『夕陽のガンマン』「ドル3部作」で最も過小評価されている傑作西部劇

『夕陽のガンマン』あらすじ

殺人犯のインディオを追って、射撃の名手として名高い賞金稼ぎのモーティマー大佐と、新顔の賞金稼ぎモンコがエルバソの街にやって来る。インディオ一味に潜入するために、同じ目的を持つ商売敵の二人は手を組んで作戦を企て、血で血を洗う戦いが始まる。

セルジオ・レオーネの復讐心から付けられたタイトル


主演クリント・イーストウッド、音楽エンニオ・モリコーネ、監督セルジオ・レオーネによるマカロニ・ウエスタンの金字塔、「ドル3部作」。その2作目にあたる『夕陽のガンマン』(65)は、おそらく3部作のなかで最も過小評価されている作品だろう。

記念すべき第1作『荒野の用心棒』(64)は、マカロニ・ウェスタンの火付け役として映画史に燦然と刻まれているし、第3作『続・夕陽のガンマン』(66)は、隠された財宝をめぐって三者が闘いを繰り広げる娯楽大作として名高い。記念碑的作品と歴史的大傑作の真ん中に挟まれた『夕陽のガンマン』は、どうしても割を食う格好になっている。

公開当時の評価も決して芳しいものではなかった。著名な映画評論家ロジャー・イーバートは、「ハリウッドがかつて作った壮大で陳腐な西部劇と同様に、筋書きではなくシチュエーションで構成されている」、「古い西部劇の決まり文句が次から次へと出てくる」と辛辣なコメント(*1)。西部劇として破格の面白さにも関わらず、長い間不当な評価にさらされてきたのである(筆者個人の感想です)。

ドル3部作予告

だが年月が経つにつれ、この作品に対する評価も変わってきた。アメリカ最大の映画レビューサイトRotten Tomatoesのトマトメーター(評論家によるスコア)では、『荒野の用心棒』の98%、『続・夕陽のガンマン』の97%には及ばないものの、92%という高スコア。一般評価のオーディエンス・スコアは、『荒野の用心棒』の91%を上回る94%だ(2024/3/19時点)。ようやく『夕陽のガンマン』は、本来の評価を取り戻したのである。

なお『夕陽のガンマン』の原題は、『For a Few Dollars More(もう少しのドルのために)』。もちろん前作の『荒野の用心棒』=『A Fistful of Dollars(ひと握りのドル)』を意識したタイトルだが、これにはもうひとつ意味がある。セルジオ・レオーネは、『荒野の用心棒』でプロデューサーを務めたアリゴ・コロンボ、ジョルジオ・パピと対立。金銭面でも優遇してくれなかったことから、彼らと袂を分ち、新しいプロデューサーと続編映画を作ることを決心する。

『For a Few Dollars More(もう少しのドルのために)』という風変わりなタイトルには、この映画でたいして稼ぐことができなかったことの恨み、そして次回作ではきっとドルを稼ぐ作品にしてみせるという挑発の意味が込められているのだ。なかなかに大人気ない話だが、そのおかげでレオーネが傑作を作ることになったのだから、歴史とは奇なものである。

俳優を引退していたリー・ヴァン・クリーフの起用


荒野の用心棒』の“名無しの男”に抜擢されたクリント・イーストウッドが、セルジオ・レオーネのファーストチョイスでなかったことはよく知られている。当初検討されていたのは、名優ヘンリー・フォンダ。善良なアメリカ人を演じ続けてきた彼に、それまでとは真逆のキャラクターを割り当てることで、「観客に新鮮な驚きを与えられるだろう」と考えたのだ。レオーネにとって彼は、スクリーンでその勇姿を目に焼き付けてきたスター俳優でもあった。

だがエージェントは、送られてきた脚本を本人に見せることもなく「NO」を突きつける。最愛のスターに振られてしまったレオーネは、すっかり意気消沈。代わりにオファーしたチャールズ・ブロンソンにもすげなく断られ、ジェームズ・コバーンとは出演料で折り合いがつかず、めぐりめぐってイーストウッドが主演することになる。

セルジオ・レオーネにとって、ヘンリー・フォンダはよほど特別な存在だったのだろう。今度は『夕陽のガンマン』のもう一人の主役、ダグラス・モーティマー大佐役をオファーする。『荒野の用心棒』の主人公クリント・イーストウッドと、幻の主人公ヘンリー・フォンダの共演。考えただけでワクワクするキャスティングだ。だがエージェントからの返事はまたも「NO」。前回に引き続きチャールズ・ブロンソンにも打診するが、彼は再び出演を拒否。…って、『荒野の用心棒』のときと全く同じ流れではないか!

『夕陽のガンマン』(c)Photofest / Getty Images

ジョン・フォード監督の『リバティ・バランスを射った男』(62)や『ドノバン珊瑚礁』(63)で頭角を現していたリー・マーヴィンが、モーティマー大佐を演じることで了承を得たものの、撮影直前になって別の映画に出演契約していたことを知らされる非常事態に。セルジオ・レオーネは、残り数日で代役を探す羽目に陥った。ぱらぱらと俳優名鑑をめくっていたとき、彼の目に飛び込んできたのが、リー・ヴァン・クリーフ。ヴァン・ゴッホのような鋭い眼光に、レオーネは射抜かれた。モーティマー大佐を演じられるのは、この男しかいない!

ひとつ大きな問題があった。リー・ヴァン・クリーフは、1959年に自動車事故を起こしたことがきっかけで俳優業を引退し、画家として第二の人生を歩み出していたのだ。痛めた膝の影響で、激しいアクションはおろか全力疾走もできない。だが、セルジオ・レオーネは頓着しなかった。ロサンゼルスのホテルで初会合するやいなや出演を取り付け、6年間ブランクのあった男を再び映画の世界に舞い戻らせたのである。

リー・ヴァン・クリーフにとっても、この申し出は青天の霹靂だったことだろう。電話料金が払えないくらいに困窮した生活を送っていた彼のもとに、突然『荒野の用心棒』で名を馳せたイタリア人監督が現れ、イーストウッドと並ぶ主役の座を約束し、これまでに受け取ってきた俳優のギャランティーよりも高い出演料を提示したのだから。

「ドル3部作」の最終作『続・夕陽のガンマン』にも起用されたリー・ヴァン・クリーフは、一躍マカロニ・ウエスタンのスターに。『新・夕陽のガンマン/復讐の旅』(67)、『怒りの荒野』(67)、『エル・コンドル』(70)など西部劇を中心に活躍し、俳優として華麗なるカムバックを果たすことになる。

相反する要素を巧みに入れ込むレオーネ演出


荒野の用心棒』でその才能を遺憾なく発揮したセルジオ・レオーネの演出は、この『夕陽のガンマン』でも絶好調。筆者が最初に本作を観たとき、強烈に脳裏に焼きついたのが、モーティマー大佐が1,000ドルの賞金首を銃で倒すシーンである。慌てふためいて宿の二階から逃げる男、ゆったりとした足取りでそれを追いかける大佐。敵が無闇矢鱈に銃を撃ちまくっても、泰然とした態度で狙いを定め、正確に額を撃ち抜く。<早さ>と<遅さ>。二人の佇まいの対比が見事だ。

怪我の影響で、リー・ヴァン・クリーフがゆっくりしか歩けないという物理的制約もあったのだろうが、それすらもレオーネ節として納得させてしまう演出にシビれる。殺し屋の極端なクローズアップをスクリーンいっぱいに映し出したあと、遠方から馬でやってくる男たちの小さなシルエットをインサートする『続・夕陽のガンマン』。3人の殺し屋が駅で列車を待つ様子を延々と描いたあとに、壮絶な銃撃戦をインサートする『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』(68)。<極大>と<極小>、<永遠>と<一瞬>。セルジオ・レオーネは相反する要素を巧みに入れ込んで、豊かな映画体験を創造する。

そして画面を支配する、リー・ヴァン・クリーフの顔力。冒頭の列車のシーンでは、向かいに座った男を鋭い眼光で威圧。クライマックスで強盗団のリーダー・インディオ(ジャン・マリア・ヴォロンテ)と一騎打ちする場面でも、これでもかというくらいに、彼のクローズアップが映し出される。

『夕陽のガンマン』(c)Photofest / Getty Images

極め付けは、インディオの指名手配書と、それを見つけたリー・ヴァン・クリーフを、バキューンバキューンと銃声音を鳴り響かせながらカットバックさせるという、レオーネ節が唸りをあげるシーン。彫りの深い顔、猛禽類のような眼差しだからこそ、こんなエキセントリック演出も納得させられてしまう。レオーネ映画には常に「男の顔は履歴書」のようなオーラが漂っているが、そのなかでもミスター・クリーフの存在感は際立っている。

もうひとつ『夕陽のガンマン』で特筆すべきは、懐中時計から流れるオルゴールのメロディ。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』で、謎の男(チャールズ・ブロンソン)が吹くハーモニカが不吉な影を落としていたように、しばしばセルジオ・レオーネの映画では、劇中で流れるメロディが物語に大きな推進力を与える。

インディオにはかつて激しく愛した女性がいた。夫を殺害してまで我がものにしようとするが、彼女は自ら死を選ぶ。その強烈なトラウマが、血も涙もない殺戮者としてのインディオを形成したのかもしれない。そして彼女は、モーティマー大佐にとっても大切な存在だった。二人の対決は、今は亡き女性をめぐる戦いでもある。哀しき記憶を蘇らせる装置として、懐中時計から流れるオルゴールは重要なモチーフ。レオーネの盟友エンニオ・モリコーネが奏でる切ないメロディが、乾いた西部劇を少しだけ湿らせ、そっとセンチメンタリズムを忍ばせる。

「ドル3部作」で最も過小評価されている傑作西部劇、『夕陽のガンマン』。その核となるのは、『荒野の用心棒』でイーストウッドが体現するヒロイズムではなく、『続・夕陽のガンマン』でイーライ・ウォラックが醸し出すユーモアでもなく、リー・ヴァン・クリーフの眼差しの奥に宿るセンチメンタリズムなのである。

*1)https://www.rogerebert.com/reviews/for-a-few-dollars-more-1967

参考文献 「セルジオ・レオーネ―西部劇神話を撃ったイタリアの悪童」(鬼塚大輔 訳、フィルムアート社)

文:竹島ルイ

映画・音楽・TVを主戦場とする、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」(http://popmaster.jp/)主宰。

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