家を残すか、解体か…「帰還困難区域」の住宅、迫る期限 男性の決断 福島・浪江町

原発事故で帰還困難区域となった福島県浪江町の津島地区。このうち、特定復興再生拠点区域の住宅を解体する申請期限が、4月1日で締め切られました。慣れ親しんだ家を解体するかどうか…。ギリギリまで悩み続けた末に、男性が下した決断とは?

「これを作りたくて作った」

天井まで並べられた大量の本。ここは、津島地区から避難している今野秀則さんの自宅にある自慢の書斎です。子どもの頃から読んでいた本がすべて納められていますが、13年の間、この場所に置かれたままでした。

今野秀則さん「きょうだいの子ども。俺から見ればめい、おい。その子どもたちが、しょっちゅう来るでしょ?お盆とか正月。そうすると、ここに入り浸って本見るんですよ。楽しいんだろうね」

敷地内には明治時代の建物も

家族や親戚の団らんの場でもあった書斎が入る自宅をどうするべきか。この数年間、今野さんは、思い悩んでいました。

今野秀則さん「どうしたらいいのかなって。まあ、子どもたちにも相談したりはしているんだけど、最後は自分でやっぱり決断するしかないので」

今年3月、こう話していた今野さん。自宅はすでに避難指示が解除された復興拠点の中にあり、公費で解体する場合は、4月1日までに申請しなければなりませんでした。

敷地の中には、明治時代に建てられた旅館も含まれています。先祖から受け継いだ貴重な家であるとともに、地域の風景の一部となってきた建物です。

今野さん「どっちにしたって4月1日には決めなくちゃならない。まあ追い込まれるような感じでね、ずっと悩んでいました。正直、夢にまで見ましたね」

「迷いに迷って」…今野さんの決断

津島地区の住民が国と東京電力を訴えた裁判で、原告団長を務める今野さん。家をどうするか、決めきれないまま、3月11日、裁判に臨みました。

「生きがいを感じて平穏に暮らす国民・住民の人生を奪い、ねじまげ、苦しみを与え続ける責任は極めて大きなものです」。法廷で、国と東電に対し、こう訴えた今野さん。この時を境に、気持ちに変化が芽生えました。

今野さん「仙台高裁の控訴審で、原告意見陳述したんですね。話しているうちに、心のモヤモヤがある意味で整理されたんですよね」

春の彼岸の3月20日。今野さんは、古い家に集まったきょうだいたちに伝えました。

今野さん「きょうだいにこの家を残すことにしたと改めて伝えました」

今野さんは、解体を申請せず、自宅を残すことに決めました。事故前の暮らしにはほど遠い地域の現状や、子どもや孫への負担など、不安も多く残りますが、自分の気持ちに、素直に従いました。

今野さん「私自身も迷いに迷ったけども、最終的には残して、素直に自分の気持ちに従うというふうに決めました」

家に合わせて、大量の本も残す予定です。解体が進み、変わりゆく地域の中で、残されることが決まった築100年以上の大きな家。今後も人が集う場として、あるいは、津島の風景として、残り続けます。

今野さん「きょうだいが来る時に利用するのは当然ですけど、夏の暑い日なんかには時々来て、家の管理をしながら寝泊りするぐらいはしようかなと思っています」

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