一度は廃業も…明治から受け継ぐ“秘伝のタレ”で再スタート 笑顔広げる「豚丼」を 福島

ほかほかのご飯の上に、ぎっしり敷き詰められた、豚肉。昼時ともなると、子どもから大人まで多くの人が訪れます。

お客さん「味の濃さがかなりハマる。ここに来ると毎回食べる。外仕事をしているので味が濃いものが食べたい」 お客さん「タレも甘辛く、想像よりもおいしかった」

福島県楢葉町の国道6号沿いに店を構える「豚壱」。6代目店主・押田英駿さんが作っているのは、国産の豚バラ肉を使った名物「豚丼」です。

この豚バラ肉のおいしさを引き出しているのが…。

豚壱・押田英駿さん「この秘伝のタレを、とにかくたっぷり」

タレの始まりはうなぎ店 原発事故で廃業に…

詳しいレシピは企業秘密ですが、醤油をベースに5種類以上の隠し味を加えているそうです。たっぷりのタレをまとった豚肉をじっくり焼き上げれば、ご飯との相性は抜群。甘辛いタレと豚肉のうまみが口いっぱいに広がります。

Q.レシピを知っている人は? 押田英駿さん「私とおばあちゃんと2人しかいない」

まさに、秘伝のタレ。実はこのタレには、店の歴史が詰まっていました。

明治元年、富岡町に開業した「うなぎ・押田」。そこで使われていたのが、この秘伝のタレでした。

押田英駿さん「忙しい時も見ていたけれど、楽しそうだなという印象はあった」

6代目の押田英駿さんも、将来は店を継ぐと思っていましたが、その矢先。東日本大震災で店は全壊。さらに、原発事故で町の全域には避難指示が出され、町民から愛されていた店は廃業に追い込まれました。

押田英駿さん「何が起こったかわからないくらい、これから先どうしようとか何も考えられず、頭が真っ白」

秘伝のタレで再スタート 食で笑顔を

高校を卒業したばかりだった押田さん。しかし、避難生活をするうちに、食でふるさとを支えたいと強く思うようになったと言います。

5代目の、父・純治さんとともに、継ぎ足し用のレシピから秘伝のタレにアレンジを加え、2013年、豚壱として再スタートを切ったのです。

押田英駿さん「ここが初めの一歩だと思って、ここから再起していくしかないと思って無我夢中に始めた」

初めの一歩。その決意を胸に、押田さんは焼き場に立ち続けてきました。

4月7日。押田さんの姿は、ふるさと、富岡町にありました。この日は、町に春の訪れを告げる桜まつり。震災と原発事故から14年目の春を迎え、今年は震災前と同じ夜の森公園をメインに開かれました。

県内から訪れた人「すごく天気が良くて桜もきれいで良かった」 県内から訪れた人「人が明るい顔をしているのが良い」

この日は、フライドチキンのキッチンカーで調理する押田さん。食で多くの人たちを元気づけたいと、今年3月から始めた新たなチャレンジです。

ふるさとの桜並木に魅了される多くの人たちを見て、押田さんは、かつての町の賑わいを思い返していました。

押田英駿さん「桜まつりがみなさんが戻ってくるきっかけになって、賑わっているのがうれしい」

もちろん、秘伝のタレを使った豚丼も大好評。訪れた人たちにも笑顔が溢れます。

子ども「おいしかったです!お肉!」

少しずつ復興への歩みを進めるふるさと富岡町。押田さんはこれからもその支えになりたいと話します。

押田英駿さん「私のとりえは飲食しかないので、食を通してふるさとの良さをわかってもらえるように食事を提供したい」

一度は途絶えた秘伝のタレ。そこには食べた人を笑顔にしたいという思いが受け継がれていました。

富岡町によりますと、桜まつりには2日間でのべ1万7000人が訪れたということです。

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