お笑いコンビ・ナイツの鉄板ネタといったら”ヤホー漫才”であることには異存がないだろう。「ネットのヤホーで調べたんですけど……」と塙宣之さんがボケると、相方の土屋伸之さんが透かさずツッコミを入れるという、いわゆる”しゃべくり漫才”だ。2000年にコンビを結成してから早二十年が経ち、昨年6月には漫才協会会長に就任した塙さんの人生における”CHANGE”にまつわる出来事とは──?【第3回/全4回】
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「大学卒業した時に土屋のお母さんにマセキの社長に口を聞いてもらったんです。“うちの息子が芸人目指しているんです。でも、大学に入ってからのことなので、吉本さんの養成所とかに入る年齢じゃないし、マセキさんで面倒見てもらえませんか”って言ってくれて……」
その後、更なる転機が訪れた。
「マセキの社長は、 “第二の内海桂子・好江を作る”というのが昔からのモチベーションだったんですね。それで、とにかく漫才協会に入んなさいと言うんですよ」。
漫才協会とは漫才を中心とする演芸の普及向上を目的とする東京浅草を拠点に活動する社団法人。ウッチャンナンチャン、バカリズム、いとうあさこ……といったベテランも、一度は「入らない?」って声をかけられたことがあるそうだ。
「僕らも2002年の夏ごろに漫才協会に入らないかって言われた時に、当時のマネージャーに相談して、結果“入りません”と断ったんです。それで、“これから何するんだ”って、社長に訊かれたんで“テレビに出ます”って言ったら、“じゃあクビにする”って(笑)」。
──結構ムチャクチャですね。
「僕らも、マジで何言ってんだか判んなくて。社長はナイツだけは漫才協会にどうしても入れたかったみたいですが、それはいろんな人に断られて、そのことに対してのストレスが溜まっていたのかもしれませんよね。それと土屋のお母さんの紹介で入ったってことで、やっぱり僕らにだけは思い入れがちょっと桁違いだったんでしょうね」
結局ナイツの二人は漫才協会に入ることになった。
「マネージャーには社長を説得しても無理だからって謝られましたね。それで“ほんと、申し訳ないけど、明日から内海桂子の弟子になってくれ”って言われたんです。そもそも、ダウンタウンさんに憧れて芸人になったのに、なんであのお婆ちゃんの弟子になんなきゃいけないんだって」。
8年目で『M-1』決勝に
いま思えば、それが塙さんにとっての最大の転機だったそうだ。
「なんだかんだ言っても、その時の社長は一番の大恩人なんですよ。社長がいなかったら、もしかしたら、僕らは地味で華も無いので、テレビの人たちに勝てなくて途中で辞めちゃっていたかもしれない。協会がある浅草にいたから、あんまり競争せずに、自分たちのペースでネタを作れて、『M-1』も8年目で決勝に行けたんじゃないかと思うんです。結局は遠回りのようだけど早かったのかもしれない。そう考えると土屋と社長には感謝なんですよね」
──人との出会いがすごく大事なんですね。
「完璧にそうですね。運がすごく良かったんだと思いますよ」
そして塙さんは昨年6月に漫才協会の会長に就任した。
「やっぱりトップになると、今までと違って権力がついて来ちゃうじゃないですか。例えば、誰かをいじることがパワハラとかいじめみたいに見えちゃうって構図になると思うんですね。だから、そこはすごく慎重にやんなきゃいけないなって思いますね」。
近年は俳優業などピンでの仕事も増えてきた塙さん。
「ドラマはコンビでは絶対出来ない仕事だからやるだけなんですけど。こういうインタビューもだけど、ピンの方が結構やりやすかったりもするんです。コンビだと、どうしてもツッコミが入るじゃないですか。ツッコむことで相殺されることが結構あるんですよね。ツッコミって相手を訂正する言葉に繋がるので、ボケるのもちょっと面倒臭いっていうか、普通に言わないといけないじゃないですか。その時にツッコミを言うと相殺されるので。だから、ピンはピンでまた良いなって思いますね。」
芸人や俳優などの表舞台だけでなく、会長もこなすようになった塙さん。仕事の面では新たなプロジェクトに携わることになるのであった。それは、映画監督という未知なるステージへの挑戦であった。
「2022年の春頃でしたが、ラジオ番組制作会社のプロデューサーに映画を作りませんかって誘われまして……。高田(文夫)先生がパーソナリティを務めているラジオ番組『ラジオビバリー昼ズ』の構成作家で信頼できる方も関わっているということで興味があったんです。もちろん僕は監督なんてやったことないし、不安だったんですけど、“そういうことはこれから考えましょう”ってことで参加することになったんです」。
そこで、プロデューサーから提示された映画のお題目は「漫才協会」だった──。
■塙宣之(はなわ・のぶゆき)
1978年3月27日、千葉県生まれ。A型。T173㎝。2000年に大学の後輩・土屋伸之と漫才
コンビ「ナイツ」を結成。2003 年、漫才協団(現・漫才協会)・漫才新人大賞受賞。2008
年、お笑いホープ大賞THE FINAL優勝、NHK新人演芸大賞受賞。2008~10年、3年連
続で「M-1グランプリ」に3 年連続で決勝進出。2022 年度、第39 回浅草芸能大賞 大
賞受賞。2019 年に出した著書『言い訳 関東芸人はなぜM-1 で勝てないのか』が発行部
数10万部を突破した。近著『劇場舎人 ずっと売れたい漫才師』(KADOKAWA)が発売中。