【バレーボール】石川真佑のイタリア178日vol.1 | 通訳が見たセリエA挑戦

バレーボール女子日本代表の石川真佑(23)は2023-24シーズン、イタリア・セリエAへ挑戦した。シーズン終了前の2024年3月末「本当に来てよかった」と人なつこい笑顔で答えたが、決して良いことばかりだったわけではない。通訳サポートとして間近に見てきた筆者が、一気に駆け抜けた濃厚な6か月を数回に分けてお届けする。(中山 久美子)

「できるだけ早く来て」チームマネジャーからのメール

石川がイタリアリーグ初挑戦に選んだチームは、フィレンツェのイル・ビゾンテ。イタリア挑戦にあたっては、少しでも多く出場機会が得られるように中下位のチームを希望していたが、動画を見ながらピンときていたこのチームから思いが通じたかのようにオファーが来た。即決だった。

不安よりも「やるしかない」の気持ちでフィレンツェに降り立ったのは、2023年10月1日のこと。

かねてからコンタクトを取っていた、チームマネジャー・ヴァレンティーナから筆者に連絡があったのは到着日の深夜。そして翌日の午後には「できれば今日、今日が無理でも明日には来て欲しい」と連絡があった。通訳を雇うのには当然ながら経費がかかるためチーム側はちゅうちょしていたものの、こうして急に呼ばれたのには理由があった。

石川の顔がひきつったメディカルチェック

「やっぱり日本との文化の違いなのかしら…これはサポートがないと絶対無理、と思ったの」

ヴァレンティーナは、翌日に出向いた私に開口一番にこう言った。前日のメディカルチェックで心電図をとるためにTシャツを脱ぐように言われた時、石川の顔がひきつり、固まってしまったそうだ。露出が多い服も多く、老いも若きも水着はビキニが一般的なイタリアでは、ましてやスポーツドクターやチーム関係者にとっては、選手のスポーツ用下着姿を見るのはごく日常的なこと。しかし日本から到着したばかりの石川にとっては、男性もいる中でスポーツ用ブラ1枚になるのは抵抗があって当然だった。

その日の夕方、ボール練習前の石川と日本のマネジャーと会うことになった。クラブや日本代表での彼女の活躍を見てきた筆者は、バレーボールのいちファンでもあるために少し高揚していたのだが、目の前に現れたのは筆者と身長もさほど変わらない、どこにでもいそうな普通の日本人の女の子。それどころか、緊張のためか性格のためか声も小さく言葉数も少ない。チームマネジャーからの通訳兼サポートがいたほうがいいか?の質問に「少なくとも最初は…」と石川が言うと、それにかぶさるように「はい、絶対に最初はそうしてください」という日本のマネジャーの言葉が続く。

最初の10日間は泊まり込みサポート

というのも、実はフィレンツェに来る前から難事の連続だったそうだ。ビザにフライト、そして引っ越し。到着してからも多くのタスクをこなす毎日で、チームとのこと以外にもアパートの電化製品の使い方、ガソリンスタンドでのセルフ給油の仕方など、初めて1人暮らしをする石川と最初の10日間は同居し、サポートした。日本ではほぼペーパードライバーだったため車の運転も冷や冷やもので、特に縦列駐車には苦労し、あまりの手こずりように道沿いの店のおじさんが「オレがやろうか」と出てきたこともあるそうだ。

マネジャーは10月8日の初戦、強豪・スカンディッチとのダービーが石川のサーブから始まった時、「やっとここまでたどり着いた」と感慨が深すぎて涙が出そうだった、と振り返る。

イタリア語レッスンは「トス関連用語」から

試合翌日は休みだが、それ以外はウェイトトレーニングにボール練習、日曜に試合の場合は木曜・金曜の午後のボール練習前と土曜の朝に試合対策のためのビデオミーティングがある。筆者の業務は、そのビデオミーティングでの通訳とその前に行う小一時間のイタリア語レッスン。とはいえ文法や一般会話のようなレッスンではなく、「バレーの実践ですぐに使えるイタリア語」がチームマネジャーと本人からの希望だった。

初回、「バレーボールってイタリア語で何と言うか知ってる?」の問いに、「知りません」ときっぱり答えられてからは、ボール、ライン、ネット、ポジションなどのバレーボールに関する単語一式を徹底的に洗い出した。

必要不可欠だったのは、高い・低い、長い・短い、速い・遅い、ネットから近い・遠い、とセッターに伝えるためのトスに関する単語。最初は英語でコミュニケーションをとっていたセッターたちとも、2週間ほどたった頃にはイタリア語にスイッチし、ジェスチャーも交えて何とか通じるようになっていった。

監督もキャプテンも「マユと話したい」

ビデオミーティング後には「マユと話したいから一緒に来て」とパリージ監督に呼ばれたり、スマホのネット翻訳を使いつつも「マユともっとしゃべりたいのよ」とキャプテンで最年長のベテランリベロ・ジュリアにも相談されたりもした。現場での業務に加え、チームメンバーのチャットで英語で書かれる連絡事項の確認や、石川個人に対しての連絡事項、石川からヴァレンティ―ナに聞きたいことなどを、時間は関係なく相互翻訳してチャットで伝えることも大事な業務だった。

時にはアウェーからの帰りのバスで食べるためのピッツァのメニューだったり、時には玄関ホールの電気がつかないことだったり、駐車したい道に掲げられた看板の説明だったり…。

特に路上駐車に関しては、線の色や時間帯による課金など、ややこしいことが多い。確か2回目の試合前、「こ、これは駐車違反通知ですか?」と焦った様子で見せてきた写真がただのチラシだったことは、今でもくすっと笑える微笑ましい思い出だ。

11月、プレーに行き詰まる

いろんなことがありつつも、プレーに関しては上々の滑り出しだった石川。11月1日のローマ戦では、初のMVPも受賞した。しかしこのころから、小さな壁にぶつかり始める。サーブがしっくりこない。ブロックにシャットされることが増える。波があるのは仕方ないけれど、なかなか調子が上がってこない。自分の考えを持って動いてミスをした時にチームメートにその意図を説明できない…。

そんな様子を察知していたのは、パリージ監督だった。2004年〜15年に渡って指揮したブスト・アルシツィオではリーグ優勝やコッパイタリア優勝、CEVカップ優勝を成し遂げ、2012年には最優秀監督賞を受賞した名将だ。スキンヘッドで強面な外見とは裏腹に、実はとても繊細で気遣いの人である。「マユから何か聞いてる?」、「日本では監督に相談とかしないのかな?」と筆者にもしばしば尋ね、なかなか相談してこない彼女を人一倍気にかけていた。

「いつでもマユが何でも相談できるように」と、筆者に携帯番号を渡してくれたほどだ。石川自身が「自分の中にためてしまう」と認める通り、1人で悶々としている様子の石川に業を煮やし、パリ―ジ監督がボール練習の前に私と石川を呼び出して話をし始めた。

監督「マユが晴れやかな気持ちで」

サーブがしっくりこないなら、ミーティングでの指示は無視して自分が得意なコースを打てばいい。ブロックにシャットされるのは、データがそろってきて向こうも研究してくるから当たり前のこと。トッププレーヤーでも波はあるから気にするな。マユが状況判断で指示と違う動きをしているのは僕は分かっているし、それは正しいことである。間違っていたら僕が指示するから、チームメートの言うことは一切気にするな。マユがバレーボールをよく分かっていることも知ってるし、サーブとレシーブは信頼しているので好きにやっていい。いろいろな困難があって調子が下がっても、それは君の実力を否定するものではないから…‥‥。

やっとのことで心情を吐露した石川に、ひとつひとつ言葉を選びながら語りかけるパリージ監督。「マユが晴れやかな気持ちで、自由にプレーすることが一番大事なのだからね」と締めくくった。

石川 真佑(いしかわ・まゆ)2000年5月14日、愛知県岡崎市生まれ。ポジションはアウトサイドヒッター。中学校からバレーボールの名門校へ進み、下北沢成徳高等学校では1年生からレギュラー入りし、全国大会と国体で2冠を達成。卒業後はVリーグの東レアローズに入団し、同年より日本代表としてU20の世界選手権とアジア選手権で優勝とMVP受賞、東京五輪にも出場。2023-24シーズンはプロ選手としてイタリア・セリエAのイル・ビゾンテ・フィレンツェで活躍。身長174㎝と小柄ながらも、多彩な攻撃とサーブ、安定した守備が持ち味。

イル・ビゾンテ・フィレンツェ[IL Bisonte Firenze] イタリア女子バレーボールチーム。1975年にVolleyball Arci San Cascianoとしてチームを創設し、2004年に革製品メーカー Il Bisonte がメーンスポンサーとなる。2014年にセリエAに昇格、2022年にフィレンツェに本拠地を移す。2023-24シーズンの今季はセリエAの14チーム中10位でレギュラーシーズンを終えた。

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