18日判決 新潟水俣病第5次訴訟 全員救済へ原告の思い「患者がまだいるんだってことを認識して」【新潟】

新潟水俣病第5次訴訟

新潟水俣病第5次訴訟の判決が18日、一部の原告に言い渡されます。提訴から10年、被害を訴える全員の救済を求めてきた原告団にとって、大きな節目を迎えます。

2013年。水俣病の被害を訴える22人が国と原因企業に損害賠償などを求める裁判を起こしました。
■皆川栄一原告団長
「すべての患者がまだいるんだってことを認識してもらいたい。すべての人を救うべく努力をしてもらいたい。」

原告団長を務める皆川栄一さん。阿賀野川のそばで生まれ育った皆川さんは、今も現役の漁師です。かつて住民は貴重なたんぱく源として、毎日のようにここで獲れた魚を食べていました。

■皆川栄一原告団長
「この阿賀野川にも50年くらい前まで30何種類という魚がいたけれど、今は12,3種類しかいない。それだけ魚が住めなくなった川。」

今も手指のしびれと視野が狭くなる症状があります。感覚が鈍いため、骨折しても気づかないこともありました。
■皆川栄一原告団長
「びりびりしてもう電気が伝わっているみたいなことはいつでもある。別にね、それがもう50年も続いているわけで、自分の体と戦いながら仕事をしたり漁をしたり。」

59年前、公式に確認された新潟水俣病。昭和電工が阿賀野川にメチル水銀が含まれた工場排水を流し、汚染された魚を食べた人たちが手足の感覚障害など、様々な神経症状に苦しめられました。皆川さんは20歳のころから症状を感じていましたが、差別や偏見を恐れ、自身が新潟水俣病かもしれないということを打ち明けられませんでした。
■皆川栄一原告団長
「ここのうちに残ったのは俺と連れ合いと2人。そしたらここで今まで黙って押し殺してきたのは、なんかむなしいような気持になってきてね。じっと考えていると涙がでてきた。」

2013年、医師から水俣病と診断された皆川さんは認定を申請しましたが、棄却されました。行政に新潟水俣病と認定されず、国が最終解決をうたった特別措置法でも救済を受けられなかった人たちと裁判で戦うことを決めました。
■皆川栄一原告団長
「なぜ私たちはこんなに切ない思いをして苦しんでいかなきゃならないのか。国は解決する気があるのかないのか。」

裁判は長期化。皆川さんは原告団長として、国への訴えに奔走して来ました。原告は現在149人まで増え、31人が判決を待たずに亡くなりました。
■皆川栄一原告団長
「40歳ごろからいろんなところに症状が出て、自分でもものすごく不安でした。」

今月13日の決起集会には他の県で判決が出た原告らが出席しました。去年9月、大阪で原告128人を水俣病と認定し、国の責任も認める判決が出た一方、熊本では原告全員の請求が棄却されました。

■熊本訴訟原告団 谷添政一副団長
「原告を切り捨てる残酷な判決でした。これで重たい門をまたしめたわけです。新潟の判決で勝利して頂いて頑張りたい。」

18日判決を迎えるのは、原告149人のうち、審理を終えた47人。皆川さんは判決が、全ての水俣病患者にとって救済の道筋になることを願っています。
■皆川栄一原告団長
「私たちは4月18日の裁判、絶対に勝ちます!」

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