小林薫が『虎に翼』に与えるこの上ない説得力 “真の役者”が司るアンサンブル

NHK連続テレビ小説『虎に翼』は日本初の女性弁護士のひとりであり、日本初の女性判事となった三淵嘉子をモデルにした物語だ。まだ女性の社会進出が一般的ではなかった時代に、伊藤沙莉演じる主人公の猪爪寅子が法曹界を目指す。「はて?」という台詞に象徴されるような彼女のキャラクターのポップさが、そもそもお堅い分野と見られがちな法律の世界への間口を開いてくれるのはいうまでもないが、そんな寅子を法律の世界へといざなう小林薫演じる穂高重親という人物の存在もまた必要不可欠。アカデミックなアプローチを維持したままで、寅子にも視聴者にも、“法律を味方につける”ことの意味を見出すきっかけを与えてくれるのであろう。

女学校の卒業を前に、両親から無理やり見合いを勧められ辟易としていた寅子。彼女はある時、夜学で法律を学ぶ下宿人の佐田優三(仲野太賀)にお弁当を届けにいき、たまたま授業の様子をーーしかも“女性は無能力者である”(これは明治民法において、既婚女性は行為無能力者とみなされ、夫の許可を得ずに社会的な活動をすることが制限されていたという意味である)という強烈な言葉と共に目撃することになる。無論、現代の常識と照らし合わせれば到底あり得ないような法律ではあるが、おそらく当時から寅子のように疑問に思っていた女性は少なくなったはずだ。

そこで寅子とばったり出会うのが、穂高という法学者である。第一に彼は、寅子の疑問や意見、ないしは言葉にしっかりと耳を傾けてくれる。女性が男性に、とりわけ年長の男性に対して意見することなどほとんど許されなかった時代に、彼だけは寅子に対等な立場で向き合おうとするのである。そして次に、穂高自身が設立に尽力した明律大学女子法科への進学を寅子に勧めるのである。こうしてこの『虎に翼』というドラマの物語はスタートする。それだけでも彼こそがキーパーソンと判断するに値するといえよう。

寅子、すなわち三淵嘉子は明治大学専門部女子部法科の出身。劇中の“明律”という名称と駿河台の立地からも明律=明治だと思われるわけだが、それを踏まえるとこの穂高という人物は、明治大学専門部女子部法科を開設した穂積重遠がモデルにされていると想像できる。実にタイミングが良いことに、この穂積はもうすぐ一万円札の新たな肖像になる渋沢栄一の孫に当たる人物。最高裁の判事を務めていた晩年に、刑法第200条の尊属殺等重罰規定が違憲であるとの見解を示したことでも知られている。

昭和の初めに女性の社会進出を大学の設立というかたちで的確に後押しし、尊属殺等重罰規定が条文から削除される40年以上前、最高裁がそれを違憲との判決を下す20年以上も前に異を唱えたという2点において、穂積という人物が秀でた先見性を有し、非常に理知的な法学者であったことが容易に窺える。その人物をモデルにした役柄を、小林薫が演じる。それだけで『虎に翼』という作品にこの上ない説得力が与えられるのは確実であり、実際に登場シーンを見てみれば、垣間見える穏やかさとどことない貫禄で、とても作品にマッチしているのである。

小林が連続テレビ小説へ出演するのは2011年度後期の『カーネーション』以来13年ぶりのこと。しかも同作でヒロインを務めていた尾野真千子が『虎に翼』ではナレーションを務めているというのは興味深い偶然である。同作ではその尾野の父親として、気が短く横暴で、そのくせ小心者というずいぶん厄介な役柄を演じていたわけで、今回の穂高役とは対照的だ。当時はまだ60歳だった小林も、現在は72歳。歳と共に丸くなったとの見方もできなくはないが、50年のキャリアで演劇や映画やドラマにひっきりなしに出続ける名優。そのような分析の仕方はあまりにもナンセンスだ。

それでも、少なくとも『カーネーション』の前後にまたぐようにしてシリーズ化や映画化もされた『深夜食堂』という新たな代表作を得て以降、その風格、ないしは視聴者に与える安心感や説得力はこれまで以上に高まっていると見える。それこそ筆者が初めて小林という俳優を認識した90年代の『ナニワ金融道』(フジテレビ系)シリーズの時点から貫禄や風格は確かにあったし、その直後の滝田洋二郎の映画『秘密』における頼りなさげな父親役も然り、役者としての裾野は元来非常に広い役者であることはいうまでもない。

『Dr.コトー診療所』でも『舟を編む』でも、最近の『風間公親-教場0-』(フジテレビ系)や北野武の『血』でも、どのようなベクトルに向いた役柄であろうと、そこに常に穏やかな迫力を介在させ、もはや画面に映るだけで作品が一気に締まる。そして『深夜食堂』が店にやってくる客たちのドラマで成立していたように、小林が締めた画面のなかで演技をする他の役者陣にも最大限のパフォーマンスを引き出させる。この稀少な“真の役者”が司るアンサンブルをじっくり楽しむことこそ、『虎に翼』の大きな見どころであろう。

第2週で無事に明律に入学した寅子。穂高は新聞社の取材を受けながら、寅子に対して「ご婦人方が権利を得て、新しい未来を切り開くためにぜひ法律を味方につけてほしい」という言葉をかける。第1週の第1話、戦後に寅子が日本国憲法第14条を読むシーンから始まったこのドラマ。三淵嘉子の史実をたどるのであれば、寅子が判事となる前年に恩師たる穂高は亡くなることになり、その後1958年の「原爆裁判」へとたどり着くことになる。優れた役者たちのアンサンブルという朝ドラの妙味と、我々が知っておくべき歴史を同時に味わえる『虎に翼』は、久々に見応えのある朝ドラとなってくれそうだ。

(文=久保田和馬)

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