年金減額でも〈繰上げ受給〉以外選択の余地なし…月収50万円だった59歳“亭主関白”夫、年金月14万円の独りぼっち老後に絶望。56歳“ネコババ”妻の壮絶な復讐劇【行政書士が解説】

(※写真はイメージです/PIXTA)

高齢化に伴い、配偶者を介護する夫婦が増えています。介護が必要になるときは、突然やってくるものです。もし自身が介護される立場になった場合、配偶者との関係性が変わってしまうかもしれません。なかには、身体が不自由な状態のまま離婚されてしまうケースもあって……。本記事では宮本さん(仮名)の事例とともに介護疲れによる熟年離婚について、行政書士の露木幸彦氏が解説します。

配偶者の介護に疲れ…増える「熟年離婚」

年々、老老介護が進んでいます。厚生労働省の統計(2022年、国民生活基礎調査の概況)によると夫婦のみの世帯で要介護者がいる割合は25%(2022年)、10年前(2001年は18%)と比べ、3割も増えています。介護者の23%は同居の配偶者です。

もし、「夫婦だから助け合わなければならない」という暗黙の了解があるのなら、夫婦をやめる……つまり、離婚すればいいというのも一理あるでしょう。

近年、介護疲れは社会問題になっており、ニュースで事件に発展したケースを目にします。悲しい結末を辿るくらいなら「介護離婚」したほうがまだましかもしれません。実際のところ、熟年離婚(同居35年以上)は30年で5倍に膨れ上がっています(1990年は1,185組、2020は6,108組。厚生労働省の令和4年、人口動態統計特殊報告)。

では、どのようなケースは離婚に至るのでしょうか? 筆者の相談事例をもとに解説しましょう。

なお、本人が特定されないように実例から大幅に変更しています。また病名や財産の内容、離婚の経緯などは各々のケースで異なるのであくまで参考程度に考えてください。

50代で介護状態となった夫

<家族構成と登場人物の属性(すべて仮名、年齢は相談時点)>

夫:宮本裕(59歳)会社員、年収600万円(月収50万円) ※今回の相談者
妻:宮本志保(56歳)専業主婦
子:宮本帆奈(29歳)

<裕さんの財産の内訳と合計(約5,050万円、年金除く)
預貯金 450万円
戸建ての持ち家 2,600万円(住宅ローン2,000万円)
生命保険 1,200万円
退職金 800万円
厚生年金 毎月14万円(60歳から繰上げ受給したとして)

「家内に……捨てられ、金も……とられ、もう散々ですよ……」

裕さんは筆者の事務所に電話をかけてきたのですが、そんなふうに裕さんは妻への恨みを言葉にしました。その声は小さく、途切れ途切れで、弱々しい印象でした。なぜでしょうか?

――裕さんにはまだある病気の後遺症が残っていたのです。まず、35年間の結婚生活はどのようなものだったのでしょうか? 裕さんが振り返ってくれました。

入浴・オムツ拒否の夫に妻「もう面倒見ない!」

「家内は僕への不満をブログに書いたりするし、根暗で陰湿な性格が嫌でした」

裕さんの財布から万札を抜き取ったり、書斎から実印がなくなって作り直したり……裕さんは妻の仕業だろうと気付きながら、なにも言わなかったそうです。そして娘さんが中学に入ると会話はなくなり、娘さんを通しての話だけになったとのこと。

「家内には言えませんが、不倫をしたこともあります。でも、娘を大学まで行かせたし、なんだかんだ言って『普通の家庭』だと思っていました」と口にしますが、残念ながら、妻はそう思っていなかったのでしょう。

そんな「普通の家庭」が壊れるきっかけは突然、やってきました。裕さんが仕事中、急に倒れたのです。多発性脳梗塞後遺症と診断され、なんとか一命を取りとめたものの、両手、両足に麻痺が残るほどの重病でした。そのため、車椅子で移動しなければならず、食事や身の回りのことは介助が必要なので要介護度3と認定されたのです。

前述の統計によると介護が必要になった主な原因の1位は認知症、2位は脳血管疾患、そして3位は骨折、転倒です。

裕さんはいままで当たり前にできたことが当たり前ではなくなり、そのたびにストレスをため込んでいました。まさかシモの世話を妻にやってもらうなんて思ってもみませんでした。

たとえば、妻は毎朝、裕さんを風呂に入れてくれたのですが、裕さんは素直になれず、「風呂なんて入らなくても死なねーよ!」とダダをこねてしまったのです。妻はただでさえ忙しいのに裕さんを説得して入浴を促すまで小1時間を要することに。

しかも、裕さんは毎晩のように粗相をし、異臭を放っていたので入浴の介助もかなりの苦痛だったのでしょう。そのため、妻は紙オムツを用意しておいたのですが、裕さんは「ばかにするんじゃねー!」と激怒。オムツをつけることに協力しなかったそう。

結局、妻は尿が染み付いた布団を毎週1,2回は大型のコインランドリーに行かざるをえず、妻の心身はますます疲弊していったのです。

離婚を切り出したら…夫、ブチギレ

「もう、あんたの面倒はみない! 離婚って意味よ!!」と妻はついに堪忍袋の緒が切れてしまいました。裕さんはどのように反応したのでしょうか?

「夫婦はお互いに助け合う義務があるのにどういうことなんだ! 面倒をみないなら夫婦である必要があるのか?」と食ってかかったのです。さらに「手足の麻痺で営みができないから、お前と結婚していても意味がない!」と畳みかけたそう。

こうして売り言葉に買い言葉の応酬が何ヵ月も続いたのですが、最終的には裕さんが「紙切れ一枚で俺を縛り付けるな! お前といる意味がない!!」と捨て台詞を吐き、ようやく離婚届に署名したのです。

とはいえ介護が必要な裕さんを誰が面倒をみるのでしょうか? 妻は裕さんの実家を訪ね、両親に頼みに行ったそう。裕さんがリハビリをサボり気味なので社会復帰できる見通しが立たないのですが、そのことをあえて隠しました。そうすると両親は後遺症が回復するまで一時的に預かるだけ。そう軽んじたようで、あっさりと快諾。

そして夫婦には29歳の娘がいるのですが、すでに結婚して家庭を持っているので心配はありません。このように妻は離婚に向けて、家族の問題を次々と解決していったのですが、妻の復讐は離婚だけでは終わりませんでした。

動けない夫を尻目に…保険金と退職金の2,000万円と持ち家ゲット

まず夫婦の持ち家は築20年で残りの住宅ローンは1,000万円。住宅ローンを組む場合、団体信用生命保険(途中で債務者が亡くなった場合、住宅ローン残額と同額の保険金が支給され、優先的に住宅ローンに充当される保険)の加入は必須ですが、今回の場合、三大疾病保障特約を付与していました。これは死亡だけでなく三大疾病を発症した場合も保障されるという意味です。そのため、妻は住宅ローンがなくなった持ち家で離婚後、無償で住み続けることができました。

そして裕さんは被保険者、受取人が夫という高度障害保険金に加入していました。これは癌、脳梗塞、心筋梗塞などの三大疾病を発症した場合に支給されるタイプで今回の場合は一時金で1,200万円でした。

ところで今回のように病気の後遺症等で本人(契約者)は保険請求の手続を行うことが難しい場合、「指定請求代理人」が代わりに行うことが可能です。

裕さんの保険では、どちらの保険も妻になっていたので妻が申請したのです。しかし、保険金は妻が通帳等を管理している裕さん名義の口座へ入金させ、そして今度は妻の口座へ移し替えたようです。

また裕さんは後遺症により日常業務すら難しい状況なので65歳の定年を待たずに退職せざるを得なかったのですが、退職金(800万円)支給の手続のため自力で会社へ行くのも厳しいので妻に任せるしかありませんでした。妻はやはり同じ方法で一度は退職金を裕さんの口座に振り込ませ、そこから妻の口座へ移し替えたのです。

残ったのは「預貯金と厚生年金」のみ…年金は繰上げ受給でいますぐ受け取り開始

妻がこそこそと裏で動いていたことを裕さんが知ったのが後日のこと。筆者は行政書士、ファイナンシャルプランナーとして夫婦の悩み相談にのっていますが、裕さんはそのことに激高し、筆者の事務所に電話をかけてきたのです。裕さんの手元に残った財産は預貯金と厚生年金のみです。

まず預貯金ですが、妻が管理していない口座に入っていた450万円は無事でした。次に厚生年金ですが、婚姻期間中に納めた厚生年金をわけ合う制度を年金分割といいます。もし、裕さんの年金が妻に分割された場合、裕さんの年金がいくら減り、妻の年金がいくら増えるのか。詳細な試算を年金事務所で発行してもらうことが可能です。

試算書のことを「年金分割のための情報提供書」といいますが、年金手帳と戸籍謄本を提示すれば無料で発行してくれます。手足が不自由な裕さんの代わりに筆者が申請をしましたが、仮に年金分割を行った場合、65歳から受け取る裕さんの年金は毎月4万円ほど減ることがわかりました。

しかし、年金分割を行うには裕さんが公正証書に署名捺印するか、裁判所を通して離婚しなければなりません。これらのことを行うことが難しいため、妻は断念したのでしょう。とはいえ裕さんはいますぐ年金が必要で、65歳まで待つことは難しいです。そのため、60歳から繰上げ受給をするので、毎月の金額は14万円となる予定です。

亭主関白を続けた夫…「介護離婚」は身近にある

もちろん、裕さんは妻に対しても黙っていたわけではありません。「こんなことが許されると思っているのか!」と怒りをぶつけたのですが、妻は「あのとき(倒れたとき)、いっそのこと死んでくれたほうがよかったのに」と返してきたそう。

今回の場合、裕さんは59歳と若く、このまま結婚生活を続けた場合、妻は20~30年もの長きに渡る介護を強いられます。さらに「あんたが寝たきりになる前に別れたかったの!」と続けるので裕さんは唖然としたまま、なにも言い返せず、しょげてしまったのです。

このように裕さんにとって離婚は寝耳に水でした。確かに介護は急に始まりますが、介護離婚は急に起こるわけではありません。

まず裕さんが倒れる前まで妻を経済的に支えるという強い立場でした。しかし、倒れたあとは妻の助けがなければ日常生活を送れないという弱い立場に変わりました。それにもかかわらず裕さんは、相変わらずの亭主関白。「誰のおかげで飯を食えていると思っているんだ」と言わんばかりに横暴な態度をとり続けたので、妻に見捨てられてしまったのです。

もし裕さんが少しでも立場の逆転を察し、健気な態度をとったり、感謝の言葉をかけたりしていれば、妻がここまで思い詰めることもなかったでしょう。

さらに妻が怪しげな行動をとったのは今回が初めてではありません。裕さんの財布からネコババをしたり、実印を持ち出したりするなどの前兆がありました。もし、このような妻の性格を両親に伝えておけば、妻が訪問した際に疑ったでしょう。

また生命保険の代理人を娘さんにしておけば、妻は手続きをできませんでした。そして退職金の手続きも娘さんに任せれば、妻ではなく裕さんの管理する口座に振り込まれたはずです。離婚は別れる、別れないだけでなく、お金の話が伴います。妻が離婚の話をしてきた時点で防衛策を講じることは可能でした。

「夫婦なら助け合うのは当然」という風潮は団塊の世代では今だに根強い印象ですが、妻は夫の身の回りの世話、病院の付き添い、病気の看病するのが当たり前だと思っている男性は危険です。「夫婦だから」という理由だけで夫の介護を押し付けられるなら「夫婦をやめたい」と離婚に踏み切る妻が実在することがおわかりいただけたでしょう。

露木 幸彦
露木行政書士事務所

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