M-1グランプリ2023の結果発表、最後の最後まで優勝者がわからない劇的な展開で優勝者が決まった。準優勝のヤ―レンズは、すでに今年のM-1に向けて再びしゃべり続けている。二人の目的は……もっと長く漫才をしたい。彼らの「THE CHANGE」に迫る――。【第1回/全3回】
――ヤーレンズのネタを観させていただいてもともとは大阪NSC出身というのが意外でした。
楢原 「大阪時代は逆張りというか、違和感で勝負しようと思っていたんです」
出井 「関西弁で押しの芸が多いなかで、標準語で引きの芸だったら目立つかなと」
楢原 「喉が弱くて声が通らないので、そのスタイルが合っていた、というのもありました」
――大阪の劇場での反応はどうだったんですか?
楢原 「押しの芸人のほうがウケていたけど、僕らも悪くはなかったんです」
出井 「太刀打ちできていましたね」
楢原 「ただ、劇場になかなか馴染めなくて」
出井 「僕らは組み直しのコンビなので、転校生的な扱いだったんです。だったら東京に行ってみようか、と上京しました」
――雑談スタイルの漫才から、いまのウザい漫才コントに変わった理由は?
楢原 「M -1グランプリで勝ち抜くためには、いまのスタイルのほうがいいんじゃないかと考えたんです」
出井 「目立つための漫才だとM -1では勝てない。魂が乗っていないと決勝に進めないので、僕らの本質に近い漫才にシフトチェンジしたんです」
組んだ時から先輩後輩はなかった
――方向性は話し合うんですか?
出井 「むしろ話し合いすぎかもしれません(笑)」
楢原 「相方の意見を聞かないと気が済まないんです」
――楢原さんはネタを書くほうで、もともと先輩だけど、引っ張るわけではなく。
楢原 「組んだ時から先輩後輩はなかったんです。なめられていたので」
出井 「いやぁ、先輩後輩の壁を取り払うのが大変で」
楢原 「いやいや、組んだ次の日からタメ口を聞かれていたから」
出井 「かなり勇気を出してタメ口にしたんです」
楢原 「ポロッと敬語が出ることすらなくて、本当になめているんだろうと思います」
――後輩時代、楢原さんをどう見ていましたか?
出井 「変な人でしたよ。社交性があるように見せるために、努力して人と接しているんだろうなと思ってました」
楢原 「普通に社交性はありましたけどね(笑)」
出井 「いやいや、僕には非常階段で体育座りしている姿が見えていましたよ」
楢原 「清水富美加の告白本の表紙ね」
――M -1で勝つためにライブをたくさん入れて、同日に違う会場でライブがある時は自転車で移動しているとか。
楢原 「劇場がある吉本さんは“もっとしゃべりなさい”と言ってくれるけど、僕らは自分から動かないとしゃべらせてくれないので、自転車に乗ってます」
出井 「とはいえ、僕らが上京した頃と比べたら、東京の非吉本でもライブできる場所は増えていると思います。それだけお笑いが盛り上がっているんだろうなって」
楢原 「M -1のエントリー数もいまは8400組以上で、僕らが最初に出た2015年より5000人も増えているなんて異常ですよ。そんなわけないと思ってます(笑)」
取材・文/大貫真之介
左:楢原真樹(ならはら まさき)。1986年11月17日生まれ、大阪府出身。
右:出井隼之介(でい じゅんのすけ)。1987年3月2日生まれ、神奈川県出身。
NSC大阪校28期生の楢原と29期生の出井が2011年9月に「ヒートアップ」を結成し、後に「パープーズ」に改名。2014年に「ヤーレンズ」へと2度目の改名。M-1グランプリ2023で準優勝。