【今週のサンモニ】思考停止に繰り返される「多様性・反戦アピール」|藤原かずえ 『Hanada』プラス連載「今週もおかしな報道ばかりをしている『サンデーモーニング』を藤原かずえさんがデータとロジックで滅多斬り」、略して【今週のサンモニ】。

同性婚を認めるには憲法改正が必要

2024年3月17日の『サンデーモーニング』で印象に残ったのは、思考停止に繰り返される「多様性アピール」と「反戦アピール」です。「多様性」も「反戦」も極めて重要な概念ですが、彼らがそれを本当に実現したいのか、疑念を感じるところです。

関口宏氏:3月14日(木)…

同性婚訴訟の原告(VTR):同性カップルにも異性カップルと全く変わらない当然の権利が与えられて励まされる判決でした。

関口宏氏:同性婚を認めないのは「憲法違反」という判決が、この日高裁で初めて下されました。憲法に「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する」と定められている点について判決では「同性間の婚姻についても異性間と同じ程度に保証していると考えるのが相当だ」とされたのですが…

同性婚認めないのは憲法違反 札幌高裁 2審での違憲判断は初 | NHK

日本における同性婚訴訟の最大の争点は憲法24条1項の条文内にある「両性の合意のみ」という表現です。

日本国憲法第24条
1. 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2. 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

「両性の合意のみ」という表現に対して、同性婚の賛成者は「両性」には「同性」も含まれると主張していますが、現実にはその可能性はゼロです。「両性」は間違いなく「男女両性」を意図しています。

よく知られているように、日本国憲法は米国の主導の下に起草されましたが、この時代の米国では、同性婚どころか、同性愛が犯罪でした。

かつて欧米をはじめとするキリスト教社会では同性愛は死罪の対象にもなる犯罪でした。教会は教義に基づいて同性愛を禁じたのです。いわゆる【ソドミー法 Sodomy law】です。米国でソドミー法が初めて廃止されたのは1962年イリノイ州であり、すべての州で撤廃されたのは2003年です。

つまり、同性婚を認めないことが憲法違反であるとする札幌高裁の判決は、立憲主義に違反する危険行為と言えます。同性婚を認めることは憲法上想定されず、同性婚を認めるには憲法改正が必要なのです。

【速報】岸田総理「同性婚認めることは憲法上想定されず」同性婚認めないのは「違憲」の札幌高裁判決受け | TBS NEWS DIG

関口宏氏:これは田中さん、どう受け取りましょう。

田中優子氏:今、私たちが持っている憲法、戦後憲法であるが、それの目的というのは、人権と個人に価値をおいた社会を作ることだ。憲法の施行から既に80年近く経っているが、ようやく本来の憲法の目的に沿った司法判断がされるようになった。

戦後憲法の根本精神は「法の支配」を実現する立憲主義にあります。同性婚は明確な憲法違反です。もし国民が望むのであれば、堂々と憲法改正を行って、同性婚を実現すればよいだけです。

「多様性」を振りかざすだけでは問題解決にならない

田中優子氏:これに比べて自民党の憲法改正草案があるが、それには個人という言葉が消えたり、憲法24条1項を改悪したりしている。あらためてこれを見て、自民党の考え方が時代に追いついていないなと思う。

これは論点転換による印象操作です。自民党の憲法改正草案がどうであろうと、同性婚の可否とは無関係です。

田中優子氏:一方、これだけの判断が出ているのだから早く法律にして欲しい。そうやって日本の社会を一歩でも「多様性」にしたものにして欲しい。

自由主義国家の法律は、ワイドショーのコメンテーターの価値観で決定されるものではありません。田中氏のように、個人の価値観で社会の「快」「不快」を統制して立法を促す考え方を【リーガル・モラリズム legal moralism】と言います。

この問題には様々な論点があり、田中氏のように【多様性 diversity】という言葉を意味もなく振りかざすだけでは、問題解決になりません。『サンデーモーニング』の主張は、あまりにもナイーヴ過ぎます。そもそも社会の多様性は、異なる属性を持つ個人の存在によって生じるものであり、制度の有無によって消滅するものではありません。

同性婚の問題は「権利」ではなく「社会的認証」の問題

ここでこの問題に関する一般的な論点を簡単に紹介しておきたいと思います。

日米欧は【自由主義=リベラリズム liberalism】の国家であり、ジョン・ロールズの自由主義の【正義 justice】を法哲学の基本としていますが、同時に【民主主義 democracy】の国家でもあり、他の【多元的 plural】な正義も尊重しています。

次のリンクは、自由主義の正義と対称的な【共同体主義 communitarianism】の正義を提唱するマイケル・サンデル教授の同性婚問題に関する講義の動画です。サンデル教授は、この講義で多くの重要な論点を示しています。

通常、自由主義国家では、他者に危害を加えない限り、自らが希求する【善 goodness】を実行する自由があります。同性婚についても、その行為自体は誰にも危害を与えません。

ただし、この考え方で同性婚を認めれば、同様に「一夫多妻」「一妻多夫」「自分との婚姻」「生物との婚姻」「無機物との婚姻」など、様々な形態の婚姻を認める必要が出てきます。

このため、婚姻の権利を考えるにあたっては、婚姻の【テロス(哲学的目的) telos】を定義する必要が生じます。ちなみに、そのテロスは「生殖活動」ではありません。なぜなら、生殖の可能性は、現在の異性間の婚姻においても、必要条件とされないからです。

宗教や道徳の考えを排除すれば、婚姻のテロスを「互いに独占する宣言を共有する相手を個人が自由に選択すること」とすることができます。

ただし、このように定義された婚姻のテロスをもって国家が同性婚を認める場合にも反対意見は発生します。強い道徳的価値観をもつ市民は、国家が同性婚を公認することに反対するのです。彼らは婚姻を個人の選択を超えた社会的地位・名誉の配分、つまり社会的認証として考えているのです。

公平の観点から考えれば、すべての婚姻を国家が認証する制度を廃止することも一つの選択肢です。これは各個人が自分の婚姻を宣言すれば、それを婚姻と考えても国家は関与しないとするものです。

しかしながら、多くの市民は、婚姻を社会で最も価値がある制度と認識しているので、廃止を望みません。彼らの婚姻に対する認識は、相互性・交友性・親密性・忠実性・家族といった理想を個人が深く宣言し、社会が高く祝福するものなのです。

結局「排他的な永遠の宣言」といったように、婚姻のあるべき姿(テロス)を定義しない限り、議論は進みません。ここにコミュニティに属する個人の倫理の集合体である道徳が議論に関与せざるを得ないのです。

サンデル教授の講義の結論は同性婚の可否ではありません。サンデル教授は、多元的社会において同性婚の可否を問うには、社会の構成員の対話が必要であると結論付けたのです。

その意味で、日本においても、憲法改正の議論を通して倫理的な合意点を模索することが重要であると考えます。実際、パートナーシップ制度がさらに充実すれば、同性婚の問題は、自由主義の正義が関与する「権利の問題」ではなく、「社会的認証のみの問題」となります。

議論の進め方としては、政治家は勿論のこと日本の新聞・雑誌・ネット論壇といった言論機関が個々の倫理を提示しながら自由闊達な議論を展開するのが望ましいと考えます。

その一方で、『サンデーモーニング』のような偏向テレビ番組の偏向コメンテーターが公共の電波を悪用して社会の「快」「不快」を統制する発言は、厳に慎む必要があると考えます。テレビは特定思想のプロパガンダ装置ではありません。

日本は世界征服を企む悪の軍事国家?

この日の「風をよむ」のセグメントは「戦争と今年のアカデミー賞」と題するテーマでした。田中優子氏は、ここでも妄想を膨らませました。

日本の2作品が注目された今年のアカデミー賞 戦争にまつわる作品の受賞相次ぐ【風をよむ】サンデーモーニング | TBS NEWS DIG

田中優子氏:『オッペンハイマー』について言うと、「研究者と戦争」という問題を考えた。10年くらい前から軍事研究ということが言われるようになってきて、さらに防衛装備の輸出ということになってきた。それを考えた時に、日本にもあのような研究者が現れる可能性がある。研究をしているだけだと思っているが、実はそこに巻き込まれて行って、とんでもないことになって行く。研究者がどうあるべきなのか、学術会議の問題もそうだったが、考えるべきことだ

なぜ『サンデーモーニング』のコメンテーターの皆さんは、日本が世界征服を企む悪の軍事国家を目指しているような、子どもにもバカにされるような突拍子もない妄想を抱き続けるのでしょうか(笑)。仮に日本が侵略戦争を画策しようものなら、国民がそれを許さず、侵略する前に内閣が倒れるというのが蓋然性の高いシナリオであると考えます。

また、日本が軍事研究を行っているのは、中露北のような覇権国家に対する戦争抑止と防衛のためであり、他国への侵略を考えている政治家が存在する合理性は極めて低いと言えます。

このような可能性がほぼゼロの妄想を膨らます一方で、可能性が十分に考えられる中露北の侵略についてはまったく言及しないのですから、ひたすら笑うしかありません(笑)。

学術会議も同じ穴の狢です。日本が他国を侵略することを恐れ、日本の安全保障を妨害し、国民に不要のリスクを与えてきました。なお、幸運にも学術会議は国から切り離される予定になっています。勘違いして支配欲と自己顕示欲を持った私人くらい、国民から見て厄介な存在はいません。

ちなみに、当時オッペンハイマーが存在していなくても、核爆弾の開発は時間の問題であり、止めることはできませんでした。研究者は覇権国が悪魔の武器を開発していることを常に想定している必要があります。

平和のために研究者に求められるのは、①覇権国が軍事技術を使用する動機を止める懲罰的抑止に資する技術の開発と、②覇権国の軍事技術を無力化する拒否的抑止に資する技術の研究です。もちろん、②の取り組みが極めて重要です。これこそが研究者のあるべき姿であると考えます。

藤原かずえ | Hanadaプラス

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