小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=127

 屋内は、入るとすぐ中央の土間に据えた食卓と、壁側に泥土で固めた竈が見える。奥が寝床で、柱間に一本のハンモックが吊られている。傍の壁には場違いの、見るからに高性能な一挺の猟銃が掛かっていた。

 食糧は米とタピオカ芋の粉、そして塩と砂糖を蓄えてある。おかずは、山鳩や、まれに鹿や山豚などを射止めて塩漬けにしておけばこと足りる。タピオカ芋や甘藷は痩せ地でも充分育つし、豚や鶏も飼える。自給自足の生活に不自由はしない。土地は無限で、通常は何ぴとも俺の土地だとか、出て行けと言ってくる者はいない。もし、誰何する奴が現れた場合は、移動すればよい。

 田守ジョージがこのカンバラの地に移ってきたのは、農業に従事するためではなかった。ひょんなことから関わり合った男たちと逃避行の態で流れ着いたのだ。かつてここはダイヤモンドの産地であり、採掘夫たちの生活の場でもあった。今の田守に宝石の野心はないが、人里離れたこの地は最適の安息地であった。

 

 彼は混血の日系二世で、祖父の姓は田村だった。田舎町の登記所の書記が、日本語を聞き違えて田守姓になったが、田守ジョージには、今さら訂正の要もないことだ。年齢は五十四歳。風貌は日本人より現地人に近く、口髭を生やし、言葉は主にポルトガル語を遣う。ひと頃は家族をもち裕福な生活をしたこともあったが、今は離別しての質素な独り暮らしである。人生の、少なくとも夫婦生活の辛酸は舐めている。そういう過去を忘れようと意識して、楽天的に振るまい、この脱都会の生活が気に入っているのであった。

 田守の母親は八重といった。八重の慈愛によって、田守は何不自由ない幼少期を送ることができたが、初等科を終える頃になると、自分に父親のいないことに不審を抱くようになった。父はスペイン系の男で、事故死したのだと母から聞かされていたが、彼女は、墓参りを言い出すこともなければ、恋しがることもしなかった。或る時、田守が不審がって問い詰めると、

「もう説明したことを、何回訊くの……」と顔を曇らすのだった。

 

(二)

 

 八重は、田守が生まれる五年前に、日本からこの国に移住してきたという。が、その家族と一緒でないことも謎であった。それから、軍人上がりの祖父が自殺したということ。その後、祖母は日本に帰ったらしいが、八重は、それを人伝に聞いたというだけで、見送りにも行っていない。

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