「ゴジラ-1.0」山崎監督、中学時代の〝初メガホン〟作品を入手!お礼の色紙には…【長野】

日本映画に金字塔を打ち立てた松本市出身の山崎貴監督です。中学時代に初めてメガホンをとった作品の映像を入手。監督人生の原点となる幼馴染や恩人に話を聞きました。

■初監督作品を共同制作した幼馴染
「遠くへ行っちゃったかな(笑)という感じもしますし。ほんとすごいなっていう一言」

「ゴジラー1.0」は、アジア映画として初めてアカデミー賞の視覚効果賞を受賞!

CGなどを用いて実写映像を加工するVFXという技術が評価されました。

■山崎貴監督
「完全にゴジラのおかげですね、これは」

昨夜。オスカー像と金色のゴジラ像と共に臨んだ帰国会見。山崎貴監督が語ったのは〝原点〟でした。

■山崎貴監督
「オスカーを取りたいみたいなことでずっとやってきたわけではなくて。『未知との遭遇』と『スター・ウォーズ』を観て、映画にメロメロになった中学生の自分にはものすごく感謝していますね。その時に燃え上がった炎をどうやって消さないかという気持ちでずっときているので」

人生初の監督作品は、「栄光」を意味する「GLORY」。松本市立清水中学校3年生の時に撮りました。その貴重な一部が、コチラ…。

時は2086年。第3次世界大戦で地球が消滅した後、宇宙船に乗って新たな惑星に移り住む…という物語でした。松本市の原誠さんは、当時、一緒に制作した幼馴染の一人です。

■原誠さん(59)
「文化祭がありまして、そういったところで映画上映ができればいいよねっていう話から。10分~15分そのくらいの映画だったと思うんですけど、何回それをローテーションさせたか。殺到しましたね、生徒が」

「GLORY」最後のシーンです。新たな惑星にたどり着いたという場面を、山崎少年自ら演じていました。この時の撮影秘話を
おととし監督は明かしていました。

■山崎貴監督
「朝2時から自転車で美ヶ原に登ったんですけど、朝日を撮るために。着いたら9時で(笑)高校受験の時だったんで、親に言えなかったんですね、映画撮っているというのは。誰の親にも車を出してもらえずに自転車で登って行ったんですけど」

■原誠さん(59)
「(当時から)決めたらやりぬくっていうか、妥協はしないっていう感じでしたかね」

原さんの叔父、安曇野市の野本忠さん(75)。「GLORY」撮影のために、山崎監督に8ミリフィルムのカメラを貸した〝恩人〟です。

■野本忠さん(75)
「一人の少年がこのカメラを使ってくれたことを感謝しています。山崎少年が一生懸命頑張っていまの地位があるということで、良かったねっていう」

カメラを貸したお礼の色紙に書かれていたのは…「大かんとく」。

■山崎貴監督
「あの頃の僕は〝クソ生意気〟。何でもできると思っていた。ずっとやり続けてきた(先に)今の場所があったというのは本当にとてもうれしいことですね」

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