「W杯取材に欠かせないタクシー運転手との会話」(1)ドイツ開幕戦を吹き飛ばした大スターのカーチェイス

アメリカ・ワールドカップのADカード。提供/後藤健生

最近のテレビでは、地元をよく知るタクシー運転手に穴場的な食事処を教えてもらう番組が人気だ。蹴球放浪家・後藤健生は、そのさきがけかもしれない。ワールドカップの取材における“妙味”を、地元のタクシー運転手から伝授されていたのだ。

■往年の大スターが「76歳」で亡くなった

4月10日にアメリカン・フットボールの往年の大スター、O・J・シンプソンが76歳で亡くなったというニュースを見かけました。

現役引退後もコメンテーターや俳優としても活躍したスーパースターでしたが、彼が活躍したのは1970年代のこと。当時はNLFの情報などほとんど日本には伝わってきていませんでしたから、僕は彼の名前をまったく知りませんでした。

「O・J・シンプソン」という名前を初めて知ったのは、1994年のアメリカ・ワールドカップのときでした。

ワールドカップは6月17日にイリノイ州シカゴにあるソルジャー・フィールドで開幕しました。対戦カードはドイツ対ボリビアでした。

当時は、開幕戦に前回優勝国が出場することになっていたので、1990年のイタリア大会決勝でアルゼンチンを1対0で破って優勝したドイツ(1990年当時は西ドイツ)が開幕戦に登場したのです。

■サッカーの「ルールを知らない」アメリカの記者

当時のアメリカ合衆国では、サッカーはまだまだマイナーでした。一部、熱心なサッカー愛好家はいましたが、大部分の人は「サッカーというのは女子のスポーツ」と思っているようでした。

記者席で隣のアメリカ人記者に、こう聞かれたこともあります。

「あの、ゴール前の四角いラインはいったい何なんだい?」

記者席に座っているスポーツ記者(一応)でさえ、サッカーのルールを知らないというわけです。

ですから、ワールドカップが開催されるといっても、盛り上がったりはしていません。各国のサポーターが集まって賑わっているのはスタジアム周辺だけでした。

そんなアメリカでワールドカップを開くことを決めたのはFIFAです。巨大マーケットの確保=金儲けのためでしょう。最近のFIFAは中東のアラブ産油諸国を優遇していますが、FIFAというのはいつの世もお金のために動く組織のようです。

それでも、試合の前日「ワールドカップ関係のニュースでもやってるかなぁ?」と思って、僕はホテルのテレビのスイッチを入れてみました。

そこで映し出されていたのが「O・J・シンプソン事件」でした。

■大スターの逃走劇に「消された」ワールドカップ

6月13日に、シンプソンの元妻だった女性とその友人の男性の死体がカリフォルニア州にある元妻の自宅で発見されたのです。シンプソンが容疑者として拘束され、その後いったん釈放されたものの、6月16日(つまり、ワールドカップ開幕前日)に逮捕状が出されました。しかし、シンプソンは友人の車に乗って逃走。ロサンゼルス近郊のフリーウェイで警察車両とのカーチェイスを始めたのです。

なにしろ、アメリカン・フットボールで殿堂入りした名選手で、その後も俳優として活躍していた超有名人。しかも、アフリカ系アメリカ人であるシンプソンと白人の元妻という人種問題とも絡んで、アメリカ中の注目を集めたのです。

テレビはどのチャンネルもヘリコプターを飛ばして、シンプソンと警察の間のカーチェイスを生中継していました。

こうして、6月16日のテレビ・ニュースは「O・J・シンプソン事件」一色となってしまい、ただでさえ影の薄いワールドカップ関連ニュースは完全に消え去ったのです。

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