日本大震災以降、顕著になった。一刻も早く避難することが重要である。

例えば、オフィス街を歩いていると、立ち並ぶビルから、割れて粉々になったガラスを浴びる可能性が高いので、ビルから離れ、持っている鞄やバッグを頭にのせて避難する、という行動がすぐに取れるのか。意外にこうした感覚が薄くなっているのではないか。

現代社会での災害時は、一時的に乗用車で避難するケースも多い。この避難方法は、急激に混雑、渋滞する可能性が高いため、車を置き、山や高層マンションのようにとにかく高い場所に避難する判断ができるか。

このように普段から自分でシミュレーションし、訓練する“心の準備”が必要になる。能登半島地震から2か月あまりが過ぎた。地震大国・日本に住む私たちは、決して他人事と思わず、強い意識を持っていただきたい。

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