全線電化も一部は廃線危機のピンチ…実態を探る JR加古川線リポート後編(『西脇市』~『谷川』)

125系

◆『羽川英樹の出発進行!』

【動画】鉄アナが現地レポート! 加古川線

加古川市のJR神戸線『加古川』と丹波市の福知山線『谷川』を結ぶ48.5kmの電化路線、JR西日本の加古川線。今は稀少な存在となった103系に乗って『加古川』~『西脇市』間の沿線風景を紹介した前編に続き、今回の後編では、それより先の『西脇市』~『谷川』間の、いわゆる過疎路線を“乗り鉄”レポートします。

加古川線の中間拠点で、市がそのまま駅名になっている『西脇市』。人口約3万6千人の北播磨のまちは、甘いスープが特徴の播州ラーメンの本場でもあります。かつて地場産業である播州織の工場に集団就職で多くの女子従業員がやってきました。そんな女性たちの口にあうようにスープを甘くしたのが始まりだとか。

『西脇市』からは、1990年まで、旧鍛冶屋駅までの13.2kmを結ぶ鍛冶屋線が走っており、播州織や貨物の輸送でも大きな役割をはたしていました。現在、駅からの廃線跡は一部が遊歩道となっています。終点・鍛冶屋には当時の駅舎やホームが整備して残され、キハ30形気動車1両が保存されています。また途中の旧市原駅は1921(大正10)年に建築されたモダン駅舎ですが、これを復元して記念館となり館内には貴重な資料や写真が多数展示されています。

この『西脇市』から終点『谷川』に向けては乗り換えが必要となりますが、時刻表を見てびっくり。これより先はなんと本数の少ないことでしょう……日中はなんと3時間半も空くところがあるので、乗車の際はご注意ください。ほとんどの列車が『西脇市』発になっており、『加古川』~『谷川』を通しで運転されるのは1日1便しかありません。さらにここ『西脇市』からは列車の運用が103系から125系に替わります。103系は基本2両編成ですが、ここから先は乗客も激減することもあってか2両は不要のため、単行でいける125系を投入しているようです。

『新西脇』、『比延』を経て、『日本へそ公園』へ。ここは実に簡素な造りの駅ですが、隣接する地元出身・横尾忠則氏の作品を展示する斬新なデザインの西脇市岡之山美術館が目をひきます。駅名にもなっている日本へそ公園は、東経135度・北緯35度が交差する“日本のへそ”のメインスポット。広大な園内には経緯度交差標や、にしわき経緯度地球科学館「テラ・ドーム」などがあります。家族みんなで楽しめる自然豊かな場所が駅からすぐのところにあるのですが、現在の運行本数では誰も列車を利用して来場しようとは思わないのが現状です。

『本黒田』も実にシンプルな駅舎です。同駅のある黒田庄町は黒田官兵衛の生誕地で、荘厳寺(しょうごんじ)には黒田家の家系図も残っています。また但馬・神戸牛ブランドになる黒田庄牛の品質は高い評価を受けています。

『久下村』の近くでは、丘の上に立つ広大な円応教(えんのうきょう)本部が見えてきます。

『西脇市』から約30分走って丹波市山南町にある終点『谷川』に到着。駅名の正式な読みは「たにかわ」ですが、地元の人の多くが「たにがわ」と濁って発音しているようです。ここでは1時間に1本走る福知山線の列車と出会うことができますが、接続は全く考慮されていないダイヤ編成となっています。

加古川線は全線が「大阪近郊区間」になるため鉄道ファンには人気が高い路線の1つ。例えば『加古川』~『東加古川』の1駅間190円の切符を持って、あえて『加古川』から時計周りに加古川線→福知山線→神戸線を経由する、つまり『加古川』~『谷川』~『尼崎』~『東加古川』という大回り旅だって、1区間料金の切符でできてしまうんです。(※JRおでかけネット「マイ・ダイヤ」で検索してみても、そう出てきました!)

そして、忘れてはならないのが、同線が1995年の阪神・淡路大震災発生時にも果たした貴重な役割。当時、大きな被害を受け寸断された神戸線に替わって、『尼崎』~『谷川』~『加古川』と走る迂回路線にもなりました。

そんな加古川線の『西脇市』~『谷川』の区間が乗客激減のため、いま廃線の危機にたたされています。なぜ昼間の運行が2~3時間に1本しかない超赤字路線が、わざわざ全線電化されているのか? その意味をいま一度考えてみましょう。

緊急時の迂回路線として重要だと考えるのであれば、せめて1時間に1本は走らせてほしい。乗らないから減らすのか、減ったから乗らないのか、どうやったら増やせるのか……いま地元自治体が先導して、より積極的な乗客誘致策を考える必要に迫られています。(羽川英樹)

© 株式会社ラジオ関西