「しょうゆにしょうゆをかけて、飲みます」唐突にもほどがあるつかみからの、『サザエさん』の中島くんが合体する合体漫才へ。文字にすると意味が分からないが、実際に見ると強烈なパワーに巻き込まれ、思わず笑い声をあげてしまっている。その特異すぎるスタイルは、どうやって生み出されたのか? 現在のトム・ブラウンに至る転機、「CHANGE」に迫った。【第3回/全4回】
順調な滑り出しに「もう楽勝だな」って
2018年に『M-1グランプリ』で決勝戦に進出し、メジャーなステージに駆け上がったトム・ブラウン。だが、そこに至るまでは長い時間がかかっている。09年、コンビを結成したのと同じ年に、勢い込んで札幌から上京したのだが、すぐに挫折を味わうことになる。
布川「東京で勝負するしかないよな、とは思っていました」
みちお「コンビ組んで、札幌在住のまま稼いでいくっていうのが、そんなに現実的じゃない感じなので。コンビ組んだのも、東京でやるんだったらっていう感じでした。ちなみに、僕はすぐ売れると思っていました」
上京後、トム・ブラウンはマセキ芸能社のライブオーディションに、2連続で通過。順調な滑り出しのように思えたのだが……。
布川「そのときは、“もう楽勝だな”と思いましたね」
みちお「2人で歩きながら、“意外といけるな”って話した記憶があります。でも、そこから何か月も連続でオーディションに通らなくなって。お天道様に見られていたんでしょうね」
2人が当時、憧れていたコンビは、布川さんがタカアンドトシとFUJIWARA。みちおさんが笑い飯とフットボールアワー。しかし、彼らが目指す方向性とは別に、2人はかなり独特なネタをやっていたようだ。
ホットペッパーネタで「永遠に受からなくなって」
みちお「僕が木村カエラさん(39)の格好をして、当時、出ていたホットペッパーのCMソングを歌うんですよ。“ホットペッパー、ピップペッパッピー”って、それを布川さんが横で“木村カエラさんだーっ!”って、言い続けるネタをやっていました。
“めっちゃいいのできた!”って、2人でやって思ったのに、オーディションで見せたら落ちて。でも、何を思ったのか、次の月もまったく同じネタをやって連続で落ちて。永遠に受からなくなって。
いま思えば、自信を持って東京に出てきて“いけるな”ってなっていたのが、そこで落ち込んだ感じですね」
布川「この前、自分たちの原点のネタをやる企画があって、久しぶりにそのネタをやったんですよ。あの……面白くないですね。“そりゃ落ちるよ”って思いますよ」
オーディションに落ち続けているにもかかわらず、ネタを変えようとはしなかった2人。そこには、ちょっとした勘違いがあったようだ。
布川「オーディションで、ほかの芸人さんも見ているんですけど、なんか笑っていた感じがしたんですよ。三四郎さんとか、ジグザグジギーさんとか。じゃあ、いけるだろうって思っていたんですが、後から聞いたら、あれは普通の笑いじゃなくて苦笑いだったって。“あいつら、またやっているよ”っていう」
「1回出てみるか」の漫才がそこそこ受けて…
勘違いでホットペッパーネタをやり続けた2人。その間も体の角度とか、細かいところをブラッシュアップさせていたというが……。
みちお「そこから全然、受からずにどうしようってなって、ほかにネタを見てくれる事務所があって、そこはダメ出しとかアドバイスをしてくれるから行ってみようってなったんですよ」
その事務所が、現在、トム・ブラウンが所属するケイダッシュステージだった。
布川「もともとコントをやっていて、何かで漫才をやる機会があって、ネタもなくて。とりあえず一回出てみるかとやったときの漫才が、そこそこ反応があったので、漫才に変えたんですよ」
みちお「ほとんどアドリブに近かったよね。東高円寺のライブハウスだったかな」
そして16年には、後のブレイクにつながる合体漫才が生み出される。そして、それが本格的に世に出るのが、18年の『M-1グランプリ』だ。その2年の間、トム・ブラウンの2人は、ホットペッパーのときと同じように、ネタを磨き続けていた。
みちお「売れないのがつらくはありましたけど、自分は何かになれるっていう、根拠のない自信を持ち続けていました。それは今も変わらないですね」
しぶとくやり続けることで花が開いたトム・ブラウン。23年の『M-1』では合体漫才を封印し、新たなネタで敗者復活戦から準決勝に進出した。ここから、どんなブラッシュアップがされるのか、楽しみである。
トム・ブラウン
布川ひろき(ぬのかわひろき)/1984年北海道生まれ
みちお/1984年北海道生まれ
2009年に結成。高校時代に柔道部の先輩だった布川がみちおを誘ってコンビ結成。同年に上京するが、しばらく自分たちの芸を模索する時期が続く。18年に『M-1グランプリ』の決勝に進出すると、そこで披露した合体漫才が話題となり、一躍脚光を浴びた。テレビ番組への出演が増える中、単独ライブツアーをほぼ毎年行っていて24年も北海道、東名阪、福岡でのライブが予定されている。