「絶対になくしてはいけない」北海道で愛される果樹園を救った“挑戦”とは

北海道余市町登(のぼり)地区にある『ニトリ観光果樹園』をご存じでしょうか? 長らく『山本観光果樹園』として親しまれていた果樹園を、2019年に『ニトリ果樹園株式会社』が経営を継承して誕生しました。創業154年の歴史ある観光果樹園です。

今回は、『ニトリ果樹園株式会社』社長の似鳥靖季(にとりはるき)さんに、『ニトリ観光果樹園』への想いを伺いました。

みんなが楽しめる果樹園をなくしてはいけない!「ニトリ観光果樹園」の誕生

画像: ニトリ果樹園株式会社

明治3年に創業した『山本観光果樹園』。前オーナーが亡くなり、代わりに経営を行ってくれないかとの打診が似鳥昭雄氏(『株式会社ニトリホールディングス』代表取締役会長兼CEO)にあり、『ニトリ観光果樹園』は誕生しました。

そこには昭雄氏の「みんなに愛されて、みんなが楽しみに来てくれる果樹園がなくなるようなことがあってはならない」という想いがあったのだそう。果樹園の名前に『ニトリ』が付いていますが、ニトリの資本は入っておらず、昭雄氏の個人的な投資によって運営されています。

「『ニトリ』という名前が入っているので、みなさんの期待が高いと思います。その期待を裏切らないように、ニトリなりの良いサービスを提供していかなければいけないと常々心に置いています」と靖季さん。

まわりと一緒に成長していける果樹園に

画像: ニトリ果樹園株式会社

果樹園を受け継ぐにあたり、靖季さんは「まわりと一緒に成長していける果樹園でありたいと考えた」と言います。自分たちだけが儲けてうまくやろうという気はさらさらなく、果樹園が余市の一部、 ひいては後志(しりべし)・北海道の一部であることを意識して、地域が盛り上がってほしいと考えています。

また、コロナ禍を経て、地域社会との強い結びつきを持つことが重要だとあらためて気づいたと言います。

「果樹園を訪れてくれた日本のお客さんのおかげで、何とか運営を続けられました。果樹園は日本の方に支えられているというベースがあってこそだと思います」

コロナ禍が明けた現在、 海外のお客さんも非常に増えました。しかし、すべてをインバウンド寄りにはしていません。“地域社会の中の果樹園”という大切な根幹の部分は残しつつ、日本という違う国に来たことを楽しんでもらうための取り組みを行っています。

「果樹園に来ると、年齢に関係なく、大人も子供もみんなが楽しめます。海外・国内を問わず、すべての年齢の方に楽しんでもらえて、本当に良かったと感じますね」と果樹園の魅力を語ります。

果樹園の新たな挑戦

画像: ニトリ果樹園株式会社

『ニトリ観光果樹園』のまわりにはワイン農家がたくさんあります。入手が困難なことで知られる『ドメーヌタカヒコ』さんの畑もお隣り。『ニトリ観光果樹園』でもワイン事業を開始し、今年やっと、みなさんに味わっていただけるところまで来たのだそう。

「“ワインは1日にしてならず”で、最低でもぶどうを3年育てないとワインになりません。“ 早く早く”という気持ちになりながら育てていきます。3年待って完成したことは感慨深く、嬉しいですね。早く味わってほしいという気持ちです」

画像: ニトリ果樹園株式会社

さらに、今後もどんどん新しいものに挑戦していきたいとのこと。

「温暖化が進み、近い将来、北海道で以前は作れなかった柑橘系のみかんや柿、ライムなどが作れるようになるかもしれません。究極の形として、コーヒーやカカオなど暖かい所でしか採れないものまでチャレンジしたい。北海道といえばスイーツメーカーさんもたくさんあるので、北海道で採れたカカオでお菓子を作ってもらえれば……。地元の素材で作ったお菓子はとても価値があると思うので、ぜひやってみたいですね」

『ニトリ観光果樹園』の挑戦はこれからも続きます。

未来への展望

海外展開も見据えつつ、「やはり余市を盛り上げていきたいということが最初で、そこから小樽や北海道へと広げていきたい」と靖季さんは言います。今はどうしても札幌やニセコが宿泊の中心ですが、これから小樽や余市にコンテンツを増やしていき、“小樽にも1泊する、余市にも1泊する”という流れを作っていきたいのだそう。通りすぎるのではなく、そこでじっくり楽しめる、連動できる仕組みを考え中です。

宿泊すると、“夜まで楽しめる”というまた違った楽しみ方もできそう。小樽や余市を盛り上げ、地域の魅力を引き立てること・地域に貢献することを目指す『ニトリ観光果樹園』の今後の活動に目が離せません。

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