京都で蘭渓道隆禅師の記念シンポ 中日仏教関係者が参加

京都で蘭渓道隆禅師の記念シンポ 中日仏教関係者が参加

23日、蘭渓道隆禅師来日伝法記念シンポジウムで交流する薛剣(せつけん)駐大阪中国総領事(奥)と西来院の雲林院宗碩住職。(京都=新華社記者/岳晨星)

 【新華社京都3月26日】鎌倉時代の日本に渡り、禅宗を広めた中国南宋の名僧、蘭渓道隆(らんけいどうりゅう、大覚禅師)を記念するシンポジウムが23日、京都市で開かれ、中国仏教協会の純一(じゅんいち)副会長、建仁寺塔頭(たっちゅう)・西来院の雲林院宗碩(そうせき)住職ら中日両国の仏教関係者が出席した。

 シンポジウムは中国在大阪総領事館が主催し、中国仏教協会と西来院が共催。両国の僧侶が禅文化を巡り深く交流し、蘭渓道隆が文化交流面で残した大きな功績をしのんだ。

京都で蘭渓道隆禅師の記念シンポ 中日仏教関係者が参加

23日、蘭渓道隆禅師来日伝法記念シンポジウムで基調講演する中国仏教協会の純一副会長。(京都=新華社記者/岳晨星)

 純一副会長は、蘭渓道隆ら歴代の禅師が中日両国の禅文化交流を積極的に進め、東アジア文化の繁栄と発展を促進したと指摘。先賢の精神を受け継いで禅文化の種を両国の人々の心にまき続け、両国の文化を共に繁栄させ、人類運命共同体の構築にしかるべき貢献をしなければならないと呼びかけた。

 雲林院宗碩住職は、西来院が蘭渓道隆開山の寺であり、開山の祖の法話を記録した「蘭渓録」をテキストに勉強していると説明。「故郷の四川を思い起こすこともあるが、日本に禅を広めるためにきた。宋も日本も同じ」という蘭渓道隆の当時の考えを紹介した。

京都で蘭渓道隆禅師の記念シンポ 中日仏教関係者が参加

23日、蘭渓道隆禅師来日伝法記念シンポジウムで基調講演する建仁寺塔頭・西来院の雲林院宗碩住職。(京都=新華社記者/岳晨星)

 薛剣(せつけん)駐大阪中国総領事は、中日2千年の友好交流は壮大な歴史絵巻であり、中でも仏教交流は精彩を放つ一章だと指摘。歴史上には日本の入唐僧や入宋僧、中国の東渡僧らが残した多くの美しいエピソードがあるとし、両国が共に努力して仏教界と各分野の文化交流を持続的に促進し、中日関係の改善と発展に前向きなエネルギーをより多く注ぐことに期待すると述べた。

 蘭渓道隆は臨済宗の禅僧で、1246年に日本へ渡り、日本の禅文化や文学、頂相画(ちんそうが、禅僧の肖像画)、水墨画、書道、茶道、禅宗寺院建築、造園などに大きな影響を与えた。1278年に死去すると、朝廷から日本最初の禅師号となる「大覚禅師(だいがくぜんじ)」の称号を贈られた。日本では徳行に優れ、不朽の功績を遺した中国の高僧とされ、鑑真(がんじん)と並び称されている。(記者/楊光、岳晨星)

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23日、蘭渓道隆禅師来日伝法記念シンポジウムであいさつする薛剣(せつけん)・駐大阪中国総領事。(京都=新華社記者/岳晨星)

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23日、蘭渓道隆禅師来日伝法記念シンポジウムで合掌する中国仏教協会の純一副会長。(京都=新華社記者/岳晨星)

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23日、蘭渓道隆禅師来日伝法記念シンポジウムで合掌する臨済宗妙心寺霊雲院の則竹秀南住職。(京都=新華社記者/岳晨星)

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23日、蘭渓道隆禅師来日伝法記念シンポジウムの会場。(京都=新華社記者/岳晨星)

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23日、中国仏教協会代表団に蘭渓道隆画像の複写を贈呈する西来院の雲林院宗碩住職(右)。(京都=新華社記者/岳晨星)

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23日、中国仏教協会代表団に蘭渓道隆画像の複写を贈呈する西来院の雲林院宗碩住職(右から2人目)と経師の大入百太郎氏(右端)。(京都=新華社記者/岳晨星)

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