『SHOGUN 将軍』西岡徳馬が真田広之と作り上げた“ハリウッド時代劇”「日本の武士道を世界に」

西岡德馬 撮影/石渡史暁

1970年に劇団文学座に入り、数多くの舞台作品に出演したのち、本格的に映像の世界にも進出。1991年の『東京ラブストーリー』(フジテレビ系)でその名を全国区とした俳優・西岡徳馬(※徳は旧字)。それ以降、舞台、テレビ、映画、さらにはバラエティ番組と幅広く活躍する彼の「THE CHANGE」に迫る。【第1回/全2回】

文学座に入団して半世紀以上、子役をやった時期を合わせれば役者稼業は60年近くになるけど、スケールの大きさにおいて『SHOGUN 将軍』(ディズニープラス)は別格でしたね。

主演とプロデューサーを兼ねる真田広之には、渡米後、すぐに「俺は日本の武士道を世界に知らしめるためにも、この仕事をしたかったんだ」と言ったんですよ。そしたら真田も「ぜひ、そんな作品を作りましょう」と意気投合。ハリウッド製作ではあるけど、戦国時代の侍の所作や殺陣、衣装、話し方、小道具など細部に至るまで入念に作られています。

何しろシナリオライターや時代考証を務めたスタッフは日本語がペラペラになるくらい日本の歴史を勉強しているからね。本当は、日本が自前で『SHOGUN』のような本格的な時代劇を作らないといけないんですよ。

俺の役は、真田が演じる主人公・吉井虎永に長年仕える腹心の戸田広松。オーディションの段階から、俺と真田の関係は映画『明日に向って撃て!』(1969年)のポール・ニューマンとロバート・レッドフォードのような感じで行ってくれと言われました。要するに、お互い目を見ただけで、何を考えているかが分かるような関係だということです。

真田とは過去に映画『病院へ行こう』(1990年)やNHK大河ドラマ『太平記』で共演していて、あうんの呼吸で芝居できるようなところがあった。俺の出演が正式に決まると、真田は「西岡さんで良かった」と、わがことのように喜んでくれました。

ハリウッドで一番驚いたのは撮影するカット数が多いこと

撮影は2021年8月から翌年の4月まで約8か月。バンクーバーへ単身赴任でした。それは真田も、他のアメリカ人俳優もみんな同じ。日本だと、スターは現場に大勢の付き人を引き連れてくるけど、そういうのは一切なし。コンドミニアムで生活し、撮影がある日は車で迎えが来る。そして現場で出番を待つ間は、主要キャスト一人一人に用意されたトレーラーハウスで過ごすわけです。

演技をするという点では日本もハリウッドも同じ。でも、撮影スタイルは違う。一番驚いたのは撮影するカット数が多いことかな。同じカットを引きで撮ったり、寄りで撮ったり、さらにアングルを変えて撮ったり。しかもリハーサルを終え、本番を撮り、監督が「グレイト! OK!」と言うから、“よし、終わった”と思っていると、「アゲイン!」。で、次も「ファンタスティック!」と言っているのに、「アゲイン!」。そんな感じで、ひとつのカットを20回くらい撮っていく。こうした苦労もあって、見事な時代劇に仕上がっています。

実は、昨年、俺にとって初の外国映画『GREEN GRASS〜生まれかわる命〜』(チリ・日本合作)が公開されました。東日本大震災で命を落とした息子とその父親の2つの視点から描いたヒューマンドラマで、俺は主人公の父親役。この映画も編集に4年を費やしていて、映像が素晴らしい。ブラジルの映画祭で撮影賞を2つ獲ったそうです。

劇中のセリフも少なく、俺の芝居も、セリフよりそのたたずまいや雰囲気で表現するようなところがあった。だから、例えばたばことその煙で父親の悲しみを表現しています。これまでたばこを吸い続けてきた経験が生きたわけだけど、そもそも役者というのは、たばこの吸い方ひとつで、観客の心を動かせるようでないといけないんです。

西岡徳馬(にしおか・とくま)
1946年10月5日生まれ。横浜市出身。’70~’79年に、劇団文学座に所属。退座後も、つかこうへい演出の舞台『幕末純情伝』、蜷川幸雄演出の『ハムレット』などで、その存在感を知らしめた。代表作として、映画『新・極道の妻たち』『椿三十郎』、ドラマ『東京ラブストーリー』(フジテレビ系)、『過保護のカホコ』(日本テレビ系)、NHK大河ドラマ『風林火山』などがある。

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