立花もも 新刊レビュー 思わずぞっとする恐怖作から青春群像、花にまつわるものまで、今読みたい4作品

発売されたばかりの新刊小説の中から、ライターの立花ももがおすすめの作品を紹介する本企画。数多く出版されている新刊の中から厳選、今読むべき注目作品を紹介します。(編集部)

魚崎依知子 『夫恋殺(つまごいごろし)』(KADOKAWA)

衝撃のどんでん返し! みたいな煽り文句は使いたくないのだが、久しぶりに読み終えて唸ってしまった。幽霊も怖いが人も怖い。誰のことも信用できない恐怖にぞっとしてしまう。

澪子の夫・真志は刑事。仕事一辺倒で家庭を顧みない彼との生活は十年目にしてすでに破綻しており、澪子から離婚を突きつけて二年。ずるずると関係を続けているのは、澪子もかつて真志に救われた被害者だったから、だけでなく、彼が頻繁に背負って具合を悪くする“黒いもの”を祓えるのが澪子だけだからだ。そんなある日、真志の連れ帰ってきた“黒いもの”が、彼が仕事に戻ったあとも澪子のそばにとどまり続け、澪子に「ころして」と女の声で囁き続ける。「あなたは私と同じ」とも――。

その正体は、夫に裏切られて死んでしまった被害者の幽霊なのか。彼女に同調し、澪子の真志に対する不審はますます募る。澪子の目の届かないところで彼は何をしているのか。結婚したのは除霊に利用するためだけではないか。そんな折、子どもの頃から澪子に想いを寄せる幼なじみの泰生も事件に絡んで、澪子に優しく迫る。

事件の真相と三角関係の行方が気になって、ぐいぐい引き込まれてしまうのだが、澪子に心を寄せながら読んでいるとラストで言葉を失うはめになる。イヤミス、とはまた違う、かなりどんよりした気持ちにさせられるラブ×ミステリー×ホラー。不思議とクセになるので、次回作もぜひ同じテイストでお願いしたい。

岡部えつ『怖いトモダチ』(KADOKAWA)

なんであんな人に傾倒して、オンラインサロンなんか入っちゃうかなあ。と思うことが増えた。スピリチュアルに染まっているわけでもない、起業したいと張り切っているわけでもない、ふつうの主婦や会社員が「あの人はすごいんだよ」と教えてくれる。でもその人、だいぶ胡散臭いし、言っていることおかしいよ……? と思っても、言えない。特定の誰かに熱を上げているとき、それが真実でも悪く言えば、断罪されるのはこちらのほうである。それは恋愛でも、推し活でも同じだ。でも本当に、なぜ?

本作に登場するオンラインサロンの主催者は、中井ルミン。ブログで発信する文章が人の心に寄り添い、救ってくれると評判で、ひとたび彼女の言葉に触れたら、誰もが虜になってしまう。ひとりで抱え込むしかなかった日常の理不尽を、誰にも打ち明けられなかった傷つきを、彼女の言葉に触れることで癒し、前を向いて生きる原動力にしていくのだ。

本書は、そんな中井ルミンを崇拝する人たちの証言を一つずつ集めていく、ルポルタージュのような形式をとっているのだけれど、そのうち、中井ルミンに異を唱えた人は自然と排除されてきたことが明かされていく。彼女の優しく繊細で美しい言葉は、実はすべて誰かから盗んだもので、記憶を改ざんし、他者を貶め、理想の自分をオンライン上につくりあげることで、中井ルミンは支持を得てきたのだ、ということも。

息を吐くように嘘をつき、その自覚もないまま虚像を真実と思い込んでしまう人は、確かにこの世に存在する。しかもけっこう、少なくない。だけど果たして、中井ルミンだけが「そう」なのか。証言を拾い集めて浮かびあがってきた真実らしきものさえ、私たちには曖昧で、何を信じて、何をよりどころにすればいいのか、わからなくなってしまう。自分自身が「これは確かだ」と思っていることさえ、あやふやになってきてしまう。それが一番、怖かった。

山本幸久『花屋さんが言うことには』 ポプラ社

山本幸久さんの書く女性が好きだ。うまくいかない現実に卑屈になっているのに、湿ったところが全然なくて、どこか開き直ったようなふてぶてしさがある。だからか、おとなしそうに見えて、意外と頑固で、喧嘩っ早い。でも、特別な人間というわけでもないのに、世間に従順ではいられない不器用さがいとおしい。これは本作の主人公・紀久子のことだが、彼女に限らず、みんなどこかカラッとしていて、読んでいると身の内にあるうじうじとした湿気が全部、抜けていくような感じがする。

夢だったグラフィックデザイナーにはなれず、就活で唯一拾ってくれたのは、セクハラパワハラ労基違反が当たり前のド・ブラック企業。退職しようとすれば恫喝され、困り果てていた紀久子を助けてくれたのは、年に一度だけ利用する花屋の店主だった。ついでにバイトとして雇われ、フラワーアレンジメントなども任されながら、人にも街にもなじんでいくのは、決して物語がフィクションだからではなく、デザインを学んで培われた美的センスと、ブラック企業に2年間も勤めあげた、まじめで実直な性格ゆえだろう。

訪れる客たちに向き合い、悩みを解決し、ただ行き過ぎるだけだった街の風景に目をとめ、世界を広げていくことで、紀久子は再起する力を育てていく。回り道になったとしても、望んだかたちではなくても、努力し続けてきたことはきっと、なんらかのかたちで芽吹くはず。たくさんの人と花(言葉)に寄り添われながら未来を切りひらく彼女とともに、私たちも心に開花の季節を呼び寄せる。

阿部暁子『カラフル』(集英社)

これは差別ではなく区別である、という言葉が昔から本当にきらいで、差別だろうと区別だろうと、される側にとっては同じ、する側の罪悪感をぬぐうための詭弁じゃないかと思ってしまう。

けれど、言いたくなる気持ちもわかるのだ。差別しているつもりなんて本当にないし、「普通」とは違う人たちに対して機会が不平等になるのは、ある程度「しょうがない」じゃないかという気持ちも。あなた一人のために多数の手をわずらわせ、ルールをねじまげようとするのは「わがまま」なんじゃないかと、私も思ったことがないとは言わない。だからこそ本作で主人公が放ったセリフが突き刺さる。

「物事が問題なく進むために、誰かが犠牲になってることを『仕方ない』で済ませようとするのが差別なんじゃないかって、俺は思う」

言った当人、主人公である伊澄も、それまではどちらかといえば他者の心の機微に無頓着な少年だった。だが高校の入学式当日、彼は出会う。逃げるひったくり犯を、体を張って止めようとした車椅子の少女・六花に。「あんた車いすなのに」とつい言ってしまい「私は車いすユーザーの人間であって車いすじゃない」と言い返されてしまうほど、無遠慮に車いすを操作して怒らせてしまうほど、彼もまた、何も知らずに、考えずに生きてきた。

そんな彼が上記のセリフを発したのは、決して自身も、怪我で陸上の夢を諦めた経験があるからではない。クラスメイトになった六花という人に日々向き合って、車いすでも車いすユーザーでもない、一人の人間として彼女を知って、どうすればともに心地よく学園生活を送れるかを考えていたからだ。ちなみに二人の間には甘酸っぱいすれ違いの恋愛模様が描かれていくけれど、伊澄の六花に対する誠実さは決して恋ゆえに育まれたわけではない、ということも追記しておく。

爽やかな青春群像でありながら、差別とは何か、配慮とは何かを深く突きつける本作。大人も子どももぜひ、読んでほしいと思う。

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