もしも開高健の時代にSNSがあったなら? 宮内悠介『国歌を作った男』が描く、ノスタルジーとテクノロジー

宮内悠介にとって2冊目の「ノンシリーズ短編集」(ちなみに1冊目は、2018年刊行の『超動く家にて』)だという、本書『国歌を作った男』(講談社)に収録されている13編の短編は、たとえば、こんな作品である。

たびたび出現しては、事件現場となる家の冷蔵庫のなかの食材でただ料理を作り、それ以外の痕跡を残さずに消えてゆく、通り魔ならぬ「料理魔」なる不可解な存在の謎を追う、コミカルかつダークなミステリ「料理魔事件」。1965年、戦地取材で南ベトナムを訪れた小説家でルポ作家の開高健が実際に体験した、一時「行方不明」事件の発生当時に、もしもSNS(作中の呼び方では「ピーガー」)が存在したなら、というふうに虚実を大胆に混ぜ合わせながら、インターネットという「輝ける闇」の功績と罪過を描く戦後虚史「パニック 一九六五年のSNS」。ボルヘスの短編「死のコンパス」(『伝奇集』1944年)を下敷きにした、わずか見開き1ページほどの掌編にして、ラストでは予期せぬ飛距離で読者を意想外の地点へと遠く連れ去る、驚愕のフラッシュフィクション「死と割り算」。宮内を含むクリエイターらが書いた歌詞に「いきものがかり」として知られる水野良樹が曲をつけ、さらにそれにクリエイターが自らの作品で応答する、という企画で書かれた作品でありつつ、最後には主人公の作家の口から、彼の「芸事の本質」が語られ、思わぬ感動的な一節で閉じられる短編「南極に咲く花へ」。事故で「いわゆる植物状態」となった、元本因坊の棋士である祖父と、その孫娘・愛衣(愛/AI?)が、脳と機械を繋ぐテクノロジーを用いた囲碁の対局によりコミュニケーションを重ねるなか、ハートウォーミングな結末に辿り着く短編「十九路の地図」。

と、ことほどさように、本書には、発表媒体も、ジャンルカテゴリーも、長さも、テイストも、まったく異なる多様な作品群がこれでもかと収められていて飽きない。むろん、以前からの彼の読者なら、宮内悠介の作品なのだから当然だろう、と応えてくれるにちがいない。宮内は幼少期から10代前半までNYで過ごし、小学5年生でMSX(コンピューター)を買い与えられ、大学生時代にはワセダミステリクラブに在籍し、その後世界各国を旅した経験があり、プログラマとしての職歴があり、囲碁や麻雀に親しみ、それらを題材にした作品集『盤上の夜』(2012年)でデビューを飾り日本SF大賞に輝いた作家である。つまり、あらためて言うまでもなく、宮内悠介は(彼の以前の短編集のタイトルをもじって言えば)「超動く」小説「家」なのだ。

そんな彼の生き様(?)に裏付けられた多様な経験が存分に落とし込まれた(まさに「囲いを越えろ」と題される、きわめて巧妙で膝を打つ短編も収められた)本書に、何かひとつの(たとえばジャンルの)枠内におとなしく留まることを求めるのは、もとより無理な話だろう。ともすれば本書は、これまで発表された彼のどの長編作品以上に、宮内という作家の多面的な煌めきを反映している。

とはいえ、本書を読めばわかるのだが、その煌めきは同時に、どこか暗さのようなものを内に含み込んでいる。そう書きたくなるのはたとえば、先に触れた短編「パニック」が、開高健のいわゆる「闇三部作」の第1作、その名もまさしく『輝ける闇』(1968年)の話題から始まるから、というだけではないはずだ。本書に収められた13の短編のいずれにおいても、輝きと闇、光と影、陰と陽、生と死(老い)、興隆と没落、現在と過去、といった対立する価値基準が、さながら囲碁の白石と黒石のようにせめぎ合っているのである。

それは本書冒頭に置かれた短編の1行目から顕著である。その作品、すなわち、病に倒れた父に代わり、秋葉原電気街にあるジャンク店(「電子機器のリサイクルショップのようなもの」)を継ぐことになる、30代の「ぼく」が主人公の短編「ジャンク」は、こう始まる。「ぼくが小さいころ、父は魔法使いだった」(「ジャンク」)。ここで言われる「魔法」とは、壊れた家電を半田ごてで直したり、風呂の水を溜めているのを忘れないために電子部品で簡易的なセンサーを作ったりする、父親の修理「技術」や工作「技術」を指すのだが、それが過去形で語られている点からもわかるとおり、かつて輝かしく見えた「魔法」=「技術」は、いまや役に立たない。現代で使用されるスマホのような精密機械を半田ごてで修理することはできないし、風呂は全自動でセンサーがあらかじめ内蔵されているため、父の「魔法」=「技術」の出る幕はないのである。

ところで、本書に収められた短編の並びは、必ずしも発表順ではなく、作者による配置替えを経ている。つまり、宮内は意図的にこの一文から本書を始めている。そう考えると、なるほど、ここには本書のテーマが凝縮されて見える。子供から大人に成長すること、そのなかで、かつて輝かしく見えたものが時代の変化とともに色褪せること、だが、愛着を込めてそれを懐かしく見つめること。

それは「ノスタルジー」と呼ばれる感情である。そして、その語源がNostos「帰郷」(できないことによる)+algos「心の痛み」、だという点において「ノスタルジー」は、作家の特性たる「超動く」ことと表裏一体で湧き上がる感情なのである。言わずもがな、何かに向けて「動く」ことは、何かから「遠ざかる」こととイコールなのだから。「ジャンク」の「ぼく」は、まるで本書全体に対する改題かのように、こう言う。「郷愁とてけっして馬鹿にしたものではない。ぼくが目指したのは、郷愁と新陳代謝だった」(「ジャンク」)。

宮内ほどアグレッシブなかたちではなくとも、私たちはごく素朴に、日々刻々年を取っている、という意味で、動き、遠ざかり続けている。そのようにして、気づいた頃には遠く隔たってしまっている、だが、誰もが持つ「子供時代」をノスタルジックに回想する短編が、本書には多く収められている。NYの小学校に通っていた幼少期の思い出を振り返るエッセイとして当初は書かれた、という短編「PS41」。あるいは、多くのファンを持つゲームシリーズ「ヴィハーラ」を世に生み出し、人々の「幸せな子供時代」の記憶を呼び起こすアンセム(ゲーム音楽)を創造したジョン・アイヴァネンコという、移民三世の天才プログラマーの一生を描く表題作「国歌を作った男」。そして、幼少期からの憧れでゲーム開発会社を立ち上げるも、オリジナル作品が不発に終わり、現在ではパチンコ台の開発に追われている「ぼく」の、「幸せな子供時代」との別離がテーマとなる一編は、そのまま「夢・を・殺す」と題されている。

やはり宮内らしいと思うのは、多くの場合、その郷愁が向く対象が「技術」だ、という点である。なかでも、本書がほとんど一貫して重きを置き続けるのが、新たに台頭した技術によって現役引退を余儀なくされたオブソリートな「テクノロジー」だ。壊れた「技術」=ジャンクへの愛慕を語ってみせる短編「ジャンク」は言うに及ばず、メンタルクリニックを営む「わたし」が西洋医学的な「根拠に基づく医療」(エビデンス・ベースド・メディスン)によって否定されたはずの「東洋医学」の神秘に魅了される短編「三つの月」や、長崎の対馬に生まれ、韓国人の父を持つことから「韓国さん」と差別的に呼ばれた主人公が、ルーツに立ち返ることで、自らの「ハンドメイド」な仕事を「悪くない」と受け入れられるまでを描く短編「国境の子」など、本書で「ノスタルジー」の対象として描かれる「テクノロジー」の定義は広範に渡っている。

だから、その愛すべきガラクタの箱の底には、こんなものも眠っている。「ジャンク」の主人公、ジャンク屋の店主も板についてきた「ぼく」がウェブ記事のインタビューで「過去と現在をつなぎたい」と信念を語った場面のあと、店を訪れた常連客・カンさんに「まだ自分のことをジャンク品だと思うかい?」と問われた「ぼく」は、こう返す。「「ハズレのジャンク品ですよ。」/ぼくは笑って答えた。/でも、それでいいんです。ハズレのジャンク品がなきゃ、世界だって面白くないでしょ」(「ジャンク」)。感動的な一文である。無粋なので言ってよいものか迷うが、もちろん、ここで「ジャンク品」の比喩を借りて愛着を語られているのは、かつて「文学」と呼ばれたオブソリートなテクノロジーのことでもあるからだ。

(文=竹永知弘)

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