柄本佑が役者として大切にしていること 「良い悪いじゃないところに行けたらいい」

きらびやかな平安時代の風景の一方で、愛憎入り交じる物語で回を追うごとに視聴者を夢中にさせているNHK大河ドラマ『光る君へ』。そんな本作において、主人公・まひろ/紫式部を演じる吉高由里子とともに、物語の中心にいるのが藤原道長を演じる柄本佑だ。脚本を手掛ける大石静、そして吉高とは2020年放送の『知らなくていいコト』(日本テレビ系)でもタッグを組み、視聴者を“尾高さん沼”に引きずり込んだ。本作でも純朴かつ熱烈な愛を見せる道長をここまで自分の役柄にしている。道長は“最高権力者”へと変貌していくが、はたして柄本はどんな心構えで演じているのか。撮影の合間にじっくりと話を聞いた。(編集部)

●吉高由里子の凄さは“強いんだけれども弱くも見える”ところ

――藤原道長役のオファーを受けたときのお気持ちは?

柄本佑(以下、柄本):(道長には)学校で習うような、時の権力者としてのヒールっぽいイメージがありました。ただ、自分が何を演じるかというよりも、大石(静)さんが脚本を書かれて、吉高(由里子)さんが主演をされる、というところが大きくて。過去に一度だけ同じ組(『知らなくていいコト』)でやらせてもらったときに現場がとても楽しかったので、「(2人が)大河をやる」というニュースを見て、「チェッ、いいなぁ、楽しそうじゃん」と思っていたんです(笑)。だから、お話をいただいたときには単純にその座組に入れる喜びがまずはありました。そこから道長についても考えていきましたが、最初の打ち合わせで「末っ子で、のんびり屋で、実は人間味がある人だと。兄貴が政治に入って、自分も関わらないわけにはいかないけれど、そこまで前に出ようとは思っていなかった。そんな三男坊の道長くんが、あれよあれよという間にその座に行ってしまう。そういった道長像がやりたい」と言われたんです。大石さんは「『ゴッドファーザー』のアル・パチーノみたいにしていきたいな」とおっしゃっていて、そっちのほうがプレッシャーでした(笑)。何の因果か、ちょうど池袋の新文芸坐で『ゴッドファーザーPART II』を観たばかりだったので、「あれかい」と思って(苦笑)。いろいろな本も読みましたけど、僕としては1000年以上前のことで細かいディテールまでわからなかった、というのが良かったかもしれないですね。みなさんがイメージするような道長ではなく、“大石さんの描く道長さん”に向き合っていけばいいんだなと思ったし、台本に書かれている道長は、それくらい強いキャラクターでもありました。

――そんな“ゴッドファーザー”一族となる、段田安則さんをはじめとする家族のみなさんについてはいかがですか?

柄本:長男の(井浦)新さん、次男の(玉置)玲央さん、長女の(吉田)羊さん、末弟の僕、そして父・段田(安則)さんがバンッと映ったときに、「家族に見えるな」と思ってすごく驚きました(笑)。とにかく段田さんですよね。これからの段田さん演じる兼家にまたちょっと一波あって、僕も一緒に芝居をさせていただいて痺れました。あとは新さんの道隆の、柔らかいんだけどどんどん攻撃的になっていくさまと、怜央さんの道兼の狂気と。羊さんも含めて周りが強すぎるので、僕は一番薄いキャラでいようと(笑)。「あの4人に打ち勝つぞ!」と思っても無理なので、存在感をいかに消せるか、という思いでやっていました。だんだん、みんないなくなっちゃいましたけど……。

――そんな家族たちのいい部分も悪い部分も道長は受け継いでいくと。

柄本:そうですね。政治に向かっていく道長が、なによりも藤原を残していくことを考えるようになる。だから、これからの道長は、ギャップと戦い続けていくというか。自分自身の本当の人間性と、藤原を残していくためには自分がトップに立たなければいけない、というギャップが、葛藤に繋がっていくかなと思っています。

――第9回の直秀(毎熊克哉)らを埋葬するシーンが印象的でしたが、どんなお気持ちで演じられましたか?

柄本:このドラマにおいて、ここからまた一つ話が進むような要になるシーンだと思っていました。ただ、(演じている瞬間は)理詰めでやっているわけではないので、“今思ってみれば”ということではあるんですけどね。台本上では、埋葬した後に「すまない、皆を殺したのは俺だ」とまひろに言うんです。でも道長だったら、まひろに懺悔するというよりは、やっぱり目の前にいる、もう聞こえない、見えない埋葬した仲間たちに言うんじゃないかなと。道長が偉くなっていく過程には民を思う一面があって、(その部分に関して)「これが一番の根っこになるんだ」と思いながらやっていたような気がします。当時は、なんとなく「まひろに言うよりこっちじゃない?」くらいの感覚でしたが(笑)、今振り返るとそんな感じかな。

――柄本さんご自身、まひろと道長の関係について何か思うことはありますか?

柄本:「道長さんを演じる」と思いながら台本を読んでいるので、この関係に思うことはあまりないんです。僕としては、セリフを吐いて、現場で起きたことに対して反応していく。第9回の埋葬シーンもそうですが、それまでに培ってきた、付き合ってきた道長さんだったら、たぶんこうするんじゃないかな、という勘みたいなものがあって。でも、まひろと道長のシーンに関しては、感情が行ったり来たりするんです。特にまひろは、1個前に言ったセリフと、僕が一言挟んで、その次に言うセリフが真逆だったりする。大石さんっていう人は、なかなかいけずなシーンを書きますなと(笑)。その中でも、廃邸でのシーンでは道長がまっすぐにぶつかっていくんだな、とは思います。あの廃邸のシーンでしか、道長は本音で語れていないのかもしれない。まひろに対してだったら怒ることもできるし、優しい言葉もかけられる。そんなところが、良くも悪くもソウルメイトである所以なのかなと思います。ただ、廃邸のシーンってことごとく長いんです(笑)。だから吉高さんとバディを組んで、協力しながら大石さんの書く“この厄介なもの”に挑んでいる感じがします。

――吉高さんと解釈を話し合うようなことは?

柄本:「あそこはああで、ここはこうで」と話すようなことはないですね。でも、感想は言い合ったりしています。「あのシーン読んだ?」「ちょっと長くない?」「でも、頑張ろう!」「頑張ろう!」みたいな(笑)。

――吉高さんの演技で印象的だったことや驚いたことは?

柄本:特定のシーンということではないんですが、長いシーンでは懐の深さを毎回感じます。廃邸のシーンでは、まひろに引っ張られることが多いです。それから、第5回の告白シーンは非常に印象に残っています。第10回の長いワンカットのシーンもあるんですけど、告白の場面では吉高さんに目を奪われました。もう、たたずんで見ることしかできなかった。非常に強いシーンではあるんですが、“強いんだけれども弱くも見える”というのが吉高さんのすごいところで。そのあたりを毎回、感じています。

――道長はまひろのどんなところに一番惹かれたと思いますか?

柄本:言葉で表せられるような惹かれ合いの強さじゃないんですよね。だから、惹かれているところと、憎んでいるところが同じ、というか。そういったこともひっくるめてソウルメイトというイメージです。どんなに会わないようにしていても、奇しくもどこかで会ってしまうような関係。ただ、僕自身としては、まひろの猪突猛進なまっすぐさが魅力的だなとは思います。先ほどもお話したように、まひろは何か一言言って、僕のセリフを挟んで逆のことを言うことがあるので、明らかに矛盾してくるんですけど、どっちも嘘じゃないんですよね。「これを言って、翻弄してやろう」ということもないんです。全部がまっすぐに放たれているセリフで、どっちも嘘じゃない。それもまた吉高さんのすごいところだと思いますし、その“嘘のなさ”はまひろの魅力なのかなと思います。

●「“今、普通に生きている”ということを大事にしたい」

――これまで柄本さんが演じられた役の中で、おそらく一番偉い人を演じているのではないかと思いますが、最高権力者を演じる難しさはありますか?

柄本:市井の人間役が多いので、たぶん一番偉い役ですし、今後この偉さを超える役もなかなかないかもしれないですね(笑)。今撮影しているシーンあたりもだいぶ権力を握らせていただいていますが、まさにそのあたりに奮闘している真っ最中で。はっきりとしたことは言えないんですが、特に道長の場合は「最高権力者だ」と思わないこと、1人の人間である、ということでしょうか。当然、そういう差配をしなくてはいけない瞬間や、世の中のことを考えて動かなくてはいけないこともあるけれど、根っことして一番大事になのは、やっぱり第9話の埋葬シーンで直秀たちに謝ってしまうようなところなんだと。さらには末っ子でのんびり屋だったというベースを大事にしないと、最高権力者としてやっていても、どこかフワフワしたものになってしまうような気がしています。

――今回で3度目の大河ドラマ出演となりますが、柄本さんが年齢を重ねることで得たと感じる、役者としての引き出しはありますか?

柄本: “37年間生きてきた”ということくらいしかないかな。今20何年やっていますけど、どんどんシンプルな方向に行っている気がします。セリフを覚えて言うことが、僕らの仕事なんだ、と。それに、セリフを言うことが年々、難しくなってくるなとも感じています。ここからさらに難しくなっていくと思うので、そのためにも“今、普通に生きている”ということを大事にしたい。僕は映画が好きなんですが、映画館に通ったりすることが結局、仕事と自分を繋げてくれるので、そっちを意識していくことになるのかなと思います。理想としては、良い悪いじゃないところに行けたらいいなって。もう37歳で、少ししたら40歳になるので、うまいとか下手とか、そういった世界戦からは脱しないといけない。(柳家)小三治師匠が弟子の三三さんが真打に昇進したときに、「これから三三という名前が『いい名前だな』と言われるかどうかは、本人の仕事次第。良くなっていくか、悪くなっていくかわからないけど、たとえ悪くなっていったときにも、そんな自分も許容して楽しめるくらいになったらいいやね」みたいなことをおっしゃっていて。そんなところまで行けたら、もうちょっと楽しくなる気がしています。

(文=石井達也)

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