【4/27〜、茨城県常総市】豊田城など常総市内の御城印が販売開始

4月27日(土)から、道の駅 常総において常総市内の城跡(豊田城・菅生城・石毛城・向石毛城)の御城印が発売されます。

販売開始日:
2024年4月27日(土)

販売場所:
道の駅 常総

販売価格:
各350円(税込)

Local Activateの飯田さんからコメントをいただけたのでご紹介します。

飯田さんからのメッセージ

蟠龍伝説が伝わる豊田氏の居城である豊田城をはじめとした常総市内のお城の御城印が遂に完成いたしました!
常総は平将門有縁の地であり、平将門の父である豊田館跡がある地に築かれた豊田氏最初の居城である向石毛城、猛将と名高い豊田氏の一族石毛政重の居城であった石毛城、また相馬一族である菅生氏の居城、菅生城がある土地でもあります。

販売場所は都心から車で約1時間と行きやすい立地にあり、茨城や常総の美味が詰まった新観光スポットである道の駅常総です!

是非、常総までお越しください☺️

各御城印の紹介

「豊田城 御城印」
豊田氏の居城である豊田城の御城印です。
御城印のデザインは、豊田氏の家紋である蟠龍を配し、蟠龍旗伝説より着想を得ています。

蟠龍旗伝説……豊田氏の祖である豊田政幹が前9年の役の際に、洪水で阿武隈川を渡れずに困っていると、夢に妙見大菩薩が現れて「私が守護神として守ってあげよう」と述べたとされ、翌日、旗に描かれていた龍が飛び出し、政幹軍は竜の背に乗って一番乗りの手柄を立てその戦功により豊田郡を賜ったという伝説。

「菅生城 御城印」
菅生城は守谷城を本拠とした下総相馬氏の一族である菅生越前守胤貞の居城として知られています。1560年(永禄3年)、弓田城の染谷氏を攻撃中、逆に馬洗城の横瀬能登守永氏に攻められ、落城したと伝えられています。
御城印のデザインは菅生氏の家紋である下がり藤と横瀬氏の家紋である丸に二つ引両、モチーフは菅生城に伝わる白妙姫伝説より着想を得ています。

白妙姫伝説……菅生城主の娘、白妙姫は菅生城を落城させて横瀬氏を仇として横瀬長氏の馬洗城に潜伏したが、やがて横瀬長氏の嫡男主膳を恋慕うようになってしまう。恋と仇討ちに思い悩んだ白妙姫は菅生城に身を投げてしまう。その後、白妙姫の例は一匹の白鯉としてなり、月冴えた波静かな夜には姿を現したという。

「石毛城 御城印」
石毛城は豊田城主・豊田四郎政親が多賀谷氏の侵攻に備えるため、豊田城の支城として築いた城です。城主には二男の次郎を石毛次郎政重と名乗らせて任じています。政重は猛将として知られ、兄の豊田治親を支えて、多賀谷氏の攻撃を防いでいましたが、1575年(天正3年)に脳卒中のため城内で急死し、その1か月後には治親も裏切った家臣に毒殺されたと伝えられています。豊田氏の遺臣は石毛城に立てこもって抗戦しましたが降伏することとなり、石毛城は多賀谷氏の所領となりました。

御城印のデザインは豊田氏の家紋である蟠龍と多賀谷氏の家紋である木瓜に一文字を配し、モチーフは豊田氏、石毛氏の家系図と鬼怒川を挟んだ向石毛城と多賀谷氏の進攻を防いでいたことから、向石毛城と対になるような地図を配置しています。

「向石毛城 御城印」
平将門の父である平良将が構えた豊田館がこの地に築かれ、平将門もここで誕生したということと伝わる地に、豊田氏が築いた城です。 戦国期には豊田氏が長男である石毛太郎広幹を配置しましたが、天正3年(1575)に向石毛城は多賀谷氏の攻撃を受けて落城しました。

御城印のデザインは豊田氏の家紋である蟠龍を配し、石毛城と鬼怒川を挟んでいることから対になるように配置した地図と平将門の父である平良将が築いた豊田館跡の印を配置しています。

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