兵庫商人の社交場「旧岡方倶楽部」を重要文化財に 同倶楽部で講演会 戦前の町並み写る航空写真も展示

窓、階段上の壁も垢抜けたデザイン

兵庫商人らが集った“奇跡の建物”を国の重要文化財に―。昭和初期の洋風建築「旧岡方倶楽部」(神戸市兵庫区)=国登録有形文化財=の一般公開に合わせ、川島智生・神戸情報大学院大学客員教授(建築学)がこのほど同倶楽部で講演。川島教授は同倶楽部を「空襲にも震災にも耐えた、稀有(けう)な建造物。歴史的な価値は高い」とし、国の重要文化財への指定を訴えた。

【写真】戦禍、震災もくぐり抜けた「旧岡方倶楽部」。2025年度中に「神戸市歴史公文書館」別館として生まれ変わる

講演タイトルは「建築史から見た岡方倶楽部―兵庫津の商人の粋―」。川島教授によると、同倶楽部は、福岡出身の建築家、高松吉三郎(1888~没年不詳)が設計。高松は、数々の名建築で知られるヴォーリズ(1880~1964年)の事務所に勤務していた経験があり、そこで洋館建築について学んだとみられるという。同倶楽部は1927(昭和2)年に開かれ、地元の商人たちが利用する社交場として賑わった。

建物はルネサンス式の鉄筋コンクリート3階建て。左右対称の造りで、縦のラインを強調した、実際よりも背が高く見える外観を特徴とし、アーチ形の入り口や3階大広間にある楕円形モチーフのステンドグラスなど、凝った意匠があちこちに施されている。

江戸時代、「兵庫津(ひょうごのつ)」と呼ばれた兵庫の港湾地域は、博多や堺と並ぶ海沿いの都市として栄えたが、戦争でほとんどの建物を失った。川島教授は、焼け野原になった当時の航空写真を示しながら、「何もかもなくなり、唯一ぽつんと残ったのがこの建物。兵庫の過去の栄光が分かる象徴的な存在といえる。装飾などはできるだけそのまま残し、いずれ国の重要文化財に指定してほしい」と述べた。

講演会は約80人が聴講。終了後、参加者からは「あらためて貴重な建造物であることを実感した」などの声が上がった。講演会を企画した「よみがえる兵庫津連絡協議会」の高田誠司会長は「“奇跡の建物”である『岡方倶楽部』の価値を多くの人に知ってもらいたい。兵庫津のシンボルである建物を生かした活動に引き続き取り組んでいきたい」と意欲を語った。

同倶楽部の一般公開は3月20~24日に実施。高田会長によると、来場者は建築や歴史に関心がある人や地元にゆかりがある人など、幅広い年代の1日平均約150人。カメラを手にした人が多く、東京や名古屋など遠方から足を運んだ人もいたという。

期間中、1936(昭和11)年に撮影された兵庫の港湾地域の航空写真パネル10枚と同地域にあった寺社や銀行などを収めた古写真、絵はがきも展示された。航空写真は、新聞社「神戸又新日報」(廃刊)が出版物用に撮影したとみられるもので、訪れた人々は、パネルに顔を近づけ、当時の町並みに目を凝らしていた。

展示を担当した神戸大学大学院工学研究科の山口秀文講師(建築・都市計画)は、「航空写真を見ても、そのポイントが今のまちのどこにあたるのか分からない人もいる。それは都市開発や戦災でまちが変化し、地域の歴史と文化の蓄積、連続性が途絶えているから」と指摘。「まちの履歴を知り、歴史的資源を掘り起こすことが大事。パネル展がそのきっかけになれば」と展示の目的を説明し、「写真をよく見ると、商店街らしきアーケードや西国街道沿いに連なる町家が見え、まちの様子が想像できる。同じ場所を歩いてみて、当時に思いをはせてもらえたら」と話した。

同倶楽部の建物は今春始まる改修工事を経て、公文書や地域歴史資料などを保存する「神戸市歴史公文書館」として、2025年度中に開館する見通し。隣に文書館の本館が新設され、同倶楽部は別館として生まれ変わる予定だ。

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