元ドラゴンズ山﨑武司氏が語った「星野仙一監督との思い出」

TOKAI RADIO『Live Dragons!』(月18:00~19:00 火~金17:15~19:00 DJ平松伴康)水・木の『HOMERUN GARAGE』(ホームラン ガレージ)のコーナーでは、プロ野球通算403本のホームランを記録し、ドラゴンズなどで活躍したプロ野球解説者・山﨑武司氏が、野球人生での思い出ばなしなどを語っている。時には、趣味(クルマなど)の話も交えて、自身の大きな「GARAGE」に詰まった話を披露している。

3月20日(水)の放送では、山﨑氏が「星野仙一監督」との思い出を語った。

「(星野監督との付き合いは、1986年の)ドラフトで指名してもらったのが最初で、最後は(2011年に)楽天を退団するときだった。星野さんとは12年ぐらい(監督と選手として)やらせてもらった。第1次政権(1986年~)のときは、僕がまだレギュラーとしてやっていたわけではないが、それが、第2次政権(1995年~)になったときには、レギュラーとして主力でやらせてもらって、最後(楽天時代の2011年)は、選手としての晩年を、一緒にやらせてもらった」

「星野さんも、年を経るにしたがって、ずいぶんトーンが変わっていくのを感じたが、根本は最後まで貫き通したと思う。星野監督の野球観、チームを作る方針というのは、ドラゴンズでもタイガースでも楽天でも一緒だったと思う。今で言うと、強い宿題を与えるというか、今はこういう時代なので、確かに、今、(星野さんが)監督をやるとしたら、ちょっとむずかしいところがあるかもしれない」

星野監督の野球観 高校野球の延長?

「でも、僕たちがやっていた頃の、若いときの時代には、あのやり方に、ついていかなきゃいけない、乗り遅れちゃいけないという気持ちのほうが強かった。高校野球の延長かな、根本は。僕らの高校時代も根性論でやっていたし、星野監督もそういうところはすごく強かった。でも、それがあったからこそ、僕は27年間できたかな。星野さんとは、いろいろやらかしましたけど、トータルすれば、星野監督の、戦う姿勢というものは、ずっと持ち続けられたかなあ。そこに感謝している」

一番キツかったのはダイエット

「あと、僕はやっぱり、一番キツかったのはダイエット。第2次政権のときに、監督室に呼ばれて『2か月で20㎏やせろ』めちゃくちゃだと思ったけど、言われたときの真剣な顔。『俺はマジで言ってるからな。もしできなかったら、わかってるな。ユニホーム着させねえぞ』と言われた。でも、それを実行して、その年(1996年)ホームラン王だからね。だから、まんざらでもないなあと思って、それもひとつ、星野さんへの感謝」

「(1999年の)サヨナラ3ランも(思い出のひとつ)。あの年は開幕11連勝から始まって、春先から最後まで、ドラゴンズファンも我々も、優勝だと思ってずうっと突っ走っていた。その中でプレッシャーをかなりかけられていた。日本シリーズに出るのが、ひとつの大きな目標だった。あのホームランを決めたときに、これで優勝できるという喜び、日本シリーズに出られるという喜びを感じていたが(星野さんは)厳しい人だった」

「ちょっと来い!」と言われて怒られて

「楽天を退団したときには(星野さんとは)いい関係ではなかったが、星野さんが亡くなる3か月前に、やっと話ができた。今のバンテリンドームで、星野さんの殿堂入りの表彰式があった。試合前に練習を見ていたら、星野さんから『ちょっと来い』と言われて『おまえ、そろそろ、ユニホームを着なきゃいかんのじゃないか』と言われた。『どういうことですか?』と訊くと『だからお前はだめなんだよ!』と怒られた。『野球に恩返ししろよ』という意味のことを言われて『ああ、そうですか。ご縁がないもんですから、今はこんな状態でおりますけど』と答えたのが最後の会話だったかな」

「自分のやりたいこと、自分の考えをしっかりと受け止めてくれるのであれば(ユニホームを着ることを)考えたいとは思っているが、方針として勝つためにやりたい、ファンに喜んでもらえるためにやりたい、と思う。漠然と、どうぞと言われても、なかなかうんとはいえないかな、と自分では生意気なことを言ってるんですけど…」

Live Dragons!

放送局:TOKAI RADIO

放送日時:毎週月曜~金曜 17時15分~19時00分

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