「阿鼻叫喚。これが戦争」特攻志した元少年兵が訴えること 原爆投下直後の広島で救護した「暁部隊」

暁部隊の軍服や胸章が並ぶ企画展

 戦時中、水上特攻を志しながら原爆投下直後の広島で救護や遺体の処理に従事した少年兵たちがいた。陸軍船舶司令部、通称「暁部隊」で、特攻兵を育成する秘密部隊に所属。国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(広島市中区)で開催中の企画展で紹介されている。元少年兵たちは来年の被爆80年を前に「命と平和を守ることを考えてほしい」と願う。

 宇品地区(現南区)に本部があった暁部隊は原爆投下直後の広島で唯一、軍隊機能を保ち、市民の救援、救護に当たった。その中に、幸ノ浦(広島県江田島市)に駐屯していた船舶練習部第十教育隊の15~19歳の特別幹部候補生もいたという。

 石川県七尾市の沢野実さん(96)は17歳で入隊した。「天皇陛下のために死ぬのが当たり前だった」。通称「マルレ」と呼ばれる全長5・6メートルのベニヤ板製の特攻艇で突撃する極秘訓練に明け暮れた。上官には「君たちは捨て石。国のために死ぬのが務めだ」と言われたという。「靖国神社で仲間と顔を合わせようとの思いだった」

 原爆投下後、第十教育隊はマルレなどに乗り、広島市内に向かった。沢野さんも市中心部で負傷者の救護と遺体処理に当たった。「心臓が飛び出ている人や泣き叫んでいる人がいて、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の現場だった。これが戦争だと実感した」と振り返り、非戦を訴える。

 「本土決戦に向け愛国心に燃えていた」と語る岩手県遠野市の伊藤宣夫さん(96)は原爆投下時、船舶通信隊補充隊におり、市中心部で「死の街」を見た。たまらず班長に「戦争はやめた方がいいです」と言うと、「軍人が弱気でどうするのか」と怒られたという。「罪のない国民が殺される戦争は絶対にいけない」と語気を強める。

 祈念館の企画展は来年2月末までで、沢野さん、伊藤さんたち元少年兵9人の証言映像や軍服など12点が並ぶ。辞世の句「我が友よ 笑って散ろう 君のため 共に会ふど 九段の社」と書かれたアルバムもある。橋本公学芸員は「自分自身や子どもの身に置き換えて戦争の残酷さを感じてほしい」と話している。

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