100年の時を超えよみがえる...明治に途絶えた「白河焼」再現

食器として使用される白河焼。小皿、茶わん、急須などが作られた

 江戸時代の白河藩主・松平定信とゆかりがある焼き物がよみがえった。白河市の老舗和菓子店「白河菓匠大黒屋」が13日に、同市の南湖公園内でオープンするカフェ「南湖茶寮」では、生産が一度途絶えた焼き物「白河焼」が食器として使われる。東京電力福島第1原発事故で浪江町から同市に避難した大堀相馬焼いかりや窯の13代目、山田慎一さん(53)が「多くの人に知ってもらいたい」との思いで再現した。

 市歴史民俗資料館によると、市内で作られる焼き物の始まりは1794(寛政6)年以降とされる。明治初期には生産が途絶えたとみられ、現在は「白河焼」と称している。

 山田さんは2011年6月、避難先の市内に新たな拠点を構え、白河焼を知った。しかし市民は白河焼を認識していなかった。「元々あった産業なのに誰も知らないのはもったいない。地域の方とつながるものを作りたい」と意欲を燃やした。

 そこで一役買ったのが大黒屋社長の古川雅裕さん(62)だった。5年ほど前、市内の小学校で体験授業の講師として招かれた際に2人は出会い、意気投合した。古川さんから焼き物の土に詳しい知人を紹介してもらい、山田さんは白河焼に合った粘土を採取することができた。大堀相馬焼を作り続ける傍ら、残る史料を読み込むなどして世に埋もれる白河焼の再現に力を注いだ。

 地域を思う気持ちは古川さんも同じだ。市が南湖公園の規制を緩和したことで建物の改修や店舗の誘致ができるようになり、観光地としてさらなる磨き上げを図っている。117年続く老舗の大黒屋は代々その時代に合った場所で商売してきた。古川さんは「南湖公園は身分の差に関係なく誰もが楽しめる『士民共楽』の理念のもとで造られた。多くの人が集い、応援できるカフェを作りたかった」と語る。定信が築造した公園で、再び白河焼に白羽の矢が立った。

 淡い灰色の茶わんは、しっくりと手になじむ。山田さんは「白河焼を作ったおかげで古川さんと出会い、器を使ってもらうことになった」と笑みを浮かべる。新たな拠点での出会いが白河の伝統を復活させた。白河焼は長い時を超え、新たな白河の名産品として再出発する。

 南湖茶寮の営業時間は午前10時~午後5時半。白河焼の魅力を感じながら、大黒屋のスイーツやお茶、コーヒーなどが味わえる。住所は白河市五郎窪北43の11。問い合わせは同店(電話0248.30.9120)へ。(小山璃子)

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 白河焼 白河藩が1794(寛政6)年ごろ、瓦職人の小林覚左衛門らに陶器作りを修業するよう命じて作らせた陶器。当時の陶器には「白川製」と刻印されていた。各大名家への土産品として献上されていたほか、茶わんや急須など日用品も焼いていた。

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