『虎に翼』の“朝ドラらしくない”面白さ 主演の伊藤沙莉に米津玄師の主題歌も完璧な抜擢に

今度の朝ドラことNHK連続テレビ小説『虎に翼』のヒロイン・猪爪寅子(伊藤沙莉)は日本初の女性弁護士にして女性裁判官になった三淵嘉子がモデルである。三淵は大正3年(1914年)1月、東京に生まれ、その7カ月後に前作『ブギウギ』のヒロイン・福来スズ子(趣里)のモデルである笠置シヅ子が香川で生まれた。

寅子(伊藤沙莉)は演劇が好きで梅丸少女歌劇団に憧れていたが、法曹界へ進む。もし寅子が梅丸に入っていたらスズ子と出会っていたかもしれない。朝ドラを続けて観ている視聴者にとっては、前作と今作の繋がりだけでも運命の別れ道というドラマを感じる仕掛けであった。

1946年(昭和21年)、憲法が改正されたとき、寅子は裁判所に出勤し、スズ子のモデルとなった笠置シヅ子は、『舞台は廻る』で喜劇王・エノケンこと榎本健一と初共演し、俳優の可能性も発見する。昭和21年3月のことである。

同時代に、より良い生き方を求め、懸命に努力していた人たち(女性たち)は寅子やスズ子に限ったことではなく、もっとたくさんの人たち(女性たち)が存在した。それが、シシヤマザキによるタイトルバックで踊る無数の女性たちなのだと感じる。きっと『虎に翼』はそういう人たち(女性たち)の物語だ。

また、『虎に翼』第1話で、寅子はたくさんの女性たちと街ですれ違っている。とりわけ第5話(時代は1931年(昭和6年)、寅子が女学生の頃)では、やけに意味深にもの思うふうの女性たちが街を歩いていた。皆、この時代になにか思うところがあるのだろうと想像させる。寅子の担任の先生(伊勢佳世)にもなにか物語がありそうだ。

昭和初期の法律では、女性は男性よりも圧倒的に権利がなかった。寅子は、優秀なはずの母・はる(石田ゆり子)がなぜか公の場では「スンッ」とした顔で控えめにして父・直言(岡部たかし)に花を持たせていることが気になってならなかったが、その理由は憲法にあったことを知る(第3話)。

婚姻状態にある女性は家事に関して夫の代理人と認められる以外、多くの点で「無能力者」と定められているとはいえ、それでよいのか。寅子の疑問から、「法律とはすべての国民の権利を保証するものなのに」と法学博士の穂高(小林薫)はその是非を学生たちに問い、寅子には女子部法科に進学するように勧める。

ところがはるは寅子の進学にいい顔をしない。「頭のいい女が確実に幸せになるには頭の悪い振りをするしかないの」と思って生きてきたからだ。法律で家事のみ夫の代理人として自主的に判断することを認められ、居場所は台所しかないのだから、そう考えるしかほかなかったのだろう。このはると寅子が重要な話をする場所も台所である。

第1週タイトル「女賢くて牛売り損なう?」は、女性が賢いと損することがあるという余計なお世話なことわざだ。女は三歩下がってニコニコしていればいいというなんの根拠もない役割がなぜかずっと当たり前になっていた。「頭のいい女が確実に幸せになるには頭の悪い振りをするしかない」という言葉にうなずく頭のいい女性はおそらくたくさんいるだろう。『虎に翼』のエールは今のところ、主として能ある鷹は爪を隠すように生きてきた頭のいい女性たちに向けられている。いや、すべての女性は頭がいいということかもしれない。

察するに、いまなお、ガラスの天井に阻まれている女性たちへ、過去にその天井を破ろうとしてきた女性がいるのだと振り返り、検証し、いまに繋げる物語だろう。昭和の時代から女性は頑張っていたのに、いまだに男性優位は変わらない。令和になってようやく重い岩がずずずっとほんの少し動きはじめている気配はあるが。そんなとき、過去、こんなにも奮闘していた先輩の存在は、一層の励みになるのではないか。

第1週から、朝ドラによくあるほのぼの幼少時代をふっとばし、一気に本題へと進み、法律パートのキーマン・穂高と桂場(松山ケンイチ)が第2話から出ている構成もまた、才気煥発な印象がある。

過去、社会問題について大いに語れる知性派エンタメとして人気だったドラマに出ていた俳優も揃っている。朝ドラ『カーネーション』から尾野真千子(ナレーション)と小林薫、『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)から石田ゆり子、『エルピスー希望、あるいは災いー』(カンテレ・フジテレビ系)から岡部たかし……。

主人公の伊藤沙莉や石田ゆり子には、頭の回転のいい俳優ながら、その頭の良さを前面に出さず、粛々と職務を全うしている頼もしさを感じ、このドラマにふさわしいキャスティングだと感じる。

きっと誰もが世の中に悔しい思いをしている。その気持ちを代弁してくれているのがほかならぬ米津玄師である。彼の作った主題歌「さよーならまたいつか!」は『夢十夜』かと思うような幽玄なワードもありながら、いまを生きる人間の悔しくてぐっと空を見上げるような感情が鳥のような高音で歌われ、聞いている人の心を絞り出すようだ。

米津は主題歌発表時にこのようなコメントをしている。

「まさか夜中でばかり生きている自分が朝ドラの曲を作ることになるとは思いもしませんでした。寅子の生きざまに思いをはせ、男性である自分がどのようにこのお話に介入すべきか精査しつつ「毎朝聴けるものを」と意気込み作りました。」

これまで夜のドラマをひとり見てしみじみ浸らせてくれる楽曲を生み出してきた米津が朝ドラに寄り添ったように見えるが、これほどやんちゃなワードが散りばめられている朝ドラ主題歌もはこれまでにはないと感じる。「唾」というワードはおよそ朝ドラらしくない。でも唯一濁った音で発するそこが逃げ場になる人もたぶんいることを、米津玄師は大衆の心を、よくわかっていらっしゃる。

(文=木俣冬)

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