三鷹の跨線橋に山の上ホテル、吉祥寺プラザ……2024年春までに別れを告げた東京の風景【東京さよならアルバム】

日々、街の表情が大きく変化する東京。

2006年、私はふと思い立って、消えていく風景を写真に収めることにしました。「消えたものはもう戻らない。みんながこれを見て懐かしく感じてくれたらうれしいな」とそれくらいの気持ちで始めた趣味でした。

そんな、東京から消えていった風景を集めた「東京さよならアルバム」。今回は第21弾として、2023年10月~2024年3月に消えていった風景を紹介します。

写真・文=齋藤 薫

2023年10月 「国立劇場」・「国立演芸場」

東京を代表する劇場

「国立劇場」。

三宅坂の、東京を代表する劇場「国立劇場」が、老朽化による建て替えのため、2023年10月いっぱいで閉場した。10月29日、閉場記念の式典が行われ、57年の歴史に幕を下ろした。1966年開場、歌舞伎、文楽、日本舞踊など日本の伝統芸能の中心地として数々の演目が上演された。私は昔一度しか訪れてないが、美術品や人形を飾った広いロビーが美術館のようだったのが印象的だった。再開場は2029年以降、ホテルやレストランも入った新しい施設に生まれ変わる予定だ。

また同時に、同じ敷地内の「国立演芸場」も閉館した。こちらは1979年開館。落語や講談など大衆芸能の拠点として多くのファンに親しまれた。

「国立演芸場」。

2023年12月 「三鷹跨線人道橋」(跨線橋)

作家・太宰治も愛した

JR三鷹駅の西500mの場所に設置されていた跨線橋が2023年12月から撤去作業に入った。昭和4年(1929)に設置、JR中央線をまたぐように架けられ、通過する電車を真上から見ることができ、晴れた日は富士山を望むこともできた。子供から鉄道ファンにまで人気のスポットだった。また、三鷹に住んでいた太宰治が愛した場所としても知られ、橋の欄干にマント姿でもたれる姿を撮影した写真は有名である。市民からも長く利用され愛されてきたが、建設から90年以上経ち老朽化したことから撤去となった。2023年12月15日から17日まで渡り納めイベントを行い、4000人の応募があり、多くの人が別れを惜しんでいた。

2024年1月 「吉祥寺プラザ」

『もののけ姫』が大ヒット

吉祥寺駅から徒歩7分、五日市街道沿いの小さな映画館「吉祥寺プラザ」が1月31日をもって45年の歴史に幕を下ろし閉館した。 昔ながらの1スクリーンの落ち着いた映画館で、屋上にあったバッティングセンターも同時に閉店した。 館内設備の老朽化が閉館の理由である。 1956年開館、当初は「吉祥寺東映」という名称だったが、1997年に「吉祥寺プラザ」に変更し『もののけ姫』を上映し大ヒットした。 最近はアニメ映画が中心だった。 最終上映は、同館にとって最も大ヒットした、その『もののけ姫』。 最後の週末は別れを惜しむ観客で満員御礼、自由席のため立ち見も出た。 かつてはどこの街にもあった1スクリーンの映画館、また昭和の灯が一つ消えてゆく……。

2024年2月 「山の上ホテル」

多くの文豪が愛した老舗ホテル

川端康成や三島由紀夫、池波正太郎など多くの作家が利用してきた、千代田区の「山の上ホテル」が、2024年2月12日をもって休館した。建物は昭和12年(1937)に建てられたアールデコ様式で、都内でも数少ない昭和レトロを感じるシックでクラシックなホテルである。戦時中は海軍、戦後はGHQに接収され、1954年に今のホテルになった。ホテル開業からも70年たっている。

客室は35室と小さいホテルだが、レストラン、バーが7つもあり、「食」にこだわったホテルでもある。特に館内の天ぷら屋は有名で、三島由紀夫の直筆のメモが展示されていた。出版社が近いことから多くの作家がここにカンヅメになり執筆活動を行っていて、近年では、2023年11月に亡くなった伊集院静もここで執筆していた。

建物が完成してから86年も経ち、老朽化のため休館となったが、休館後、残すのか建て直すのか、営業再開するのか現時点では未定だという。休館1週間前、平日だというのに、地下の喫茶室への長蛇の列が1階のロビーまで続いていた。朝9時半にはその日の受け付けを終了するほどの盛況だった。歴史的建造物であり、由緒あるホテルなだけになんとか残して再開してほしいものである。

2024年3月 「下高井戸駅前市場」

ノスタルジックな街のシンボル

京王線下高井戸駅前に広がる「下高井戸駅前市場」。戦後のバラック期を経て1956年に今の建物になり、様々な商店が並ぶ昭和レトロの古き良き時代を感じさせる商店街、いや市場だったが、この3月末に閉場した。魚屋、豆問屋,唐揚げ屋、薬局、洋服、時計、ジュエリー店などがアーケードの中に並び、70年近くにわたり地元の人たちの暮らしを支えてきた。多くの店は近隣に移転するが、駅周辺は今後再開発が予定されている。

閉場直前に訪れると、ほとんどが閉店し、営業していたのは魚屋、豆腐屋,花屋、不動産屋など数店のみであった。ほとんどがシャッターを下ろし、それはさみしい佇まいになっていた。立石の呑んべ横丁や下北沢駅前のマーケットなど、昭和の市場や横丁がどんどん無くなっていく。再開発もいいが、どこも同じような街になって個性が無くなり、歴史や文化が失われていくのが心配である。

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