家事の分担という名の丸投げ、もうやめませんか?「家事力」が人生の幸福につながる理由

(※写真はイメージです/PIXTA)

「家族で家事を分担する」といいながら、結局母親に家事の負担が集中してしまう…。非常によく見る光景ですが、『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』の著者である稲垣えみ子さんは、「もう家事の分担やめませんか?」と提案しています。その理由を、著書から一部抜粋してご紹介します。

家事を他人任せにした人の末路

あえて声を大にして言いたい。家事の分担、もうやめませんかと。決して非現実的な提案ではないと私は思う。

高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。

もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。

家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。

人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。それは実にやるせない光景だった。

最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。

人生を左右するのは金でも名誉でもなく「家事力」の有無

だいたい、家事をしない人は、お金を稼ぐことはできても案外「使うこと」ができない。使うといえば、飲み代とか、趣味の何かを買うとかいうことであって、つまりは「小遣いの使い方」しか知らないのだ。

いうまでもなく、最も大事なのは小遣いではなく生活費の使い方である。自分の人生の土台を成り立たせるための堅実な支出の方法である。つまりは「生きていくのに実際いくらかかるのか」という実感である。

これは家事をして初めて身につくことだ。これができていないと、お金に対してただやみくもに執着することになる。最低限これだけあればなんとかなるという「軸」がないので、何はともあれお金がたくさんなければ人生はどうにもならないと思い込み、定年後に身の丈に合わないオイシイ再就職や起業など夢見て挫折しウツになったりするのはこのような方々だ。

一方、家事ができる人は、限られたお金を使って自分の幸せを自分で作り出す体験を積み重ねて来ているので、会社を辞めて一人になっても、慌ててお金のために再び時間を犠牲にする人生に飛び込んでいかずとも、ゆったり構えて自分の好きなことや人に喜ばれることをライフワークとすることもできる。人生の選択肢が飛躍的に広がるのだ。これはとても重要なことだ。

コロナのことを例に出すまでもなく、定年後に限らず一年先には何が起きるかわからない混迷の時代である。安泰と思っていた仕事や人生がある日突然、自分の手に負えないところで突然損なわれることは、誰の身にも起こり得る。その時、頼りになるのは、周囲がどうなろうと自分の力で自分の人生を幸せにできる力、すなわち家事力以外の何があるのかと私は言いたい。

そして、その貴重な能力を子供のうちから身につけていれば、長い人生の不安は確実に減ることはいうまでもない。いやよく考えると、家事を身につけるのは現代の若者にこそ必要なことかもしれない。

格差が開く一方の社会にあって、どんな親のもとに生まれてくるかは誰にも選べない。育児放棄や虐待といったことに遭遇することもあるかもしれない。その時、家事ができること、すなわちお金に頼らず自分で自分の生活を整える手段を持っていることは、理不尽な困難さをどうにか生き延びるための超有力な助っ人になるはずである。

無論、そこまで行かずとも、これほど目まぐるしく変化する社会において、かつてのように「普通に学校を出て、普通に就職し、普通に家庭を持ち、普通に人生を全うできる」人などほとんどいないと想定すべきである。懸命に努力していても、積み上げてきたものが一瞬にして瓦解することだって十分あり得るのだ。

そんな社会の中では、自分自身の生きる力が何よりの頼みである。なので、学力を身につけるのと同じくらい、いやむしろそれ以上の熱心さでもって、家事力を身につけることが、若者の将来を明るくする何よりも確実な方法ではないだろうか。

家事とは最も確実な「自己投資」である

何度も言うが、家事ができるとは、一言でいえば「自分のことは自分でできる」ということ。日々健康的で美味しいものを食べ、すっきり片付いた部屋で自分に似合うこざっぱりしたものを着て暮らす。それができるのが「家事ができる人」だ。

その人は間違いなく幸福だ。お金があろうとなかろうと、幸福は自分自身の手で簡単に手に入れることができるのだから。

家事ができることは最も確実な自己投資であり、何は無くともちゃんと生きていけるという究極のセーフティーネットである。今話題のベーシックインカムなど夢見ずとも、誰だって、今すぐわずかなお金で健康で文化的な生活を営むことができる。

一寸先は闇の世の中でも、臨機応変に泰然として生きていける。家事を人に丸投げしている人は、これほどの宝を自ら投げ捨てているのである。

ってことで、家事の分担をやめたらば、誰か一人に集中している理不尽な負担が減るのはもちろん、誰もがそんな貴重な人生の宝である家事力を身につけることができて全くいいことづくめじゃないかと考えるわけです。

大丈夫。何も恐れることはありません。何度も書くが、炊事洗濯掃除合わせてもせいぜい40分。それを身につけるだけで生涯の人生の安泰と幸福が保障されるんだから、これほどノーリスクでハイリターンな投資はないよ。暗号資産投資やろうかどうかと迷う前に、分担やめて、一人一家事。それで全員が確実に救われる。これをやらない理由なんてないじゃんと私は思うわけです。

稲垣 えみ子

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