映画『PERFECT DAYS』共同脚本・高崎卓馬「心が向かう方向に進んでいたらこうなった」 放送作家・白武ときおに語る“完成までの道のり”

プラットフォームを問わず縦横無尽にコンテンツを生み出し続ける、放送作家・白武ときお。そんな彼がインディペンデントな活動をする人たちと、エンタメ業界における今後の仮説や制作のマイルールなどについて語り合う連載企画「作り方の作り方」。

第九回は、株式会社電通グループ グロースオフィサー/エグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクターの高崎卓馬氏が登場。過去にはJR東日本「行くぜ、東北。」、サントリー「ムッシュはつらいよ」など数々の広告キャンペーンを手がけ、2023年には、ヴィム・ヴェンダースと制作した映画『PERFECT DAYS』が第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に選出され、第96回米国アカデミー賞では国際長編部門でノミネートされた。

広告キャンペーンの枠を越え、小説や舞台、映画など幅広いクリエイティブを手がける高崎は、どのような原点を持ち、映画『PERFECT DAYS』を制作するに至ったのか。仕事におけるポリシーなどにも触れながら、白武と共に語った。

・映画『PERFECT DAYS』ができるまで

白武ときお(以下、白武):映画『PERFECT DAYS』を拝見してお話を伺いたいなと思い、今回この機会をいただいたんですが、あの映画は「THE TOKYO TOILET」(渋谷区内17か所の公共トイレを刷新するプロジェクト)が発端となっているんですよね。

高崎卓馬(以下、高崎):そうですね。でも何か具体的なゴールを決めて始めたわけではなくて、正しい方向、心が向かう方向に進んでいたら結果としてこういう映画になった、という感じです。まるで雪だるまのように大きくなって。世界中で観られていたり、たくさんの感想をもらえたり、いろんな人に出会えてるのはとても幸せだと思います。この状況や経験を次にどうやって活かそうかと考えています。

白武:雪だるま、とは?

高崎:最初は柳井(康治)さんと話していた小さなアイデアだった。短編をつくろうという。それを役所(広司)さんに相談して、それからヴィム・ヴェンダースという人が参加して。いつのまにか映画になって、カンヌに呼んでもらえて。僕と柳井さんはいつも「雪だるまが転がっていく」とよく言ってます。転がりながら大きくなって、それを押してくれる仲間がどんどん増えて。

そしてこの雪だるまは終わりがない気がしています。それに公開が終わっても、映画を観た人がいるし、作った責任もあるし、もちろんトイレに対する責任とかもあって、やりっぱなしじゃいけない感じはあるので。だからなにかずっとやり続けるだろうなとは思います。

白武:広告というと、CMを流す期間や、ポスターの掲出期間が終わるなど、通常は区切りがあるものですよね。

高崎:若い頃からずっとそれがあんまり好きじゃなくて。一度担当した商品はずっと好きなんです。何かあればずっとつながっていたいと思うし、ずっと忘れずにいたい。『PERFECT DAYS』は自分のキャリアのなかでも特殊ですが、どこかやっぱりここまでやってきた蓄積のおかげでやりきれたという気もしています。

白武:『PERFECT DAYS』はどのように作られていったんですか? 広告の映像と映画では、作り方は違いますか?

高崎:広告はより多くのひとに誤差なく情報を伝えることが前提にあります。だからゴールから逆算ができるし、そうしないと結果がでない。できるだけ具体的に相手を想像して、そこでどんな変化が起きるかを考える。その変化のために必要な最後のピースは何か、というように。

でも映画はまったくそうじゃない。むしろ、観る人みんなが同じ感覚を持ってしまってはダメで、10人が観たら10人が違うものを感じて、それぞれの人生になにか受け取るものがあるのが良い映画だと思うんです。広告と映画のその違いは、本当に大きかった。

白武:設計図もゴールもないとなると、チームとして向く方向や意識の統一が難しかったりしないですか?

高崎:ヴェンダースには彼の78年の人生で映画と格闘してきた蓄積がある。その格闘の仕方や映像に対する価値観に僕はとても強く影響を受けてきました。それに加えて、僕には僕の人生をかけて格闘してきた映像や表現の方法がある。うまくいったこともそうでないこともすべてが財産で。自分の蓄積が、ヴェンダースに、映像という言語という意味では通じたのはとても感動的でした。「映画をつくる」となったときに「映画とは何か」ということと、「自分たちはそれにどう向き合うか」という部分が共有できると、それでチームは機能します。あとはお互いの経験を掛け合わせていく作業になるので。

この映画のチームは、そういう意味でプロの集団でした。みんなが自分の人生の蓄積を持ち寄った。役所さんの圧倒的なものや、美術の繊細さ、プロダクションワークの献身。すべてが一流だったと思います。制作そのものはとても自主映画的に進行したんですが、プロが集まって自主映画をつくるというある意味、天国のような環境でした。

白武:編集作業なども、勝手は違いますか?

高崎:編集に関しては、映画も広告の映像もまったく同じでした。今回の場合は、ヴェンダースとふたりでメモ帳を持ちながら映像を確認して、それが終わったらちょっと休憩して、また最初から確認する。その上で違和感があったところでお互いに手を挙げて、理由を説明して、直してみて良くなったらグータッチして……みたいなことをずっとやっていました。

だから僕はベルリンの編集室で、自分が30年間ずっと一緒にやってきた人たちのことをすごく思い出したんです。実際「みんな! 通じてるよ!」って何度か叫びました(笑)。

白武:高崎さんのなかで蓄積されてきた映像文法が明確にあるんですか?

高崎:はい。自分のなかで体系立てて、理由も文法も全部自分のなかにノートとしてあります。それを20代、30代のときにずっと作り続けてきたので。原型としては20パターンくらいあって、若い頃はどの仕事でもその文法20パターン分の企画は全部作っていました。

クライアントの意向にフィットするのは3パターン目しかないと感じたとしても、一度は20パターン作る。自分の感覚をあまり信用していなかったのかもしれません。天才でもないし、すごく面白いことを考えられる人間でもないので、考え尽くして最善のものを選ぶようにしないと、うまくいかない気がしたんです。後悔もしたくなかったし。

白武:その20パターンは誰かに受け継いでいるんですか?

高崎:していないですね。たぶんそれは、それぞれで見つけなきゃいけないものだと思います。公式を丸覚えして作っても好きにならないだろうし。だから「公式を作る」行為をしたほうがいいと思います。僕自身、映像の本とか読んで真似したこともありますけど、血肉にはならなかったです。やる気は出ましたけど。

白武:高崎さんの「公式を作る」行為はもう終わって、完成されたのでしょうか。

高崎:いまでもちょっとずつ更新されています。ぬか床みたいなものですね。ずっと足し続けていて、ヴェンダースがドンッと入れてくれたのでまたわーっと混ぜている。後輩たちにもぬかの株分けみたいなことはしていますけど、公式にあたる「ぬか床」をそのまま渡すようなことはしません。

白武:高崎さんのぬか床に大きな影響を与えたヴェンダース監督は、具体的にどんなところがすごいんですか?

高崎:大きく言うと、アートというものに対峙している人の覚悟とか見ている世界というのは違うということ。やっぱり僕はアート“風”なところにいたんだな、本物はここまで覚悟をもってやっているんだなということを、まざまざと感じました。

僕は広告からいろんなことを学んできたし、人にものを伝える方法で筋肉が鍛えられてきました。それは間違ってはいないんですけど、映画と広告の違いはとんでもなく大きい。同じように考えていたらダメなんだということを思い知りました。

普通に暮らしている人が書いた線と、30年間石の上に座っていた人が書いた線があったら、後者にドキドキするじゃないですか。僕とヴェンダースはそれくらい違うから、似たような線でも本質的に違うし、角度も見えるものも、伝わるものも違う。もう少し、そこになにがあるのかを知らないといけないと思っています。

・ヴェンダース監督を口説き落とした方法

白武:ヴェンダース監督にはどうやってお願いされたんですか?

高崎:最初に、柳井さんがとても深くて愛のある手紙を書いて、僕がそこに断りにくい企画をつけたんです。僕は、大学時代にヴェンダースの映画を観て、8ミリフィルムのカメラを買って、自主映画を作っていたんです。それで今の会社に入って、映像の仕事をするようになった。だから僕の第一歩はヴェンダースなんです。

当時ミニシアターブームがあって、なかでもヴェンダースは神格化されていたと思います。『ベルリン・天使の詩』の頃とか。その前に作っていた作品もすべてミニシアターで上映されるようになって、常に満席でしたね。日本ではとりわけ人気だったんじゃないでしょうか。

僕も多分に漏れず影響を受けて、いまの仕事をしながらも、ヴェンダースのインタビューや本をずっと読んできました。だから、ヴェンダースは自分のことをよく知っていると驚いていました。

だから、彼が次にやってみたい企画やアイデアは、なんとなく想像がつくんです。そこに触れるような手紙を書けたんだと思います。

白武:熱量がすごいですね。そういうお願いの仕方って特別なパターンですか?

高崎:他の仕事も基本的には同じです。あまり人任せにしないように気をつけています。
いつのまにかいなくなる偉いひとが苦手で。逆の立場で考えると、考えた人間が最後の
最後までいたほうが安心ですよね。キャスティングも、キャスティングディレクターの元川さんと一緒にまわりました。直接お会いすると、やる、やらないだけじゃなくて、不安の量とか覚悟の質とかいろんなものを感じることができるから、プラスがたくさんあります。

白武:熱量で押し切ってしまうようなことはありますか?

高崎:あまりないと思います。ダメな場合はすぐに引きます。ああ、縁がなかったなと。
縁のないものを無理やりやるとあとでそこから亀裂がはじまるので。普段のプレゼンでも
説明しながら「あれ?違ってたかも」と思ったらそこで案をひっくりかえして、別の案を考えながら説明したりすることもあります。

自分のアイデアのどこに固執すべきか、どこまで柔軟でいるべきか、はとても大切な線があります。一般的にとか、過去こうだったという理由の場合は理由として不健全な気がするのでかなり抵抗しますが、もっと根本的な部分だったり、目の前にいるひとの本心から来てるものの場合は、固執するべきじゃないと思っているので、普段のプレゼンや撮影でも「違うな」と思ったらその場でひっくり返して改めて立て直すようなことをしますから。

白武:それができるのはすごいですよね。始まってしまっているのに。

高崎:いままでの積み重ねで、聞いてもらえることをわかっていたり、僕が逃げないってことをわかってくれていたりする関係値があるからですね。許してもらえる関係値ができていることは大事だと思います。もちろん考え抜いたり、確認し尽くしたりはした上で提案しますしね。

大先輩の演出家の方から「本当に正しいことは、どのタイミングで言ってもいい」と教えられたんです。でも、それが本当に正しいのかはみんなで考えなきゃいけない。みんなが本当に正しいと思うならそうなるし、それほどでもないことなら「やめろ」と言う人が出てくる。それを絶対に忘れないようにして、多少嫌がられても手を挙げるようにはしています。

クリエティブディレクターの高崎卓馬を作った“電通での最初の配属”

白武:僕はいま33歳なのですが、高崎さんが33歳の頃は何をされていましたか?

高崎:ようやく自分の仕事がなんとなく形になり始めたのが、その頃だと思います。僕は映像の仕事がしたくていまの会社に入ったんですけど、コピーライターとしてアートディレクターの下に配属されたんです。

白武:それは珍しいことなんですか?

高崎:めちゃくちゃ珍しいですね。普通だったらそもそも、コピーライターだったらコピーライターの下、プランナーだったらプランナーの下につきますから。

でも結局のところ仕事は複合技だから、いろんなことを知って経験を積まないと、コントロールできないんです。その周辺の匂いだけ嗅いだ感じの人間になっちゃって、企画ができなくなるから。

白武:じゃあ、最初にその配属になったことは結果的に良かったんですか。

高崎:とても良かったです。当時はまだポスターとかに自分の書いたコピーを写植で、原寸で作ってレイアウトなどを確認していて。それを先輩アートディレクターたちと一緒に見ながら進めていました。おかげで、アートディレクターの思考回路とか、広告が出来上がっていく流れが、よくわかりました。

たとえば、四隅にものがあると角が行き詰まった感じがして風通しの悪いものになるとか、人間が広告を見る順番の中に興味を持つ瞬間と失う瞬間があって、そこで興味を持たれる効果的なキャッチコピーの使い方とか。広告に対して人がどう接するのかを直接学ぶことができたので、すごく勉強になりました。

白武:かなり鍛えられたんじゃないでしょうか。

高崎:本当にコミュニケーションの超基本を、グラフィックの制作を通じて学びました。映像にしても基本的にはやっぱり複数枚の絵でできている。ビジュアルでコミュニケーションをするというのはどういうことなのかを、学習できた時間だったかもしれないですね。

そうしているうちに、アートディレクターが呼ばれているキャンペーンの仕事のときに、僕がCMの企画も出すようになって、「そういうのをやりたい奴なんだな」と次はプランナーから呼ばれるようになって、企画を出すようになっていったのが、いまのキャリアの始まりだったと思います。

白武:高崎さんはCMだけでなく、小説や舞台なども手がけられていますけど、そういった方は社内によくいるんですか?

高崎:僕の先輩たちには自分の作品も作るクリエイティブな方がいました。でも僕の場合は、自発的にというよりも縁やタイミングがあって、課題をいただいて、それを最適な形にする手段として小説や舞台などにしているだけなので。

だから「映画を作りたい」と思って映画を作るというよりは、目的のためにその手段を選んでいる。手段と目的を混同しちゃうのが、なんとなく自分はあんまり好きじゃなくて。そこの線引きをちゃんとしていたほうが、魂が健全でいられる感覚があるんです。

白武:魂が健全、というのはどういうことでしょうか。

高崎:たとえば賞を取ることが目的になったりすると、簡単にいうと、作り手としての「ダークサイドに落ちる」と思うんです。手段を目的にして躍起になってしまうと、作っているもの自体があんまりハッピーじゃないなと。当然、できあがったもののクオリティのほうが大事じゃないですか。

白武:でもやっぱり若いうちにカンヌの広告賞とかを取って、早く一丁前になりたいとか思いそうなものじゃないですかね。

高崎:もちろんそのことによってもらえる大きなチャンスはあるし、打席が増えるきっかけにもなると思いますが、同時についてくる責任もある。認知されて、自由と責任が手に入って、仕事のサイズが大きくなったときに、それでなにをやるかということがやっぱり問われる。

結局は、仕事が次の仕事をくれる。賞を取ることが目的になったらそれがゴールになってしまうから、僕はそこで終わりたくない感じというか、ずっと山を登っていたいので、ゴールを決めたくないのかもしれません。

クリエイティブの原動力

白武:今後、依頼や相談からではなく、自発的になにかを作る可能性はありますか?

高崎:見てきたものや感じたことなど、自分の中に溜まってきたものがあって、メモしているんですけど、すごい量になっています。企画の種みたいなものも部屋に溢れていて、作りたいアイデアがみんな順番待ちをしている状態。とはいえ無理に動かすとうまくいかないので、すべてを少しずつ前に出して待っている状態です。

それらが映画になるのか、小説になるのか、広告になるのかわからない状態であって、たまたま誰かから相談を受けているときに引き出しが開いて、僕のストックを組み合わせて何かしら実現するような形になる。

白武:世の中でウケているもので「自分だったらこっちのほうがいいと思う」みたいなことはありますか?

高崎:人は人だからなぁ。ウケているかどうかというより、自分が気になる表現をみつけて、なんで気になったのか、どうしてそうなったのか、その背景にあるメディアの変化や人の感じ方の変化や、価値観の揺らぎのようなものを感じたり、考えたりすることはよくします。もうそれは自然に。ウケているものを真似したいとはまったく思いません。むしろそこじゃない場所のほうが目立つと思いますし。

白武:では、あくまで依頼や相談があった上で、そこに自分自身の中にあるものをどう打ち返せるか、そういったクリエイティブになると。

高崎:広告ってそもそも、商品が出れば決着する。商品名が出たときにその広告について考えてくれると思うんですけど、映画はその商品がない状態です。だから着地を全部自分でしなきゃいけないというのは、湖と海くらい違う。

ものを作るのが好きで自発的に作れてしまう人もいるんですけど、僕の場合は呼ばれないと作れないし、呼んでもらうためのことはしていて、呼ばれたら離さないようにはしています。

白武:高崎さんのクリエイティブの原動力はなんですか? 人に喜んでもらうのがうれしいのか、自分が作りたいものを作る喜びなのか。

高崎:人から喜ばれるのは嬉しいですね。辞めない理由にもなる。目の前の人もそうだし、自分と関係のなさそうな人が喜ぶのも嬉しい。おこがましいけど、世の中全体がずっと気になっています。責任は絶対にあると感じるので。

怖いのが、その人のためにやっていることが1行でもずれると、その人のためじゃなくなってしまうこと。そういう状況が起きやすい世の中にもなっているし、自分が正しいと思っている価値観を積み上げたときに、そのことを不快に思う人たちはやっぱりいますしね。臆病になっているというよりは、考えることがどんどん増えているなと思います。

白武:なるほど……今日お話して作って終わりではなくて、そのあとにも責任を持ち、常に誠実な態度で生きていこうと背筋が伸びました。貴重なお話ありがとうございました。

(文・取材=鈴木 梢)

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