白血病を克服した池江璃花子選手の復活は患者にとって大きな励みになった【がんと向き合い生きていく】

最近の明るい話題として、競泳の池江璃花子さん(23歳)が、今年8月に開催されるパリ五輪への出場を決めたことが挙げられるでしょう。

2018年、池江選手は抜群の強さをみせ、期待されていました。50mと100m自由形、50mと100mバタフライ、400mフリーリレー、400mメドレーリレーの6種目に出場し、そのすべてで優勝でした。しかし、突然、「急性白血病」と診断され、2019年に入院治療されました。

急性白血病の治療には、抗がん剤と大量のステロイドが使われ、それによる筋力低下は必至です。治療の詳細は分かりませんが、造血幹細胞移植を受けたとすると、さら全身のダメージは大変だったと思われます。当時、池江さんが「思っていたより、数十倍、数百倍しんどいです。 三日以上ご飯も食べられない日が続いています」と語ったと報じられていた記憶があります。

幸い病気を克服され、そして競泳にも復帰し、見事に復活されたのです。さらに、パリ五輪の日本代表選手になりました。3月のパリ五輪代表選手選考会をテレビで拝見しました。おそらく、本番までにはさらに記録を更新するだろうと思われました。

■努力が報われるよう応援したい

急性白血病の闘病だけでも大変なことなのに、短い期間に日本代表にまで回復されるのは至難のことです。もしかすると、池江選手にとって「目標があった」「競泳があった」ことで、より頑張れたとも察しますが、それでも並みのことではありません。白血病で闘っているたくさんの患者さんにとっても、大きな励みになったと思います。 白血病治療では、病気そのものによる免疫機能低下、さらに抗がん剤治療による白血球数減少による、重篤な感染症や臓器機能低下などが心配されます。おそらく、無菌病棟で過ごされた期間もあったでしょう。それを見事に克服され、通常の生活に戻るだけでなく、五輪代表になられたのです。

病院によっては、敷地内の一角に自転車などのトレーニングルーム設備があるところもみられます。本人の努力だけではなく、周りの方々、医療者、特にご家族の献身的な協力があってのこととも思います。

女子競泳で思い出すのは、昔のラジオ放送での「前畑がんばれ」です。1936年8月、ラジオからのアナウンサーの絶叫が、真夜中の日本中に響き渡りました。長崎宏子さんは、1980年の“幻のモスクワ五輪”で、小学生初の日本五輪代表となりました。また、14歳の若さで1992年バルセロナ五輪の女子200メートル平泳ぎで金メダルに輝いた岩崎恭子さんは、「今まで生きてきた中で一番幸せです」と語りました。

池江選手は、「未来は自分で変えていくものだと思っている」「努力は必ずしも報われるものではない。だけどその努力が報われるまで努力し続ける」--そう語っているようです。池江選手が五輪でどんな活躍をされるのか。努力が報われますように、応援したいと思います。

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